万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1136)―奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(96)―万葉集 巻十六 三八二六

●歌は、「蓮葉はかくこそあるもの意吉麻呂が家にあるものは芋の葉にあらし」である。

 

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奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(96)万葉歌碑<プレート>(長忌寸意吉麻呂)

●歌碑(プレート)は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(96)にある。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「荷葉(はちすは)を詠む歌」である。

 

蓮葉者 如是許曽有物 意吉麻呂之 家在物者 宇毛乃葉尓有之

                (長忌寸意吉麻呂 巻十六 三八二六)

 

≪書き下し≫蓮葉(はちすば)はかくこそあるもの意吉麻呂(おきまろ)が家にあるものは芋(うも)の葉にあらし

 

(訳)蓮(はす)の葉というものは、まあ何とこういう姿のものであったのか。してみると、意吉麻呂の家にあるものなんかは、どうやら里芋(いも)の葉っぱだな。(同上)

(注)蓮葉:宴席の美女の譬え。

(注)宇毛乃葉:妻をおとしめて言った。芋(うも)に妹(いも)をかけた。

 

 蓮の葉を、宴席に侍る美女に喩え、これと比べて家に居る妻は芋の葉のようだとおとしめて笑いを誘っている宴会歌である。芋(うも)に妹(いも)を懸けたところまでなかなか洒落た歌である。

 

春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板によると、「『芋(ウモ)』は多年草の『里芋

サトイモ)』のことで、山に自然繁殖したヤマノイモに対し。里の民家で栽培されたのがサトイモと呼ばれる。葉はハスに似て大きく、表面は水をはじく。茎は地中にあってあまり伸びず肥大して芋になり、小芋・親芋ともに掘って煮て食す。葉柄は『芋茎(ズイキ)』と言って、干したりゆでて酢味噌などで食べる。(中略)主なイモ類は外来種で、17世紀初めに九州南部にサツマイモが、16世紀末にジャガイモがジャガタラから上陸した。ヤマイモはマレー半島付近、サトイモは『タロイモ』とも呼ばれビルマ、インドのアッサム地方の原産で、この2つは古く稲に先だって渡来した主食物であった。」と書かれている。

 

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サトイモの葉(JA西春日井HPより引用させていただきました。)

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ハスの葉 (野田市HP「草花図鑑」より引用させていただきました。)

 

 長忌寸意吉麻呂の歌は万葉集には十四種収録されている。大きく分けて羇旅の歌六首と物名歌八首である。この歌は、題詞「長忌寸意吉麻呂歌八首」<長忌寸意吉麻呂(ながのいみきおきまろ)が歌八首>のうちの一首である。

 この歌ならびに全十四首についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その987)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 「長忌寸意吉麻呂歌八首」に関して、上野 誠氏は、その著「万葉集の心を読む」(角川文庫)の中で、「・・・今日でいえば芸人的地位を有していたと考えられる歌人に、長忌寸意吉麻呂(ながのいみきおきまろ)という人物がいます。意吉麻呂については、持統(じとう)・文武(もんむ)朝に活躍したということしかわかりません。したがって、彼は柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)とほぼ同時代の人物ということになります。けれども、そのほかの履歴についてはまったく不明の人物です。意吉麻呂が巧みに歌を詠むということはおそらく有名で、ために宴席に招かれるということもあったのではないでしょうか。その場合には、当然、注文も出たはずです。そういった注文に応じて作ったと思われるのが、『長忌寸意吉麻呂が歌八首』(巻十六の三八二四-三八三一)であったと思われます。」と書かれている。

 

 この歌が収録されている巻十六の位置づけについてまとめてみよう。

 

 万葉集二十巻の構成は、大きく分けて、①巻一から巻六、②巻七から巻十六、③巻十七から巻二十、にくくられる。乱暴なまとめであるが、次のようにまとめられる。

  • 巻一から巻六は、白鳳時代から奈良時代という時間軸で列挙した歴史読本
  • 巻七から巻十二は、柿本人麻呂歌集を基軸に、巻十三・十四は、類題型式、巻十五・巻十六は特殊型式で集積させた空間軸で列挙した歌読本。
  • 巻十七から巻二十は家持の歌日記を時間軸時間軸で列挙した歌日記読本

 

 巻十六は②のくくりの末巻である。巻頭に「有由縁幷雑歌」<由縁(ゆゑん)有(あ)る雑歌(ざふか)>とあるように、歌物語を伴った歌、物名歌、軽い遊びの嗤(わら)い歌、国別歌、乞食者歌など様々な切り口で集められた形でまとめられている。極めて娯楽性の高い範疇に属している。

 

 巻七から巻十六について、神野志隆光氏は、その著「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」(東京大学出版会)のなかで、次のように書かれている。(長いが引用させていただきます。

 「巻七~十二において、人麻呂歌集歌を拡大するようにしてあらわしだした歌の世界のひろがりに対して、巻十三以下の巻々は、それぞれに違ったものがあります。長歌の可能性を開示した巻十三、東国まで定型短歌が広がることを証した巻十四、歌による「実録」のこころみをしめす巻十五、そして、歌物語をはじめとして、雑多な、歌においてありうるこころみをつくして見せる巻十六―この巻が巻七以後の展開の最後に位置するゆえんです―と、区々なのです。いわば扇状にひろがるといえます。

 巻七~十六の全体は、歌の世界の可能なひろがりということに帰されます。そうした見渡しをもったとき。巻一~巻六の「歴史」世界に対応するものとして、巻七~巻十六の位置づけは明確になります。端的に、「歴史」世界と、その基盤としての歌の世界のひろがりということにつきます。」

 

万葉集の時間軸と空間軸の世界、まだまだ未知のゾーンがある。挑戦し続けたい衝動に駆られる。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」 神野志隆光 著 (東京大学出版会

★「万葉集の心を読む」 上野 誠 著 (角川文庫)

★「JA西春日井HP」

★「草花図鑑」 (野田市HP)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」