万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2444)―

■やまぼうし■

「万葉植物園 植物ガイド105」(袖ケ浦市郷土博物館発行)より引用させていただきました。

●歌は、「いにしへに梁打つ人のなかりせばここにもあらまし柘の枝はも」である。

千葉県袖ケ浦市下新田 袖ヶ浦公園万葉植物園万葉歌碑(プレート)(若宮年魚麻呂) 20230926撮影

●歌碑(プレート)は、千葉県袖ケ浦市下新田 袖ヶ浦公園万葉植物園にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆古尓 樑打人乃 無有世伐 此間毛有益 柘之枝羽裳

      (若宮年魚麻呂 巻三 三八七)

 

≪書き下し≫いにしへに梁(やな)打つ人のなかりせばここにもあらまし柘(つみ)の枝(えだ)はも

 

(訳)遠い遠いずっと以前、この川辺で梁を仕掛けた味稲(うましね)という人がいなかったら、ひょっとして今もここにあるかもしれないな、ああその柘の枝よ。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)やな【梁・簗】名詞:川にくいを打ち並べて流れをせきとめ、一か所だけあけて竹簀(たけす)を斜めに張り、そこに流れ込む魚を捕らえる仕掛け。[季語] 夏。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)あらまし【有らまし】分類連語:あろう。…であろうに。…であればよいのに。 ⇒なりたち ラ変動詞「あり」の未然形+反実仮想の助動詞「まし」(学研)

(注)柘(つみ):現在のヤマグワ(クワ科)、ハリグワ(クワ科)、ヤマボウシ(ミズキ科)の諸説がある。ヤマグワもハリグワも蚕の飼料として使われる。神話説話の対象となる植物としてはクワ科の方に、また、仙女の化身としては、枝に棘をもつハリグワの方に軍配が上がると考えられている。(「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

 

この歌は、三八五~三八七歌の題詞「仙柘枝歌三首」<仙柘枝(やまびめつみのえ)の歌三首>のうちの一首である。

(注)仙柘枝(やまびめつみのえ)の歌:吉野の漁夫味稲(うましね)が谷川で山桑を拾った、桑の枝は仙女と化して味稲の妻になったという話が伝わる(懐風藻他)。その仙女に関する歌。三首とも宴会歌であろう。(伊藤脚注)

                                         

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1020)」で、集中「柘」を詠んだもう一首と共に、紹介している。

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 若宮年魚麻呂については、伝未詳。古歌伝誦に長けた人で、三八八・三八九歌の左注に「若宮年魚麻呂誦(よ)む」とあり、一四二九・一四三〇歌の左注にも名がみえる。

 三八八・三八九歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1948)」で紹介している。

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 一四二九・一四三〇歌をみてみよう。

 

題詞は、「櫻花歌一首 幷短歌」<桜花(さくらばな)の歌一首 幷(あは)せて短歌>である。

 

◆▼嬬等之 頭挿乃多米尓 遊士之 蘰之多米等 敷座流 國乃波多弖尓 開尓鶏類 櫻花能 丹穂日波母安奈尓

      (作者未詳 巻八 一四二九)

   ▼は、「女偏」+「感」で「おとめ」 →「▼嬬」=「をとめ」

 

≪書き下し≫娘子(をとえ)らが かざしのために 風流士(みやびを)が かづらのためと 敷きませる 国のはたてに 咲きにける 桜の花の にほひはもあなに

 

(訳)娘子たちの挿頭(かざし)のためにと、また風流士(みやびお)の縵(かずら)のためにと、大君のお治めになる国の隅々まで咲き満ちている桜の花の、何とまあ輝くばかりの美しさよ。(伊藤 博  著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)みやびを【雅び男】名詞:風流を解する男。風流を好む男。風流人。(学研)

(注)しく【敷く・領く】他動詞:①平らに広げる。一面に並べる。②(あまねく)治める。③広く行きわたらせる。 ⇒注意②の意味は現代語にはない。(学研)

(注)はたて【果たて・極】名詞:果て。限り。(学研)

(注)にほひ【匂ひ】名詞:①(美しい)色あい。色つや。②(輝くような)美しさ。つややかな美しさ。③魅力。気品。④(よい)香り。におい。⑤栄華。威光。⑥(句に漂う)気分。余情。(学研)ここでは②の意

(注)あなに 感動詞:ああ、本当に。▽強い感動を表す。(学研)

 

 

 

◆去年之春 相有之君尓 戀尓手師 櫻花者 迎来良之母

        (作者未詳 巻八 一四三〇)

 

≪書き下し≫去年(こぞ)の春逢(あ)へりし君に恋ひにてし桜の花は迎へけらしも

 

(訳)去年の春お逢いしたあなたに恋い焦がれて、桜の花は、この春もこんなに美しく咲いてあなたをお迎えしたのですよ、きっと。(同上)

(注)恋ひにてし:恋い慕って。結句に続く。シは強意。ラシと呼応することが多い。(伊藤脚注)

(注)迎へけらしも:美しく咲いてあなたをお迎えしたのです。擬人的表現。(伊藤脚注)

 

左注は、「右二首若宮年魚麻呂誦之」<右の二首は、若宮年魚麻呂誦(よ)む>である。

(注)誦(よ)む:口誦した歌。(伊藤脚注)

 

