万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1135)―奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(95)―万葉集 巻十 一九九三

●歌は、「外のみに見つつ恋ひなむ紅の末摘花の色に出でずとも」である。

 

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奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(95)万葉歌碑<プレート>(作者未詳)

●歌碑(プレート)は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(95)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆外耳 見筒戀牟 紅乃 末採花之 色不出友

               (作者未詳 巻十 一九九三)

 

≪書き下し≫外(よそ)のみに見つつ恋ひなむ紅(くれなゐ)の末摘花(すゑつむはな)の色に出(い)でずとも

 

(訳)遠くよそながらお姿を見つつお慕いしよう。紅花の末摘花のように、あの方がはっきりと私への思いを面(おもて)に出して下さらなくても。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)三・四句は序。「色の出づ」をおこす。

(注)くれなゐの【紅の】分類枕詞:紅色が鮮やかなことから「いろ」に、紅色が浅い(=薄い)ことから「あさ」に、紅色は花の汁を移し染めたり、振り出して染めることから「うつし」「ふりいづ」などにかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)すゑつむはな【末摘花】名詞:草花の名。べにばなの別名。花を紅色の染料にする。 ⇒ 参考 べにばなは、茎の先端(=末)に花がつき、それを摘み取ることから「末摘花」という(学研)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その992)」で紹介している。

 「植物で見る万葉の世界」(國學院大學 萬葉の花の会 著)によると、「くれなゐ」を詠んだ歌は二十九首あり、花そのものを詠んだ歌は五首で、他はすべて染色した「紅染」の衣として詠まれている。

 

 「くれなゐ」を詠んだ歌の中に「紅のやしほ」という言葉が出て来る。

(注)やしほ【八入】名詞:幾度も染め汁に浸して、よく染めること。また、その染めた物。 ※「や」は多い意、「しほ」は布を染め汁に浸す度数を表す接尾語。上代語。(学研)

 この言葉を詠んでいる歌三首をみてみよう。

 

◆呉藍之 八塩乃衣 朝旦 穢者雖為 益希将見裳

                 (作者未詳 巻十一 二六二三)

 

≪書き下し≫紅の八しほの衣(ころも)朝(あさ)な朝(さ)ななれはすれどもいやめづらしも

 

(訳)紅の八(や)しほの衣、幾度も染めたその着物が朝ごとに褻(な)れ汚れてゆくように、朝ごと朝ごと馴れ親しんでいても、あなたはますますかわいい。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)上二句は序。「朝な朝なれ」を起こす。

(注)あさなあさな【朝な朝な】副詞:朝ごとに。毎朝毎朝。「あさなさな」とも。(学研)

(注)めづらし【珍し】形容詞:①愛すべきだ。賞美すべきだ。すばらしい。②見慣れない。今までに例がない。③新鮮だ。清新だ。目新しい。(学研)ここでは①の意

 

 

◆多可思吉能 宇敝可多山者 久礼奈為能 也之保能伊呂尓 奈里尓家流香聞

               (大判官 巻十五 三七〇三)

 

≪書き下し≫竹敷(たかしき)の宇敝可多山(うへかた)山は紅(くれなゐ)の八(や)しおの色になりにけるかも

 

(訳)竹敷(たかしき)の宇敝可多山(うへかた)山は、紅花(べにばな)染の八しおの色になってきたな(同上)

(注)宇敝可多山(うへかた)山:竹敷西方の城山か。

(注)紅の八しおの色:紅花で何回も染めた色

 

 この歌から、何度も何度も染めた紅色は「紅の八しおの色」と言われるだけに鮮やかな深紅に染まったのであろうことが想像できる。

 

 もう一首もみてみよう。大伴家持の歌である。

 

題詞は、「潜鵜歌一首 幷短歌」<鵜(う)を潜(かづ)くる歌一首 幷(あは)せて短歌>である。

 

◆荒玉能 年徃更 春去者 花耳尓保布 安之比奇能 山下響 墜多藝知 流辟田乃 河瀬尓 年魚兒狭走 嶋津鳥 鵜養等母奈倍 可我理左之 奈頭佐比由氣婆 吾妹子我 可多見我氐良等 紅之 八塩尓染而 於己勢多流 服之襴毛 等寳利氐濃礼奴

                  (大伴家持 巻十九 四一五六)

≪書き下し≫あらたまの 年行きかはり 春されば 花のみにほふ あしひきの 山下(やました)響(とよ)み 落ち激(たぎ)ち 流る辟田(さきた)の 川の瀬に 鮎子(あゆこ)さ走(ばし)る 島つ鳥(とり) 鵜養(うかひ)伴(とも)なへ 篝(かがり)さし なづさひ行けば 我妹子(わぎもこ)が 形見(かたみ)がてらと 紅(くれなゐ)の 八(や)しほに染めて おこせたる 衣(ころも)の裾(すそ)も 通りて濡(ぬ)れぬ

