●歌は、「君が行く道の長手を繰り畳ね焼き滅ぼさむ天のひもがも」である。
●歌をみてみよう。
◆君我由久 道乃奈我弖乎 久里多々祢 也伎保呂煩散牟 安米能火毛我母
(狭野弟上娘子 巻十五 三七二四)
≪書き下し≫君が行く道の長手を繰り畳ね焼き滅ぼさむ天の火もがも
(訳)あなたが行かれる道の長道、その道のりを手繰(たぐ)って折り畳んで、焼き滅ぼしてしまう天の火、ああ、そんな火があったらなあ。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)ながて【長手】名詞:「ながぢ」に同じ。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典
(注の注)ながぢ【長道】名詞:長い道のり。遠路。長手(ながて)。「ながち」とも(学研)
(注)あめの【天の】火(ひ):天から降ってくる火。神秘な天上の火。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典)
(注)もがも 終助詞:《接続》体言、形容詞・断定の助動詞の連用形などに付く。〔願望〕…があったらなあ。…があればいいなあ。 ※上代語。終助詞「もが」に終助詞「も」が付いて一語化したもの。(学研)
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1358)」で紹介している。
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「道の長手を繰り畳ね焼き滅ぼさむ」、この発想がすごい。しかも、それを焼く滅ぼす火があったらと詠っている。熱情的な歌である。
めらめら燃える火ではないが、情熱的な思いを「火」に喩えた歌を探してみたが、ほとんどないのが意外であった。
「海人の燈火」「漁り焚く火」「漁り火」のように、どちらかといえば幻想的な感じが強い実際の火、あるいはそれを、ちらちらする光に譬え心の思いが表出したり、ちらっと見える風に譬える歌多く詠われているのである。二五四、三二六、一一九四、二七四四、三一六九、三一七〇、三六二三、三六四八、三八九九、四二一八歌である。
二五四歌のように、明石に懸る枕詞として「燈火の」が使われている例もある。これをみてみよう。
◆留火之 明大門尓 入日哉 榜将別 家當不見
(柿本人麻呂 巻三 二五四)
≪書き下し≫燈火(ともしび)の明石大門(あかしおほと)に入らむ日や漕ぎ別れなむ家(いへ)のあたり見ず
(訳)燈火明(あか)き明石、その明石の海峡にさしかかる日には、故郷からまったく漕ぎ別れてしまうことになるのであろうか。もはや家族の住む大和の山々を見ることもなく。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)ともしびの【灯し火の】分類枕詞:灯火が明るいことから、地名「明石(あかし)」にかかる。(学研)
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その561)」で紹介している。
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実際の漁火をみて恋い焦がれる思いがおもてに出てしまったと詠う門部王の歌をみてみよう。
◆見渡者 明石之浦尓 焼火乃 保尓曽出流 妹尓戀久
(門部王 巻三 三二六)
≪書き下し≫見わたせば明石(あかし)の浦に燭(とも)す火(ひ)の穂(ほ)にぞ出でぬる妹(いも)に恋ふらく
(訳)遠く見渡すと、明石の浦に海人(あま)の燭(とも)す火が見える、このちらつく漁火(いさりび)のようにおもてに出てしまった。あの人に恋い焦がれる思いが。(同上)
(注)ほにいづ【穂に出づ】分類連語:①穂が出る。②表に現れ出る。人目につくようになる。▽多く①の意にかけて用いる。 ※なりたち名詞「ほ」+格助詞「に」+動詞「いづ」(学研)
(注)上三句は実景の序。「穂に出づ」を起こす。
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1261)」で紹介している。
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次は、漁火のように、ちらっとでもよいからいとしいあの子を見たいという気持ちを詠った歌である。
◆思香乃白水郎乃 釣為燭有 射去火之 髣髴妹乎 将見因毛欲得
(作者未詳 巻十二 三一七〇)
≪書き下し≫志賀の海人の釣りし燭せる漁り火のほのかに妹を見むよしもがも
(訳)志賀の海人が夜釣りに燭(とも)している漁り火、そのちらちらする光のように、ほんのちょっとでもよいからあの子の姿を見るきっかけがあったらなあ。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)上三句は序。「ほのかに」を起こす。(伊藤脚注)
(注)はくすいらう【白水郎】:《「白水」は中国の地名。水にもぐることのじょうずな者がいたというところから》漁師。海人 (あま) 。(goo辞書)
次いで多いのは、室内の燭台の火を詠った歌である。三六六九、四〇五四、四〇八六、四〇八七歌などである。
四〇八七、四〇八八歌をみてみよう。
◆等毛之火能 比可里尓見由流 佐由理婆奈 由利毛安波牟等 於母比曽米弖伎
(伊美吉縄麻呂 巻十八 四〇八七)
≪書き下し≫燈火(ともしび)の光りに見ゆるさ百合花(ゆりばな)ゆりも逢(あ)はむと思ひそめてき
(訳)燈火の光の中に浮かんで見える百合の花、その名のようにゆり―将来もきっと逢おうと思い始めたことでした。(同上)
(注)ゆり【後】名詞:後(のち)。今後。※上代語。(学研)
◆安夫良火乃 比可里尓見由流 和我可豆良 佐由利能波奈能 恵麻波之伎香母
(大伴家持 巻十八 四〇八六)
≪書き下し≫油火(あぶらひ)の光に見ゆる我がかづらさ百合(ゆり)の花の笑(ゑ)まはしきかも
(訳)油火の光の中に浮かんで見える私の花縵、この縵の百合の花の、何とまあほほ笑ましいことよ。((伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)
(注)あぶらひ【油火】名詞:灯油に灯心を浸してともすあかり。灯火。※後に「あぶらび」とも。((学研)
(注)ゑまふ【笑まふ】分類連語:①にこにこする。ほほえむ。②花のつぼみがほころびる。※上代語。(同上)
この二首については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1072)」で紹介している。
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その他では、「野火」(一九九、二三〇歌)、富士山に関する火(三一九歌)、さらには貧窮問答歌の「(かまどの)火気」、「葦火」(二六五一,四四一九歌)、「鹿火」<鹿を追う火>(二六四九歌」など生活にかかわりの深い火やそれを譬えに使った歌がある。
娘子に言い寄る男を譬えた、真間の娘子(夏虫の火に入るがごと:一八〇七歌)、菟原娘子のためなら(水に入り 火にも入らむ:一八〇八歌)などの歌もある。
「燃ゆる火」を袋に入れる手品のような歌(一六〇歌)もみられる。
最後に安倍郎女(あへのいらつめ)の歌をみてみよう。
◆吾背子波 物莫念 事之有者 火尓毛水尓母 吾莫七國
(安倍郎女 巻四 五〇六)
≪書き下し≫我(わ)が背子(せこ)は物な思ひそ事しあらば火にも水にも我(わ)がなけなくに
(訳)あなたはくよくよと物思いなどしてくださいますな。何か障害がありましたら、火の中にも水の中にもこの私というものがいないわけではありませんのに。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)なけなくに【無けなくに】分類連語:ないことはないのだから。 ⇒なりたち 形容詞「なし」の上代の未然形「なけ」+打消の助動詞「ず」の上代の未然形「な」+接尾語「く」+格助詞「に」(学研)
男に対して「物な思ひそ」と語りかけ「火にも水にも我がなけなくに」と私にまかしてちょうだいと詠う、たのもしい女性の歌である。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「goo辞書」