万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その987)―名古屋市千種区東山元町 東山植物園(6)―万葉集 巻一 五七

●歌は、「引馬野ににほふ榛原入り乱れ衣にほはせ旅のしるしに」である。

 

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名古屋市千種区東山元町 東山植物園(6)万葉歌碑<長忌寸意吉麻呂>

●歌碑(プレート)は、名古屋市千種区東山元町 東山植物園(6)にある。

 

●歌をみていこう。

 

  題詞は、「二年壬寅太上天皇幸于参河國時歌」<二年壬寅(みずのえとら)に、太上天皇(おほきすめらみこと)、三河の国に幸(いでま)す時の歌>である。

 

◆引馬野尓 仁保布榛原 入乱 衣尓保波勢 多鼻能知師尓

               (長忌寸意吉麻呂 巻一 五七)

 

≪書き下し≫引馬野(ひくまの)ににほふ榛原(はりはら)入り乱れ衣にほはせ旅のしるしに

 

(訳)引馬野(ひくまの)に色づきわたる榛(はり)の原、この中にみんな入り乱れて衣を染めなさい。旅の記念(しるし)に。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)引馬野(ひくまの):愛知県豊川市(とよかわし)御津(みと)町の一地区。『万葉集』に「引馬野ににほふ榛原(はりばら)入り乱れ衣にほはせ旅のしるしに」と歌われた引馬野は、豊川市御津町御馬(おんま)一帯で、古代は三河国国府(こくふ)の外港、近世は三河五箇所湊(ごかしょみなと)の一つだった。音羽(おとわ)川河口の低湿地に位置し、引馬神社がある。(コトバンク 日本大百科全書<ニッポニカ>)

(注)はり【榛】名詞:はんの木。実と樹皮が染料になる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)にほふ【匂ふ】:自動詞 ①美しく咲いている。美しく映える。②美しく染まる。(草木などの色に)染まる。③快く香る。香が漂う。④美しさがあふれている。美しさが輝いている。⑤恩を受ける。おかげをこうむる。

他動詞:①香りを漂わせる。香らせる。②染める。色づける。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

左注は、「右一首長忌寸奥麻呂」<右の一首は長忌寸意吉麻呂(ながのいみきおきまろ)>である。

 

 この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その265)で紹介している。

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長忌寸意吉麻呂(ながのいみきおきまろ)については、「コトバンク 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版」に、「《万葉集》第2期(壬申の乱後~奈良遷都),藤原京時代の歌人。生没年不詳。姓(かばね)は長忌寸(ながのいみき)で渡来系か。名は奥麻呂とも記す。柿本人麻呂と同時代に活躍,短歌のみ14首を残す。699年(文武3)のおりと思われる難波行幸に従い,詔にこたえる歌を作り,701年(大宝1)の紀伊国行幸(持統上皇文武天皇),翌年の三河国行幸(持統上皇)にも従って作品を残す。これらを含めて旅の歌6首がある。ほかの8首はすべて宴席などで会衆の要望にこたえた歌で,数種のものを詠み込む歌や滑稽な歌などを即妙に曲芸的に作るのを得意とする」とある。

 

五七歌以外の旅の歌五首と物名歌等宴会での八首をみてみよう。

 

【羇旅の歌】

 

有間皇子の「結び松」を見て哀咽(かな)しぶる歌二首である。

◆磐代乃 崖之松枝 将結 人者反而 復将見鴨

              (長忌寸意麻呂 巻二 一四三)

 

≪書き下し≫岩代の崖(きし)の松が枝結びけむ人は帰りてまた見けむかも

 

(訳)岩代の崖のほとりの松が枝、この枝を結んだというそのお方は、立ち帰って再びこの松をご覧になったことであろうか。(同上)

 

◆磐代乃 野中尓立有 結松 情毛不解 古所念

              (長忌寸意麻呂 巻二 一四四)

 

≪書き下し≫岩代(いはしろ)の野中(のなか)に立てる結び松心も解(と)けずいにしへ思ほゆ

 

(訳)岩代の野中に立っている結び松よ、お前の結び目のように、私の心もふさぎ結ぼおれて、去(い)にし時代のことが思われてならない。(同上)

 