 

(訳)年も改まって春がやって来ると、花々が一面に咲き匂う、山裾一帯を響かせて落ち激(たぎ)って流れる辟田川、その川の瀬には鮎がついついと走って飛び跳ねている。島つ鳥の鵜、その鵜飼の者どもを引き連れて篝火(かがりび)を焚き、流れにもまれて上(のぼ)って行くと、いとしい人が身代わりにもするようにと、紅花の八入(やしお)の色に念入り

み染め上げて、送ってくれた着物の裾も、底まで通って濡れてしまった。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)にほふ【匂ふ】自動詞:①美しく咲いている。美しく映える。②美しく染まる。(草木などの色に)染まる。③快く香る。香が漂う。④美しさがあふれている。美しさが輝いている。⑤恩を受ける。おかげをこうむる。(学研)ここでは①の意

(注の注)花のみにほふ:様々な花が一挙に咲き揃うことをいうか。

(注)流る辟田:「流るる辟田」に同じ。「辟田」は所在未詳。

(注)しまつとり【島つ鳥】分類枕詞:島にいる鳥の意から「鵜(う)」にかかる。 ※「つ」は「の」の意の上代の格助詞。(学研)

(注)かがり【篝】名詞:①かがり火をたくための鉄製のかご。②「かがりび」に同じ。(学研)

(注)なづさふ 自動詞:①水にもまれている。水に浮かび漂っている。②なれ親しむ。慕いなつく。(学研)

(注)おこす【遣す】他動詞:こちらへ送ってくる。よこす。(学研)

 

 「下にも着よと贈りたる衣」(三五八五歌)とあるように、別れの時など、自分の衣を相手に渡し身に着けてもらうことによっていつも一緒にいるという呪力に頼ったようであるが、四一五六歌の場合、都にいる大嬢が、越中の家持に、私を思い起こしてください(形見がてらに)と贈って来た「紅の八しおの衣」を家持は、いつも一緒にいるよ、とばかり衣装の下に着けたのだろうか。

 

 

 「紅の玉裳裾引く」、「紅の赤裳の裾の」、「紅の裾引く」などと詠った歌は、一二一八、一六七二、一七四二、二五五〇、二六五五、三九六九、三九七三歌に見られる。

 

 一六七二歌をみてみよう。

 

 ◆黒牛方 塩干乃浦乎 紅 玉裾須蘇延 徃者誰妻

               (作者未詳 巻九 一六七二)

 

≪書き下し≫黒牛潟(くろうしがた)潮干(しほひ)の浦を紅(くれない)の玉裳(たまも)裾引(すそび)き行くは誰が妻

 

(訳)黒牛潟の潮の引いた浦辺、この浦辺を、紅染(べにぞ)めのあでやかな裳裾を引きながら行く人、あれはいったい誰の妻なのか。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)黒牛潟:海南市黒江海岸

 

 黒牛潟の黒、海の青、波の白、その中でひときわ目立つ紅の玉裳裾。そしてあまりのあでやかさに「裾引(すそび)き行くは誰が妻」と、紅の色のイメージとドンピシャの表現である。

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その752)」で紹介している。

 ➡ こちら752

 

 一七四二歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1033)」で紹介している。

 ➡ こちら1033

 

 

 春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板によると、「『紅(クレナイ)』はエジプト原産の二年草で、飛鳥時代シルクロードを経て中国の呉の国から日本に伝わった『呉(クレ)の藍(アイ)』の意味で、現在の『紅浜(ベニハナ)』のことを指す。

 葉にはトゲがあり形が『薊(アザミ)』にそっくりで、夏に鮮やかな黄色い花が咲く。時が経つと朱色に変わり、花が淡い黄色や紅色の染料となって口紅などの化粧材料になる。口紅の花で『紅花(ベニバナ)』となる。

 花を摘む作業はトゲがチクチクと皮膚を刺すので、早朝、朝露でトゲが軟らかいうちに行うが、茎の末の方から花が咲き始めるのを摘み取ることから別名を『末摘花(スエツムハナ)』ともいう。(後略)」と書かれている。

 

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「ベニバナ」 (熊本大学薬学部 薬草園 「植物データベース」より引用させていただきました)

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)」

★「古代の恋愛生活 万葉集の恋歌を読む」 古橋信孝 著 (NHKブックス

★「春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板」

★「大伴家持 波乱にみちた万葉歌人の生涯」 藤井一二 著 (中公新書

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「熊本大学薬学部 薬草園 『植物データベース』」