●歌は、「紅はうつろふものぞ橡のなれにし衣になほしかめやも」である。
●歌をみていこう。
◆久礼奈為波 宇都呂布母能曽 都流波美能 奈礼尓之伎奴尓 奈保之可米夜母
(大伴家持 巻十八 四一〇九)
≪書き下し≫紅(くれなゐ)はうつろふものぞ橡(つるはみ)のなれにし衣(きぬ)になほしかめやも
(訳)見た目鮮やかでも紅は色の褪(や)せやすいもの。地味な橡(つるばみ)色の着古した着物に、やっぱりかなうはずがあるものか。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)
(注)紅:紅花染め。左夫流子の譬え。(伊藤脚注)
(注)橡のなれにし衣:橡染の着古した衣。妻の譬え。(伊藤脚注)
(注の注)つるばみ【橡】名詞:①くぬぎの実。「どんぐり」の古名。②染め色の一つ。①のかさを煮た汁で染めた、濃いねずみ色。上代には身分の低い者の衣服の色として、中古には四位以上の「袍(はう)」の色や喪服の色として用いた。 ※ 古くは「つるはみ」。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注の注)なる【慣る・馴る】自動詞:①慣れる。②うちとける。なじむ。親しくなる。③よれよれになる。体によくなじむ。◇「萎る」とも書く。④古ぼける。◇「褻る」とも書く。(学研)ここでは③の意
題詞は、「教喩史生尾張少咋歌一首并短歌」<史生尾張少咋(ししやうをはりのをくひ)を教へ喩(さと)す歌一首幷(あは)せて短歌>である。
この題詞に続いて、「由縁」が書かれている。
そして長歌(四一〇六)、反歌三首(四一〇七~四一〇九)があり、これは家持が五月十五日に作ったと左注があり、さらに十七日の歌(四一一〇)で一つの「歌物語」が形成されているのである。
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この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その123改)」で紹介している。
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「橡」は六首が収録されている。拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その597)」で紹介している。
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地味な色合いの「橡」に対して「くれなゐ」は、万葉集では三十首ほど詠まれている。
清水裕子、佐々木和也氏の稿「万葉集にあらわされた染め」によると、「紅花と紫草は、・・・とくに貴重な染の材料で、色が美しく、万葉人に好まれた・・・」と書かれている。
万葉集に収録されている「くれなゐ」のほとんどが、紅花で染めた衣や色を詠んでいる。
紅花そのものを詠んだ歌は二首にすぎない。二首をみてみよう。
◆外耳 見筒戀牟 紅乃 末採花之 色不出友
(作者未詳 巻十 一九九三)
≪書き下し≫外(よそ)のみに見つつ恋ひなむ紅(くれなゐ)の末摘花(すゑつむはな)の色に出(い)でずとも
(訳)遠くよそながらお姿を見つつお慕いしよう。紅花の末摘花のように、あの方がはっきりと私への思いを面(おもて)に出して下さらなくても。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)三・四句は序。「色の出づ」を起す。(伊藤脚注)
(注)くれなゐの【紅の】分類枕詞:紅色が鮮やかなことから「いろ」に、紅色が浅い(=薄い)ことから「あさ」に、紅色は花の汁を移し染めたり、振り出して染めることから「うつし」「ふりいづ」などにかかる。(学研)
(注)すゑつむはな【末摘花】名詞:草花の名。べにばなの別名。花を紅色の染料にする。 ⇒ 参考 べにばなは、茎の先端(=末)に花がつき、それを摘み取ることから「末摘花」という(学研)
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◆紅 花西有者 衣袖尓 染著持而 可行所念
(作者未詳 巻十一 二八二七)
≪書き下し≫紅(くれなゐ)の花にしあらば衣手(ころもで)に染(そ)め付け持ちて行くべく思ほゆ
(訳)お前さんがもし紅の花ででもあったなら、着物の袖に染め付けて持って行きたいほどに思っているのだよ。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)ころもで【衣手】名詞:袖(そで)。(学研)
家持が詠んでいるように「紅(くれなゐ)はうつろふもの・・・」ではあるが、うつろふ前、もともと「赤」は魔除けの信仰の対象であったという。「万葉集の時代において、官船は赤土で塗られており魔除けの意味がようである。赤裳については、森直太朗が、行幸供奉の女官(6・1001、15・3610)、田植えの時の早乙女(9・1710)、鮎釣りの神事を行う少女(5・861)らの赤裳は、身の汚れ防ぎ魔除けのために身につけられたこと、これは降魔除厄の信仰によるものであった名残として、万葉集の歌に詠まれたことを示しているが、万葉後期の歌は、魔除けというより赤裳の色の美しさと女性の美しさを詠んでいると述べている」。(前出、清水裕子、佐々木和也氏の稿)