 この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その478)」で紹介している。

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三首目は、文武三年(699年)正月から二月に行われた持統上皇文武天皇の難波行幸の時に詠った歌である。

 

◆大宮之 内二手所聞 網引為跡 網子調流 海人之呼聲

               (長忌寸意麻呂 巻三 二三八)

 

≪書き下し≫大宮の内まで聞こゆ網引(あびき)すと網子(あご)ととのふる海人(あま)の呼(よ)び声(こゑ)

 

(訳)御殿の内まで聞こえてくる。網を引くとて。網子(あみこ)たちを指揮する漁師の掛け声が。(同上)

 

 

四首目は、「三輪の崎」あたりで詠った歌である。

 

◆苦毛 零来雨可 神之崎 狭野乃渡尓 古所念

                              (長忌寸意吉麿 巻三 二六五)

 

≪書き下し≫苦しくも降り来る雨か三輪の崎狭野の渡りに家もあらなくに

 

(訳)何とも心せつなく降ってくる雨であることか。三輪の崎の佐野の渡し場に、くつろげる我が家があるわけでもないのに。(伊藤 博 著 「万葉集 一」角川ソフィア文庫より)

 

 詠われている「三輪の崎」について同著の脚注は、「新宮市三輪崎および佐野一帯という」とある。

 

 この歌碑が立っていた場所の近くの橋は式島橋であるがその上の橋は「新佐野渡橋」である。(桜井市の橋一覧 橋の名前を調べる地図参照)

この辺りは、三輪山の裾野であるから、三輪の崎という地名と佐野の渡しを踏まえて歌碑を建てたようである。

というより、三輪山の先っぽ的感覚でとらえたら面白い気がする。

 

 この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その92改)」で紹介している。初期のブログの為タイトル写真には朝食が写っているが、本文は改訂し削除してあります。ご容赦ください。

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 六首目は、大宝元年(701年)十月に持統天皇文武天皇紀伊の国に行幸された時の歌である。

 

題詞「大宝元年辛丑(かのとうし)の冬の十月に、太上天皇(おほきすめらみこと)・大行天皇(さきのすめらみいこと)、紀伊の国(きのくに)に幸(いでま)す時の歌十三首」のうちの一六七三歌には左注があり、「右の一首は、山上臣憶良が類聚歌林には『長忌寸意吉麻呂、詔(みことのり)に応(こた)へてこの歌を作る』といふ」とある。

 

◆風莫乃 濱之白浪 徒 於斯依久流 見人無  <一云 於斯依来藻>

               (作者未詳 巻九 一六七三)

 

≪書き下し≫風莫(かぎなし)の浜の白波いたづらにここに寄せ来(く)る見る人なしに  <一には「ここに寄せ来も」と云ふ>

 

(訳)風莫(かぎなし)の浜の静かな白波、この波はただ空しくここに寄せてくるばかりだ。見て賞(め)でろ人もないままに。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より))

(注)風莫(かぎなし)の浜:黒牛潟の称か。

 

 この歌群(一六六七から一六七九歌)の十三首すべてについては、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その742)」で紹介している。

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次に宴会等で詠われた「物名歌」などをみてみよう。

 標題は、「長忌寸意吉麻呂歌八首」<長忌寸意吉麻呂(ながのいみきおきまろ)が歌八首>であり、三八二四~三八三一歌の歌群となっている。

 

◆刺名倍尓 湯和可世子等 櫟津乃 檜橋従来許武 狐尓安牟佐武

               (長忌寸意吉麻呂 巻十六 三八二四)

 

≪書き下し≫さし鍋(なべ)に湯沸(わ)かせ子ども櫟津(いちひつ)の檜橋(ひばし)より来(こ)む狐(きつね)に浴(あ)むさむ

 

(訳)さし鍋の中に湯を沸かせよ、ご一同。櫟津(いちいつ)の檜橋(ひばし)を渡って、コムコムとやって来る狐に浴びせてやるのだ。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)さすなべ【(銚子)】:柄と注口(つぎぐち)のついた鍋、さしなべ。

 

 

題詞は、「行騰(むかばき)、蔓菁(あをな)、食薦(すごも)、屋梁(うつはり)を詠む歌」である。

 

