万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1137)―奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(97)―万葉集 巻九 一七四二

●歌は、「しなでる 片足羽川の さ丹塗りの 大橋の上ゆ 紅の 赤裳裾引き 山藍もち 摺れる衣着て ただひとり い渡らす子は 若草の 夫かあるらむ 橿の実の ひとりか寝らむ 問はまくの 欲しき我妹が 家の知らなく」である。

 

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奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(97)万葉歌碑<プレート)(高橋虫麻呂

●歌碑(プレート)は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(97)にある。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「見河内大橋獨去娘子歌一首并短歌」<河内(かふち)の大橋を独り行く娘子(をとめ)を見る歌一首并(あは)せて短歌>である。

 

◆級照 片足羽河之 左丹塗 大橋之上従 紅 赤裳數十引 山藍用 摺衣服而 直獨 伊渡為兒者 若草乃 夫香有良武 橿實之 獨歟将宿 問巻乃 欲我妹之 家乃不知久

                 (高橋虫麻呂 巻九 一七四二)

 

≪書き下し≫しなでる 片足羽川(かたしはがは)の さ丹(に)塗(ぬ)りの 大橋の上(うへ)ゆ 紅(くれなゐ)の 赤裳(あかも)裾引(すそび)き 山藍(やまあゐ)もち 摺(す)れる衣(きぬ)着て ただひとり い渡らす子は 若草の 夫(つま)かあるらむ 橿(かし)の実の ひとりか寝(ぬ)らむ 問(と)はまくの 欲(ほ)しき我妹(わぎも)が 家の知らなく

 

(訳)ここ片足羽川のさ丹塗りの大橋、この橋の上を、紅に染めた美しい裳裾を長く引いて、山藍染めの薄青い着物を着てただ一人渡って行かれる子、あの子は若々しい夫がいる身なのか、それとも、橿の実のように独り夜を過ごす身なのか。妻どいに行きたいかわいい子だけども、どこのお人なのかその家がわからない。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)「しなでる」は片足羽川の「片」にかかる枕詞とされ、どのような意味かは不明です。(「歌の解説と万葉集柏原市HP)

(注)「片足羽川」は「カタアスハガハ」とも読み、ここでは「カタシハガハ」と読んでいます。これを石川と考える説もありますが、通説通りに大和川のことで間違いないようです。(同上)

(注)さにぬり【さ丹塗り】名詞:赤色に塗ること。また、赤く塗ったもの。※「さ」は接頭語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)くれないの【紅の】[枕]① 色の美しく、浅い意から、「色」「あさ」にかかる。② 紅花の汁の染料を「うつし」といい、また、紅を水に振り出して染め、灰汁(あく)で洗う意から、「うつし」「ふりいづ」「飽く」などにかかる。

(注)やまあい【山藍】:トウダイグサ科多年草。山中の林内に生える。茎は四稜あり、高さ約40センチメートル。葉は対生し、卵状長楕円形。雌雄異株。春から夏、葉腋ようえきに長い花穂をつける。古くは葉を藍染めの染料とした。(コトバンク 三省堂大辞林 第三版)

(注)わかくさの【若草の】分類枕詞:若草がみずみずしいところから、「妻」「夫(つま)」「妹(いも)」「新(にひ)」などにかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)かしのみの【橿の実の】の解説:[枕]樫の実、すなわちどんぐりは一つずつなるところから、「ひとり」「ひとつ」にかかる。(goo辞書)

 

 この歌については、柏原市役所近くの国道25号線「安堂交差点」脇の大和川治水記念公園にある歌碑と共に、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1013)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

高橋虫麻呂については、「歌の解説と万葉集柏原市HP)」に次のように書かれている。

 

  「『万葉集』に虫麻呂の歌は(一部当人かを疑問視するものも含め)、36首詠まれています。内訳は、長歌15首、短歌20首、旋頭歌1首で、長歌の多さが際立っています。虫麻呂は、地方の伝説について感情移入して詠んだ芸術的な作品が多く「伝説歌人」と呼ばれています。歌を聞く人を意識した意図的な思惑も感じられますが、あふれるばかりの感情ゆえとも理解できます。

 また歌風は、叙事性、抒情性に富み、写実的、具象的、現実的、客観的、色彩的、動的などと表現され、「抒情歌人」ともいわれています。その歌には夢想、幻想、幻影、願望、想念、空想、憧憬などが詠みこまれ、耽美的、官能的と言われる一方で、挫折、疎外、孤独、漂泊など虫麻呂の内面を重視する人も多くおり、犬養 孝氏は歌の背景となった虫麻呂の心情から「孤愁のひと」と呼んでいます。」

 

 高橋虫麻呂の歌三十六首を下記の分類で題詞のみで追ってみる。

 

 ■伝説、説話を素材とした作品(九首)

◇「上総(かみつふさ)の周淮(すゑ)の珠名娘子(たまなをとめ)を詠(よ)む一首幷(あは)せて短歌」(一七三八・一七三九歌)

◇「勝鹿(かつしか)の真間娘子(ままのをとめ)を詠む歌一首幷せて短歌」(一八〇七・一八〇八歌)

