●歌は、「梨棗黍に粟つぎ延ふ葛の後も逢はむと葵花咲く」である。
●歌碑は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(98)にある。
●歌をみてみよう。
◆成棗 寸三二粟嗣 延田葛乃 後毛将相跡 葵花咲
(作者未詳 巻十六 三八三四)
≪書き下し≫梨(なし)棗(なつめ)黍(きみ)に粟(あは)つぎ延(は)ふ葛(くず)の後(のち)も逢(あ)はむと葵(あふひ)花咲く
(訳)梨、棗、黍(きび)、それに粟(あわ)と次々に実っても、早々に離れた君と今は逢えないけれど、延び続ける葛のようにのちにでも逢うことができようと、葵(逢ふ日)の花が咲いている。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
(注)はふくずの「延(は)ふ葛(くず)の」枕詞:延びていく葛が今は別れていても先で逢うことがあるように、の意で「後も逢はむ」の枕詞になっている。
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その354)」で紹介している。
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宴席の戯れ歌、物名歌である。
この歌には、植物が六種類、詠まれている。梨(なし)・棗(なつめ)・黍(きみ)・粟(あは)・葛(くず)・葵(あふひ)である。
この六種類の植物が万葉集では何首位収録されているかみてみよう。
この歌のみに歌われている植物は、「黍」と「葵」である。
「梨」は三首、棗は二首、粟は五首、葛は二十首が収録されている。それぞれの歌をみてみよう。
まず「梨」である。
◆黄葉之 丹穂日者繁 然鞆 妻梨木乎 手折可佐寒
(作者未詳 巻十 二一八八)
≪書き下し≫黄葉(もみぢば)のにほひは繁(しげ)ししかれども妻(つま)梨(なし)の木を手折(たを)りかざさむ
(訳)あの山のもみじの色づきはとりどりだ。しかし、妻なしの私は梨の木を手折って挿頭(かざし)にしよう。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)にほひ【匂ひ】名詞:①(美しい)色あい。色つや。②(輝くような)美しさ。つややかな美しさ。③魅力。気品。④(よい)香り。におい。⑤栄華。威光。⑥(句に漂う)気分。余情。(俳諧用語)(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)ここでは①の意
(注)かざし【挿頭】名詞:花やその枝、のちには造花を、頭髪や冠などに挿すこと。また、その挿したもの。髪飾り。(学研)
(注)つまなし【妻梨】名詞:植物の梨(なし)の別名。「妻無し」に言いかけた語。(学研)
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その201改)」で紹介している。
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◆露霜乃 寒夕之 秋風丹 黄葉尓来之 妻梨之木者
(作者未詳 巻十 二一八九)
≪書き下し≫露霜(つゆしも)の寒き夕(ゆふへ)の秋風にもみちにけらし妻梨の木は
(訳)置く露のひとしお寒々とした夕(ゆうべ)、この夕方の秋風によって色づいたのであるらしい。妻なしという梨の木は。(同上)
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その318)」で紹介している。
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次は、「棗」である。
◆玉掃(たまばはき) 苅来鎌麻呂(かりこかままろ) 室乃樹(むろのきと) 與棗本(なつめがもとと) 可吉将掃為(かきはかむため)
(長忌寸意吉麻呂 巻十六 三八三〇)
(訳)鎌麿よ、玉掃を刈り取って来なさい。むろの木と棗の木の下を掃こうと思うから。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
この歌については、長忌寸意吉麻呂の全十四首とともにブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その987)」で紹介している。
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続いて「粟」である。
題詞は、「娘子報佐伯宿祢赤麻呂贈歌一首」<娘子(をとめ)、佐伯宿禰赤麻呂(さへきのすくねあかまろ)が贈る歌に報(こた)ふる一首>である。
◆千磐破 神之社四 無有世伐 春日之野邊 粟種益乎
(娘子 巻三 四〇四)