 三八七歌で「梁」と詠い、作者名が年魚麻呂とあるので、遊び心かと疑ってみたが、そうではなく、年魚麻呂は、古歌伝誦に長けた人である。

 年魚、そしてさかな偏に占うと書いて「あゆ」、何故と思ってしまう。これらについて、万葉神事語辞典(國學院大學デジタルミュージアム)に次のように書かれている。

「あゆ科の魚。鮎子とも。晩秋に孵化して海に下り、早春に川に戻ってくる。『年魚』と表記されるのは、その1年を周期とした習性ゆえであろう。『鮎』の字の由来は、古来神意や吉凶を占うために用いられたためとも言われ、現在も鮎を川に投げ入れて吉凶を占う行事が残っている。神功紀には、三韓征伐に際して神功皇后肥前国松浦県玉島里で、遠征の吉凶を占うウケヒのために鮎を釣った事績が載せられており、その後その国の女性は、毎年4月上旬に釣り針を河中に投げ入れて鮎を捕ることを習わしとしたという。全国の川に住むが、万葉集では吉野川松浦川、泊瀬川、叔羅川などの鮎が詠まれている。万葉の時代から、鵜飼、釣り、網などの方法で漁獲され、食用に供されていた。柿本人麻呂の吉野讃歌(1-38)の『行き沿ふ 川の神も 大御食に 仕へ奉ると 上つ瀬に 鵜川を立ち 下つ瀬に 小網刺し渡す』は、吉野川での鮎漁の情景を、川の神の天皇に対する奉仕の様として歌ったものである。巻5の松浦川歌群には、『松浦川川の瀬光り鮎釣ると』『松浦なる玉島川に鮎釣ると』と、松浦の玉島川での鮎釣りの様子が歌われる。松浦川歌群の鮎釣りは、その伝承を下敷きにしたものである。清らかな流れに生息する習性ゆえであろうか、鱗をキラキラと光らせながら『鮎走る』情景は、清らかな川を讃美する表現として用いられている。天智紀に童謡として載せられている『み吉野の 吉野の鮎 鮎こそは 島辺も良き え苦しゑ 水葱の下 芹の下 吾は苦しゑ』は、大津宮を出て吉野に隠棲した大海人皇子天武天皇)の苦しい境遇を鮎に託して歌ったものである。」(アンダーラインは追記しました)

 

 上記の柿本人麻呂の吉野讃歌(巻一 三八)については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1324)」で紹介している。

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 上記の『松浦川川の瀬光り鮎釣ると』『松浦なる玉島川に鮎釣ると』は、前者が巻五 八五五、後者が同 八五六歌である。

 八五五から八五七歌の題詞は、「蓬客等更贈歌三首」<蓬客(ほうかく)のさらに贈る歌三首>である。

 三首ともみてみよう。

(注)蓬客:さすらいの人。「蓬」は「藜(あかざ)」の類。漢籍で旅人(たびびと)に譬えられる。(伊藤脚注)

 

◆麻都良河波 可波能世比可利 阿由都流等 多々勢流伊毛何 毛能須蘇奴例奴

       (作者未詳 巻五 八五五)

 

≪書き下し≫松浦川(まつらがは)川の瀬光り鮎(あゆ)釣(つ)ると立たせる妹(いも)が裳(も)の裾(すそ)濡(ぬ)れぬ

 

(訳)松浦川の川の瀬はきらめき、鮎を釣ろうと立っておられるあなたの裳の裾が美しく濡れています。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫

(注)裳の裾濡れぬ:女性の官能的な美を示す。(伊藤脚注)

 

 

 

◆麻都良奈流 多麻之麻河波尓 阿由都流等 多々世流古良何 伊弊遅斯良受毛

       (作者未詳 巻五 八五六)

 

≪書き下し≫松浦なる玉島川(たましまがは)に鮎釣ると立たせる子らが家道(いへぢ)知らずも

 

(訳)ここ松浦の玉島川で鮎を釣ろうと立っておられるあなたがたの家をお尋ねしたいのですが、その道がわかりません。(同上)

 

 

◆富都比等 末都良能加波尓 和可由都流 伊毛我多毛等乎 和礼許曽末加米

       (作者未詳 巻五 八五七)

 

≪書き下し≫遠つ人松浦の川に若鮎(わかゆ)釣る妹(いも)が手本(たもと)を我(わ)れこそまかめ

 

(訳)遠くにいる人を待つという名の松浦の川で若鮎を釣るあなたの手、その手を私はぜひ枕にしたいものです。(同上)

(注)とほつひと【遠つ人】分類枕詞:①遠方にいる人を待つ意から、「待つ」と同音の「松」および地名「松浦(まつら)」にかかる。「とほつひと松の」。②遠い北国から飛来する雁(かり)を擬人化して、「雁(かり)」にかかる。(学研)ここでは①の意

 

 

 この三首について、中西 進編「大伴旅人―人と作品」(祥伝社新書)の「口語訳付 大伴旅人全歌集」のなかでは、「旅人作品として訳者(江口 洌氏)は認めないが、旅人歌とする説もある」に分類されている。

 

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」(國學院大學「万葉の花の会」発行)

★「万葉植物園 植物ガイド105」(袖ケ浦市郷土博物館発行)

★「万葉神事語辞典」 (國學院大學デジタルミュージアム

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」