●歌は、「紫草の根延ふ横野の春野には君を懸けつつうぐひす鳴くも」である。
●歌をみていこう。
◆紫之 根延横野之 春野庭 君乎懸管 鴬名雲
(作者未詳 巻十 一八二五)
≪書き下し≫紫草(むらさき)の根延(ねば)ふ横野(よこの)春野(はるの)には君を懸(か)けつつうぐひす鳴くも(作者未詳 巻十 一八二五)
(訳)紫草(むらさきぐさ)の根を張る横野のその春の野には、あなたを心にかけるようにして、鴬が鳴いている。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)か・く 【懸く・掛く】他動詞:①垂れ下げる。かける。もたれさせる。②かけ渡す。③(扉に)錠をおろす。掛け金をかける。④合わせる。兼任する。兼ねる。⑤かぶせる。かける。⑥降りかける。あびせかける。⑦はかり比べる。対比する。⑧待ち望む。⑨(心や目に)かける。⑩話しかける。口にする。⑪託する。預ける。かける。⑫だます。⑬目標にする。目ざす。⑭関係づける。加える。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)ここでは⑨の意
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この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その765)」で、「むらさきの」で始まる歌の中で紹介している。
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■■横野神社跡■■
難波八阪神社をあとにし、地下鉄なんば駅から千日前線で終点「南巽駅」に向かう。そこから約10分の歩きで横野神社跡に到着する。
ビルの一角をそぎ取ったような狭いスペースに、「横野神社舊跡碑」、「横野神社跡地碑」、「万葉歌碑」が立てられている。
大阪市HP「生野区内の史跡・旧跡」に「横野神社跡」について次のように書かれている。
◆横野神社跡◆
当社は、平安時代に記された延喜式内社の神社でもとは印色宮(いんじのみや)と呼ばれ、明治40(1907)年巽神社に合祀されるまでこの地に在りました。
『日本書紀』によれば、仁徳天皇は仁徳天皇11年に難波高津宮の北に堀江を掘り、旧大和川の水を西へ流す治水や淀川に茨田堤を築くなどして耕地を増やし、大きな功績を挙げたことを伝えています。
また、仁徳天皇13年にはおそらくこの辺り一帯にあったと思われる『横野堤』を築き、翌年には『つるのはし』を架けたと伝えられ、この横野堤の守護神が横野神社であったといわれています。
久しぶりに車でなく電車での万葉歌碑巡りであった。
姫嶋神社、大和田住吉神社、難波八阪神社、横野神社跡と4か所を周った結果、一日の歩数は20,594歩と2万歩を上回った。「南巽駅」と横野神社跡の往復では相当足にきていたが、自分を励ましながら歩いたのである。
昔、東京単身赴任時代に東京メトロの全線を歩いたことがあったが、その中でも特に都営大江戸線(営業距離が40.7km)の10時間59分(62,139歩)という記録を思い出しながら頑張ったのである。この時は、最後の方は、歩くというより、体を前に倒すと一歩が出るという感じであった。ゴールの「光が丘駅」では、ホームまで行くのに、手すりを頼りにしないと下りられなかった。
万葉歌碑巡りは体力勝負の側面があるが、昔の経験が役立っていると思う。
脱線するが、「懐かしの都電 41路線を歩く」(石堂秀夫氏 著 実業之日本社)を参考に東京の都電の廃線跡もすべて歩いたのであった。
万葉歌碑巡りの体を鍛えるべく、機会があれば、大阪の地下鉄などにも挑戦したいものである。
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(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「懐かしの都電 41路線を歩く」 石堂秀夫氏 著 (実業之日本社)
★「大阪市HP」