≪書き下し≫ちはやぶる神の社(やしろ)しなかりせば春日(かすが)の野辺(のへ)に粟(あは)蒔(ま)かましを
(訳)あのこわい神の社(やしろ)さえなかったら、春日の野辺に粟を蒔きましょうに―その野辺でお逢いしたいものですがね。おあいにくさまです。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)神の社:赤麻呂の妻の譬え
(注)「粟蒔く」と「逢はまく」をかけている。
題詞は、「佐伯宿祢赤麻呂更贈歌一首」<佐伯宿禰赤麻呂がさらに贈る歌一首>である。
◆春日野尓 粟種有世伐 待鹿尓 継而行益乎 社師怨焉
(佐伯赤麻呂 巻三 四〇五)
≪書き下し≫春日野(かすがの)に粟(あは)蒔(ま)けりせば鹿(しし)待ちに継(つ)ぎて行かましを社(やしろ)し恨(うら)めし
(訳)あなたが春日野に粟を蒔いたなら、鹿を狙いに毎日行きたいと思いますが、そこに恐ろしい神の社があることが恨めしく思われます。(同上)
(注)前句同様、「粟蒔く」と「逢はまく」をかけている。
四〇四、四〇五歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その360)」で紹介している。
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◆安思我良能 波I祢乃夜麻尓 安波麻吉弖 實登波奈礼留乎 阿波奈久毛安夜思
(作者未詳 巻十四 三三六四)
≪書き下し≫足柄(あしがら)の箱根(はこね)の山に粟(あは)蒔(ま)きて実(み)とはなれるを粟無(あはな)くもあやし
(訳)足柄の箱根の山に粟を蒔いて、無事に実ったというのに、粟がない―逢わないとは、まったくもって変だ。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)実とはなれる:仲が結ばれたことを匂わす。
◆左奈都良能 乎可尓安波麻伎 可奈之伎我 古麻波多具等毛 和波素登毛波自
(作者未詳 巻十四 三四五一)
≪書き下し≫左奈都良(さなつら)の岡に粟(あは)蒔(ま)き愛(かな)しきが駒(こま)は食(た)ぐとも我(わ)はそとも追(は)じ
(訳)左奈都良(さなつら)の岡に粟を蒔いているが、これがふさふさと実り、いとしいお方の馬、そのお馬がたとえそれを食べようとも、私はしっしっと追っ払ったりはすまい。(同上)
(注)粟蒔き:粟を蒔いて実らせ、それを。
(注)愛しきが駒は食ぐとも:愛しいお方の駒が食べても。
(注)そとも追(は)じ:しっしっと追っ払ったりはすまい
次は「葛」である。
「葛」が詠われている歌を大まかに分けると、①枕詞(10首)、②真葛原(3首)、③葛引く(2首)、④葛葉(4首)、⑤秋の七種(1首)となる。
それぞれをみてみよう。
■枕詞
「葛の根の」(四二三歌)、「夏葛の」(六四九歌)、「ま葛延(は)ふ」(九四八、一九八五、二八三五歌)、「延(は)ふ葛の」(四二三、一九〇一、三〇七二、四五〇八、四五〇九歌)
なお、「粟」のところで紹介した三三六四歌の「或本の歌の末句には『延(は)ふ葛の引かば寄り来(こ)ね下(した)なほなほに』といふ。」とある。
(注)なほなほに【直直に】副詞:まっすぐに。素直に。(学研)
代表例として四二三歌をみてみよう。「延(は)ふ葛(くず)の いや遠長く<一には「葛(くず)の根のいや遠長に」といふ> と二つの事例が見られる」
◆・・・九月能 四具礼能時者 黄葉乎 析挿頭跡 延葛乃 弥遠永<一云田葛根乃 弥遠長尓> 萬世尓 不絶等念而<一云大舟之念憑而> 将通・・・
(山前王 巻三 四二三)
≪書き下し≫・・・九月(ながつき)の しぐれの時は 黄葉(もみぢは)を 折りかざさむと 延(は)ふ葛(くず)の いや遠長く<一には「葛(くず)の根のいや遠長に」といふ> 万代(よろづよ)に 絶えじと思ひて<一には「大船の思ひたのみて」といふ> 通ひけむ・・・
(訳)・・・九月の時雨の頃には、ともに黄葉を手折って髪に挿そうと、そして、這う葛のようにますます末長く<葛の根のようにいよいよ末長く>いついつまでも仲睦(むつ)まじくしようと、こう思って<大船に乗ったように頼みにしきって>通ったことであろう・・・(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その286)」で紹介している。
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■「真葛原(葛が一面に生い茂る原)」として詠まれているのは、一三四六、二〇九六、三〇六九歌である。
代表例として二〇九六歌をみてみよう。
◆真葛原 名引秋風 毎吹 阿太乃大野之 芽子花散
(作者未詳 巻十 二〇九六)