◇「菟原娘子(うなひをとめ)が墓を見る歌一首幷せて短歌」(一八〇九・一八一〇・一八一一歌)

◇「水江(みづのえ)の浦(うら)の島子(しまこ)を詠む歌一首幷せて短歌」(一七四〇・一七四一歌)

 

 「菟原娘子(うなひをとめ)が墓を見る歌一首幷せて短歌」についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1088)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 ■藤原宇合絡みの作品(八首)

◇「四年壬申(みづのえさる)に、藤原宇合卿(ふぢはらのうまかひのまへつきみ)、西海道(さいかいだう)の節度使(せつどし)に遣(つか)はさゆる時に、高橋連虫麻呂(たかはしのむらじむしまろ)が作る歌一首幷せて短歌」(九七一・九七二歌)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その512)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

◇「春の三月に、諸卿大夫等(まへつきみたち)が難波(なには)に下(くだ)る時の歌二首」(一七四七・一七四八歌、一七四九・一七五〇歌)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その188改)」で紹介している。(初期のブログであるのでタイトル写真には朝食の写真が掲載されていますが、「改」では、朝食の写真ならびに関連記事を削除し、一部改訂しております。ご容赦下さい。)

 ➡ 

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◇「難波(なには)の経宿(やど)りて明日(あくるひ)に還(かへ)り来(く)る時の歌一首幷せて短歌」(一七五一・一七五二歌)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その187改)」で紹介している。(188改同様です)

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 ■大伴卿絡みの作品(四首)

◇「検税使(けんせいし)大伴卿(おほとものまへつきみ)が、筑波山(つくはやま)に上る時の歌一首幷せて短歌」(一七五三・一七五四歌)

◇「鹿島(かしま)の郡(こほり)の刈野(かるの)の橋にして、大伴卿(おほとものまへつきみ)と別るる歌一首幷せて短歌」(一七八〇・一七八一)

 

 ■地方の土地の歌(十三首)

◇「富士の山を詠む歌一首幷せて短歌」(三一九・三二〇・三二一歌)

(注)万葉集の目録には「笠朝臣金村が歌の中に出づ」とある。

◇「武蔵(むざし)の小埼(をさき)の沼(ぬま)の鴨(かも)を見て作る歌一首」(一七四四歌)

◇「筑波山(つくはやま)に登らざりしことを惜しむ歌一首」(一四九七歌)

◇「那賀(なか)の郡(こほり)の曝井(さらしゐ)の歌一首」(一七四五歌)

◇「手綱(たづな)の浜の歌一首」(一七四六歌)

◇「筑波山(つくはやま)に登る歌一首幷せて短歌」(一七五七・一七五六歌)

◇「筑波嶺(つくはね)に登りて嬥歌会(かがひ)を為(す)る日に作る歌一首幷せて短歌」(一七五九・一七六〇歌)

◇「河内(かふち)の大橋を独り行く娘子(をとめ)を見る歌一首并せて短歌」(一七四二・一七四三歌)

 

 ■その他の歌(二首)

◇「霍公鳥(ほととぎす)を詠む一首幷せて短歌」(一七五五・一七五六歌)

 

 

 これらの歌を見て見ると、虫麻呂が日常的に生活していた「大和」の歌は一首もない。

柏原市HPの「歌の解説と万葉集」に書かれていたように「伝説歌人」と言われるのは、虫麻呂にとって「伝説の世界はもうひとつの現実の世界であった(注※)」からで、一七四二歌の河内の大橋の上の一人の女性に対して描いたことも、虫麻呂にとって非現実的な夢想の世界であるが、「その描写は精細をきわめ(注※)」、「夢想の精細さは、非現実が確かな事実だったからであり、非現実を現実としてそこに住んでいたのが虫麻呂だったといえる(注※)」からである。 ⇒(注※)は「古代史で楽しむ万葉集」(中西 進 著 角川ソフィア文庫)より引用させていただきました。

同氏はさらに同著に中で、「虫麻呂は現実のうつろな不安の中に、不安定な情緒をいだいて非現実の中にはいっていった。ではこの原郷喪失はなぜ生じたのか。わたしはそこに卑官の桎梏(しっこく)をのがれがたかった虫麻呂の姿を見る。おのが身の栄達など望み得べくもない官位、さりとて五斗米(ごとべい)を潔しとせず、役人生活を捨てることもかなわない己れ。」と書かれている。

 

 高橋虫麻呂万葉集における歌を網羅し、そこから虫麻呂の人となりを浮かび上がらせている。ともすれば「歌」だけをとらえて云々してしまいがちであるが、衝撃を与えられた感じである。

 万葉集へのアプローチの仕方が少しわかったが、それだけに奥深く巨大化するのが万葉集、挑戦あるのみとつくづく感じさせられたのである。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「古代史で楽しむ万葉集」 中西 進 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉の人びと」 犬養 孝 著 (新潮文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 三省堂大辞林 第三版」

★「goo辞書}

★「歌の解説と万葉集」 (柏原市HP)