●歌は、「霰降り遠江の吾跡川楊 刈れどもまたも生ふといふ吾跡川楊」である。
●歌碑は、北区細江町気賀 小森橋にある。
●歌をみてみよう。
◆丸雪降 遠江 吾跡川楊 雖苅 亦生云 余跡川楊
(柿本人麻呂歌集 巻七 一二九三)
≪書き下し≫霰(あられ)降(ふ)り遠江(とほつあふみ)の吾跡川楊(あとかわやなぎ) 刈れどもまたも生(お)ふといふ吾跡川楊
(訳)遠江の吾跡川の楊(やなぎ)よ。刈っても刈っても、また生い茂るという吾跡川の楊よ。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)あられふり【霰降り】[枕]:あられの降る音がかしましい意、また、その音を「きしきし」「とほとほ」と聞くところから、地名の「鹿島(かしま)」「杵島(きしみ)」「遠江(とほつあふみ)」にかかる。(weblio辞書 デジタル大辞泉)
(注)やうりう【楊柳】名詞:やなぎ。 ※「楊」はかわやなぎ、「柳」はしだれやなぎの意。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)恋心を川楊に譬える。(伊藤脚注)
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その262)」で紹介している。
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浜松市北区細江町気賀の小森橋に到着。川沿いを少し行くと万葉歌碑が見えてくる。ここもグーグルのストリートビューで確認をしていたのでスムーズに来ることができた。
歌碑は石柱の旧碑と新碑がある。
旧碑の方は、苔生しており判読できない。正面の「吾跡川楊之古跡」がかろうじて読める程度である。左側は「明治?」とあるので碑が建てられた年月日などが書かれているのであろう。右側は、何か手掛かりになるような文字を探したが判読できず。
頂いた「はままつ万葉歌碑・故地マップ」 (制作 浜松市)には、「吾跡川楊之古跡 是ヨリ南 壱町拾五間 阿ら礼ふり 遠つ淡海 あと川柳 加れども また生當ふ 跡かハ柳(引佐郡長 松島吉平(十湖)書)と書かれている。
残念ながらこれだけの手掛かりがあっても詠めない。
旧碑には、このように記されているということである。
これまでの歌碑巡りのなかで、江戸時代や明治時代に建てられた歌碑に関しては、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1093)」で、日本で一番古い歌碑とともに紹介している。
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明治時代に建てられた歌碑となると、少し気になったので「引佐郡長 松島吉平(十湖)」を調べてみた。様々な業績や人物像について書かれていたが、最もわかりやすいのは、「豊西小学校 ブログ」(2022年4月3日)の「松島十湖さんについて」という記事であった。
(注)引佐(いなさ):静岡県西部、引佐郡にあった旧町名(引佐町(ちょう))。現在は浜松市の中西部にあり、北区を形成する地域。北から西は愛知県と接する。(コトバンク 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ))
次の様に書かれていた。
「豊西小学校と言えば『松島十湖さん』です。1849年3月19日173年前にお生まれになり、豊田郡中善地村(今の豊西町)で生まれました。
小さい頃は、吉太郎、10歳のころ吉平と改名 5歳から、羽島村(今の豊町)の源長院で、読み書きを学びました。
15歳から俳句を学び、俳句を作るときの名前を十湖と名乗ったそうです。
十湖さんの名前が知られるようになったのは、20歳の時だったそうです。
天竜川が大氾濫した時、地域の人々を救うために努力をしたからです。
28歳の時に県会議員になり、その後引佐麁玉郡の郡長を務めました。
俳句では、生涯に約7000もの句を作り、全国に数千人の門人(弟子)をもつ俳人としても有名になったそうです。
松島十湖さんにちなみ東区では、俳句の里づくり事業を進めており、本校でも低学年から俳句づくりを推奨しています。」
豊西小学校のHPを拝見させていただくと「本校では、10年前以上から『百人一首の暗記』を実施し、10回暗記をクリアした児童は、在校生の中ですでに7人いるとのこと。・・・
豊西小学校の自慢の『俳人の松島十湖さん』のお膝元である豊西小学校で、引き継がれている伝統を今後も引き継いでもらいたいと思います。」と書かれていた。
なんと素晴らしい小学校ではないか。俳句や和歌をベースに情操教育に力を注ぐこのような小学校なら通えるものなら是非通ってみたいものだと思った。
(注)1849年:嘉永二年
(注)豊西小学校:静岡県浜松市東区豊西町1551、1873年(明治六年)設立。
さらに調べていると「静岡県浜松市をもっと知りたい、使いたい! 浜松情報BOOK」に、「松島保平」について書かれていた。松島吉平(十湖)の三男で、「カンパン」や「源氏パイ」で有名な三立製菓の創業者である。
三立製菓の本社は、 静岡県浜松市中区中央1-16-11である。三立製菓は知っていても本社が浜松市であることを初めて知ったのである。
ここまで脱線してしまったが、なんだかうれしくなってきた。
万葉歌碑めぐりのブログもマンネリ化してきたな、と最近感じていたが、このようなトリガーの使い方もあるのだとまた意欲が湧いてきたのである。
浜松市北区細江町気賀の小森橋近くの吾跡川楊の万葉歌碑を巡り終え、帰路に着く。約250km。
浜名湖南部の歌碑や豊川近辺の歌碑は、今回はパスしたが、機会を作ってまた来よう。
豊田市、安城市、蒲郡市、浜松市の歌碑巡りの紹介は今回で終わりとなります。次稿からは、広島県の歌碑巡り(2022年5月24~25日)の紹介がスタートします。
引き続きよろしくご支援賜わりますようお願い申し上げます。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「豊西小学校HP」
★「三立製菓HP」
★「静岡県浜松市をもっと知りたい、使いたい!」(浜松情報BOOK HP)
★「グーグルストリートビュー」