―その7―
●歌は、「月立ちてただ三日月の眉根掻き日長く恋ひし君に逢えるかも」である。
●歌をみてみよう。
題詞は、「同坂上郎女初月歌一首」<同じき坂上郎女が初月(みかづき)の歌一首>である。
◆月立而 直三日月之 眉根掻 氣長戀之 君尓相有鴨
(大伴坂上郎女 巻六 九九三)
≪書き下し≫月立ちてただ三日月(みかづき)の眉根(まよね)掻(か)き日(け)長く恋ひし君に逢へるかも
(訳)月が替わってほんの三日目の月のような細い眉(まゆ)を掻きながら、長らく待ち焦がれていたあなたにとうとう逢うことができました。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)三日月の眉:漢語「眉月」を踏まえる表現。
(注)眉根掻く:眉がかゆいのは思う人に逢える前兆とされた。娘大嬢の気持ちを寓していると思われる。
―その8―
●歌は、「ふりさけて三日月見れば一目見し人の眉引き思ほゆるかも」である。
●歌をみてみよう。
題詞は、「大伴宿祢家持初月歌一首」<大伴宿禰家持(おほとものすくねやかもち)が初月(みかづき)の歌一首>である。
◆振仰而 若月見者 一目見之 人乃眉引 所念可聞
(大伴家持 巻六 九九四)
≪書き下し≫振り放(さ)けて三日月(みかづき)見れば一目(ひとめ)見し人の眉引(まよび)き思ほゆるかも
(訳)遠く振り仰いで三日月を見ると 一目見たあの人の眉根がしきりに思われます。(同上)
(注)眉引き:眉墨で眉を書くこと。書いた眉。
(注)三句以下、坂上大嬢への思いを寓していると思われる。
この二首は巻第六 雑歌に分類されている。大伴坂上郎女とその甥大伴家持が、 「初月(みかづき)」を詠題とする席で歌ったものと考えられる。家持が当時十六才であったことを考えれば、このような席を歌の教育の場としていたのかもしれない。
郎女と家持の名がなければ、相聞歌に分類されていたであろう。しかし家持の十六才とは思えぬ思いはさすがである。
この歌碑は、写真のように佐保川堤に二つ並べて建てられている。
- 万葉集に見る俗言
郎女の歌にある「眉根掻き」は、万葉の時代に、眉がかゆかったりするのは、思う人に逢える予感、相手から思われている兆しだと言われていた。同様に、「鼻ふ」すなわちくしゃみをすることなどがあったという。今でも、くしゃみをすれば、誰かに噂されているのではと言うのと同じである。紐が解けるのも相手に慕われているという歌もある。問答歌に、これらを詠った歌があるので紹介してみる。
◆眉根掻 鼻水紐解 待八方 何時毛将見跡 戀来吾乎
(作者未詳 巻十一 二八〇八)
≪書き下し≫眉根(まよね)掻(か)き鼻(はな)ひ紐解(ひもと)け待てりやもいつかも見むと恋ひ来(こ)し我(あ)れを
(訳)眉(まゆ)の根元を掻いたり、くしゃみをしたり、紐が解けたりして、待っていてくれましたか。一刻も早く逢いたいと心引かれてやって来たこの私なのだが。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)やも 分類連語:①…かなあ、いや、…ない。▽詠嘆の意をこめつつ反語の意を表す。②…かなあ。▽詠嘆の意をこめつつ疑問の意を表す。 ※上代語。 ⇒語法:「やも」が文中で用いられる場合は、係り結びの法則で、文末の活用語は連体形となる。 ⇒参考:「やも」で係助詞とする説もある。 ⇒なりたち:係助詞「や」+終助詞「も」。一説に「も」は係助詞。(学研)
◆今日有者 鼻火鼻火之 眉可由見 思之言者 君西在來
(作者未詳 巻十一 二八〇九)
≪書き下し≫今日(けふ)なれば鼻の鼻ひし眉可(まよ)かゆみ思ひしことは君にしありけり
(訳)お見えになるのが今日だったからですね 鼻がむずむずしてくしゃみが出、眉もむずかゆくて、もしやおいでかと思っていたのは、あなただったのですね。(同上)
次のような歌もある。
◆眉根掻 下言借見 思有尓 去家人乎 相見鶴鴨
(作者未詳 巻十一 二六一四)
≪書き下し≫眉根(まよね)掻(か)き下(した)いふかしみ思へるにいにしえ人(ひと)を相見(あひ)みつるかも
(訳)眉を掻きながら、なんだかおかしいなと思っていたところ、昔馴染(なじ)みのお方にお逢いできました。
(注)した【下】名詞:①下。下方。下位。②内側。内部。③内心。④おかげ。もと。▽上位のものの恩顧を受ける立場。⑤劣勢。年若。力不足。低級。▽ものごとの程度が劣ること。(学研)ここでは③の意
(注)いぶかし【訝し】形容詞:①心が晴れない。気がかりだ。②不審である。疑わしい。③(ようすが)知りたい。見たい。聞きたい。 ⇒参考:「いぶかし」と「ゆかし」の違い 「いぶかし」が、不審・不明なことを明らかにしようとする気持ちが強いのに対して、類義語の「ゆかし」は、興味をそそられたり愛着を感じたりして心が引かれ、知りたくなるようすを表す。(学研)
(注)かも:①(感動・詠嘆)~なことよ。②(詠嘆を含んだ疑問)~かなあ③(詠嘆を含んだ反語)~だろうか、いや~ではない(学研)
題詞は、「或本歌日」<或本の歌に日(い)はく>である。
◆眉根掻 誰乎香将見跡 思乍 氣長戀之 妹尓相鴨
≪書き下し≫眉根(まよね)掻(か)き誰(た)れをか見むと思ひつつ日(け)長く恋ひし 妹(いも)に逢へるかも
(訳)眉を掻きながら、はて誰かに逢える兆(しる)しかなと思っていたところ、長いこと恋いつづけてきた子に逢ったよ。
題詞は、「一書歌日」<一書の歌に日はく>である。
◆眉根掻 下伊布可之美 念有之 妹之容儀乎 今日見都流香母
≪書き下し≫根(まよね)掻(か)き下(した)いふかしみ思へりし妹(いも)が姿を今日(けふ)見つるかも
(訳)眉を掻きながら、内心逢えるのかなといぶかしく思っていたあの子であったが、その姿を、今日はっきりと見ることができたよ、私は。(同上)
◆吾妹兒之 阿乎偲良志 草枕 旅之丸寐尓 下紐解
(作者未詳 巻十二 三一四五)
≪書き下し≫我妹子(わぎもこ)し我(あ)偲(しの)ふらし草枕(くさまくら)旅の麻呂寝に下紐(したびも)解(と)けぬ
(訳)いとしいあの子が私をしきりに偲んでいるらしい。草を枕の旅のごろ寝で、この着物の下紐がほどけてしまった。(同上)
(注)丸寝(まろね):衣服を着たまま寝ること。独り寝や旅寝をいうこともある。(学研)
万葉の時代には、紐が自然に解けるのは相手が自分を思っているからだという魂の活動の予兆としての紐の俗言が生まれたそうである。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・ 森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉の人びと」 犬養 孝 著 (新潮文庫)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
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