≪書き下し≫真葛原(まくずはら)靡(なび)く秋風吹くごとに阿太(あだ)の大野(おほの)の萩の花散る
(訳)葛が一面に生い茂る原、その原を押し靡かせる秋の風が吹くたびに、阿太の大野の萩の花がはらはらと散る。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)阿太の大野:奈良県五條市阿太付近の野。大野は原野の意。
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その442)」で紹介している。
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■「葛引く」(葛の繊維から葛布を織る)という実用生活に欠かせない作業を詠ったのは、一二七二、一九四二歌である。
一九四二歌をみてみよう。
◆霍公鳥 鳴音聞哉 宇能花乃 開落岳尓 田葛引▼嬬
(作者未詳 巻十 一九四二)
▼は、「女偏に感」→「▼嬬」で「をとめ」
≪書き下し≫ほととぎす鳴く声聞くや卯(う)の花の咲き散る岡(をか)に葛(くず)引く娘子(をとめ)
(訳)もう時鳥の鳴声を聞きましたか。卯の花が咲いては散るこの岡で、葛を引いている娘さんよ。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)葛引く:葛布を作るための葛の繊維を取るために収穫すること。
■「葛葉」を詠んだのは、二二〇八、二二九五、三〇六八、三四一二歌がある。
「葛の裏風」というのは、クズの葉は微風でも裏返って白い裏葉を見せることをいう。三〇六八歌をみてみよう。
◆水茎之 岡乃田葛葉緒 吹變 面知兒等之 不見比鴨
(作者未詳 巻十二 三〇六八)
≪書き下し≫水茎(みづくき)の岡の葛葉(くずは)を吹きかへし面(おも)知る子らが見えぬころかも
(訳)岡の葛(くず)の葉を吹き返して裏葉の白さが目につくように、はっきりと顔を見知っているあの子がいっこうに姿を見せない今日このごろだ。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)上三句は序。「面知る」を起こす。
(注)みづくきの【水茎の】分類枕詞:①同音の繰り返しから「水城(みづき)」にかかる。②「岡(をか)」にかかる。かかる理由は未詳。 ⇒ 参考 中古以後、「みづくき」を筆の意にとり、「水茎の跡」で筆跡の意としたところから、「跡」「流れ」「行方も知らず」などにかかる枕詞(まくらことば)のようにも用いられた。
■秋の七種として
◆芽之花 乎花葛花 瞿麦之花 姫部志 又藤袴 朝顔之花 其二
(山上憶良 巻八 一五三八)
※「朝顔」と「顔」の字を用いているが、「白の下に八」であるが、
漢字が見当たらなかったため「顔」としている。
≪書き下し≫萩の花 尾花(をばな) 葛花(くずはな) なでしこの花 をみなへし また藤袴(ふぢはかま) 朝顔の花
(訳)一つ萩の花、二つ尾花、三つに葛の花、四つになでしこの花、うんさよう、五つにおみなえし。ほら、それにまだあるぞ、六つ藤袴、七つ朝顔の花。うんさよう、これが秋の七種の花なのさ。(伊藤 博著「萬葉集 二」角川ソフィア文庫より)
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その61改、62改)」で紹介している。(初期のブログであるのでタイトル写真には朝食の写真が掲載されていますが、「改」では、朝食の写真ならびに関連記事を削除し、一部改訂しております。ご容赦ください。)
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それぞれの植物をみてくると、万葉びとの植物観察力の鋭さが浮かび上がってくる。こういったことも万葉集という記録があってはじめて可能になる。万葉集に感謝と言うより平伏してしまう。
春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板には、「あふひ」が次のように解説されている。
「万葉集の中の『あふひ』は『冬葵(フユアオイ)』のことで、中国から渡来の多年草である。『アオイ』の名の由来は日を仰ぐの意味と、葉が日に向かって集まることからで、アオイを名に持つ植物は多種ある。草丈60~70センチで春から秋に咲くが、冬になっても咲き続ける。渡来当時は葉を塩漬けにして食用し、実は『冬葵子(トウキシ)』と呼び利尿薬として栽培していた。中国や韓国では今でも野菜として栽培しており、くせがなくおいしく、葉を焼肉に巻いて食べるという。(後略)」
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「植物データベース」 (熊本大学薬学部 薬草園HP)