万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1930)―岐阜県高山市丹生川町根方 穂枝橋―万葉集 巻七 一一七三

●歌は、「飛騨人の真木流すといふ丹生の川言は通へど舟ぞ通はぬ」である。

岐阜県高山市丹生川町根方 穂枝橋 万葉歌碑

●歌碑は、岐阜県高山市丹生川町根方 穂枝橋にある。

 

●歌をみていこう。

 

 

◆斐太人之 真木流云 尓布乃河 事者雖通 船會不通

       (作者未詳 巻七 一一七三)

 

≪書き下し≫飛騨人(ひだひと)の真木(まき)流すといふ丹生(にふ)の川言(こと)は通(かよ)へど舟ぞ通はぬ

 

(訳)飛騨の国の人が真木を伐って流すという丹生(にう)の川、この川は岸と岸で言葉は通うけれども、舟は通わない。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)飛騨人:岐阜県飛騨地方の人。

(注)まき【真木・槙】名詞:杉や檜(ひのき)などの常緑の針葉樹の総称。多く、檜にいう。 ※「ま」は接頭語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)丹生(にふ)の川:高山市丹生川町の小八賀川か。(伊藤脚注)

(注の注)「尓布乃河」は江戸時代の終わりごろ小八賀川の別名として和歌などに使われている。万葉歌が丹生川をうたったかどうか異説が多い。(琴渕の碑説明案内板)

 

この歌は、前稿(その1929)丹生川文化ホールの歌碑と同じである。

➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

■丹生川文化ホール→同町根方地区 穂枝橋■

 この歌碑についてはいろいろと検索するもなかなかヒットしない。飛騨高山まで来て歌碑が見つからなかったとしたら洒落にならない。

事前に(一社)岐阜県観光連盟に問い合わせをしておいた。同連盟から歌碑に関する資料や「丹生川ガイドマップ」などを頂いた。

国道158号線からバス停「琴水苑口」近くを左折、小八賀川(こはちががわ)にかかる穂枝(ほえ)橋を渡る。橋の北西袂下に小さな祠がありその横に歌碑が建てられている。 

グーグルマップのストリートビューで何度も確認したのである。

 

この歌碑は、明治二十年に立てられたようである。

 歌碑の裏面には、「寄附 小笠原佐右エ門太郎 明治二十年十一月」と刻されている。

歌碑の裏面

 またこの歌碑は「琴渕の碑」と名付けられている。琴渕の碑の説明案内板の下に「琴渕」や「根方人」などについても説明されている。

「琴淵の碑」の説明案内板

 「琴渕」は琴に似た巨巌があるとか、当地の伝説に渕から琴の音が聞こえて来るという話があることから名付けられたようである。

 「根方人」というのは、この近くにある「岩陰遺跡」の縄文人をいう。根方と名付けられたのは、笠根城がありその方(ふもと)と言う意味からという。

 

 この歌についても、当地の「琴渕の碑」の下の「歌の意味」が理解しやすいので引用させていただきます。

 「飛騨の国の人が、真木(建築良材の美称)を伐りだして筏(いかだ)に組んで流すという丹生の川は、急流で川幅もせまく、舟を対岸に通わせる機会もなく、言葉は通じるが舟は通わない。互いに音信できていても直接逢うことがかなわないという、両岸の相愛の宿命、あるいは旅に出ての望郷の念の歌であろう。」

「穂枝橋」近くの渕

 犬養 孝氏は、その著「万葉の人びと」(新潮文庫)のなかで、「万葉の歌は、あたう限り歴史と共に、時代と共に理解していかなければならない。そうしてまた、風土と共に理解していかなくてはなりません。」と書いておられる。

 

 この歌碑はその近くに身を置くと、時間・空間がゆがみ異次元の世界に来たかのように感じてしまう。時の経つのをわすれ歌碑の近辺をうろうろしていたのである。

「穂枝橋」から下の歌碑を望む




 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「琴渕の碑説明案内板」

★「丹生川ガイドマップ」 (飛騨乗鞍観光協会