これらの歌をみてみよう。
■一〇〇一歌■
題詞は、「春三月幸于難波宮之時歌六首」<春の三月に、難波(なには)の宮に幸(いでま)す時の歌六首>である。
◆大夫者 御獦尓立之 未通女等者 赤裳須素引 清濱備乎
(山部赤人 巻六 一〇〇一)
≪書き下し≫ますらをは御狩(みかり)に立たし娘子(をとめ)らは赤裳(あかも)裾(すそ)引(び)く清き浜(はま)びを
(訳)ますらおたちは御狩の場に立たれ、娘子(おとめ)たちは赤裳の裾を引きながら往き来している。清らかな浜辺を。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)御狩:ここは潮干狩の意。
左注は、「右一首山部宿祢赤人作」<右の一首は、山部宿禰赤人が作>である。
■三六一〇歌■
題詞は、「當所誦詠古歌」<所に当りて誦詠(しようえい)する古歌>である。
◆安胡乃宇良尓 布奈能里須良牟 乎等女良我 安可毛能須素尓 之保美都良武賀
(柿本人麻呂 巻十五 三六一〇)
≪書き下し≫安胡(あご)の浦に舟乗(ふなの)りすらむ娘子(をとめ)らが赤裳(あかも)の裾(すそ)に潮(しほ)満(み)つらむか
(訳)安胡(あご)の浦で舟遊びをしえいるおとめたちの赤い裳の裾、その裳の裾に、今しも潮が満ち寄せていることであとうか。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)赤裳の裾:女官の魅力ある姿。今見る海上の風景に女官の姿を重ねて、都への獏たる憧れを述べた。(伊藤脚注)
左注は、「柿本朝臣人麻呂歌曰 安美能宇良 又曰 多麻母能須蘇尓」<柿本朝臣人麻呂が歌には「鳴呼見の浦(あみのうら)」といふ。また「玉藻の裾に」といふ>である。
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■一七一〇歌■
◆吾妹兒之 赤裳埿塗而 殖之田乎 苅将蔵 倉無之濱
(柿本人麻呂 巻九 一七一〇)
≪書き下し≫我妹子(わぎもこ)が赤裳(あかも)ひづちて植ゑし田を刈(か)りて収(をさ)めむ倉無(くらなし)の浜(はま)
(訳)かわいい子が赤裳を泥まみれにして植えた田であるのに、その田の稲を刈り取って収めようにも、収めきれる倉がないという、この倉無の浜よ。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)上四句は序。「倉無」を起こす。(伊藤脚注)
(注)倉無の浜:所在未詳。
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■八六一歌■
題詞は、「後人追和之詩三首 帥老」<後人の追和(ついわ)する歌三首 帥老(そちろう)>で、その内の一首で詠まれている。
◆麻都良河波 可波能世波夜美 久礼奈為能 母能須蘇奴例弖 阿由可都流良武
(大伴旅人 巻五 八六一)
≪書き下し≫松浦川(まつらがは)川の瀬早み紅(くれない)の裳(も)の裾(すそ)濡(ぬ)れて鮎か釣るらむ
(訳)松浦川の川の瀬が早いので、娘子たちは紅の裳裾をあでやかに濡らしながら、今頃、鮎を釣っていることであろうか。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
罰当たりになるが、神社などで見かけた美しい巫女さんの赤裳は一段と美しく映え心にささるものがある。
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「紅の赤裳裾引)き」などと詠われているが、赤裳を詠うことにより女性の美しさを強調している歌は、万葉集では六首が収録されている。これに関しては、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1155)」で紹介している。
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「紅の八しほ・・・」というフレーズもある。万葉集では三首に使われている。
(注)やしほ【八入】名詞:幾度も染め汁に浸して、よく染めること。また、その染めた物。 ※「や」は多い意、「しほ」は布を染め汁に浸す度数を表す接尾語。上代語。(学研)
この三首については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1135)」で紹介している。
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(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」 神野志隆光 著 (東京大学出版会)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」