◆食薦敷 蔓菁▼将来 樑尓 行騰懸而 息此公

               (長忌寸意吉麻呂 巻十六 三八二五)

  • ▼は「者」に下に「火」=「煮」

 

≪書き下し≫食薦(すごも)敷き青菜煮(に)て来(こ)む梁(うつはり)に行縢(むかばき)懸(か)けて休めこの君

 

(訳)食薦(すごも)を敷いて用意し、おっつけ青菜を煮て持ってきましょう。行縢(むかばき)を解いてそこの梁(はり)に引っ懸(か)けて、休んでいて下さいな。お越しの旦那さん。(同上)

(注)すごも 【簀薦・食薦】名詞:食事のときに食膳(しよくぜん)の下に敷く敷物。竹や、こも・いぐさの類を「簾(す)」のように編んだもの。(学研)

(注)樑(うつはり):家の柱に懸け渡す梁

(注)むかばき【行縢】名詞:旅行・狩猟・流鏑馬(やぶさめ)などで馬に乗る際に、腰から前面に垂らして、脚や袴(はかま)を覆うもの。多く、しか・くまなどの毛皮で作る。

 

 

題詞は、「荷葉(はちすは)を詠む歌」である。

 

蓮葉者 如是許曽有物 意吉麻呂之 家在物者 宇毛乃葉尓有之

                (長忌寸意吉麻呂 巻十六 三八二六)

 

≪書き下し≫蓮葉(はちすば)はかくこそあるもの意吉麻呂(おきまろ)が家にあるものは芋(うも)の葉にあらし

 

(訳)蓮(はす)の葉というものは、まあ何とこういう姿のものであったのか。してみると、意吉麻呂の家にあるものなんかは、どうやら里芋(いも)の葉っぱだな。(同上)

(注)蓮葉:宴席の美女の譬え。

(注)宇毛乃葉:妻をおとしめて言った。芋(うも)に妹(いも)をかけた。

 

 ここにいう「芋(うも)」は、現在の「里芋」である。日本にはイネよりも早く伝わっている。昔から食用にしていた「山芋(やまいも)」(自然生<じねんじょう>)に対し、里(人の住むところ)で栽培したので「里芋」という。

蓮は、きれいな花を咲かせるので、美人の形容とされていた。

 

 

題詞は、「双六(すごろく)の頭(さえ)を詠む歌」である。

 

◆一二之目(いちにのめ) 耳不有(のみにはあらず) 五六三(ごろくさむ) 四佐倍有来(しさへありける) 雙六乃佐叡(すぐろくのさえ)

               (長忌寸意吉麻呂 巻十六 三八二七)

 

≪書き下し≫一二之目(いちに)の目のみにはあらず五六三四(ごろくさむしさへありけり 双六(すぐろく)の頭(さえ)

 

(訳)一、二の黒目だけじゃない。五、六の黒目、三と四の赤目さえあったわい。双六の賽ころには。(同上)

 

 

題詞は、「香(かう)、塔(たふ)、厠(かはや)、屎(くそ)、鮒(ふな)、奴(やつこ)を詠む歌」である。

 

◆香塗流 塔尓莫依 川隈乃 屎鮒喫有 痛女奴

            (長忌寸意吉麻呂 巻十六 三八二八)

 

≪書き下し≫香(かう)塗(ぬ)れる塔(たふ)にな寄りそ川隈(かはくま)の屎鮒(くそぶな)食(は)めるいたき女(め)奴(やつこ)

 

(訳)香を塗りこめた清らかな塔に近寄ってほしくないな。川の隅に集まるある屎鮒(くそぶな)など食って、ひどく臭くてきたない女奴よ。(同上)

(注)いたし【痛し・甚し】形容詞:①痛い。▽肉体的に。②苦痛だ。痛い。つらい。▽精神的に。③甚だしい。ひどい。④すばらしい。感にたえない。⑤見ていられない。情けない。(学研)ここでは、⑤

 

 

題詞は、「酢(す)、醤(ひしほ)、蒜(ひる)、鯛(たひ)、水葱(なぎ)を詠む歌」である。

 

◆醤酢尓 蒜都伎合而 鯛願 吾尓勿所見 水葱乃▼物

(長忌寸意吉麻呂 巻十六 三八二九)

※   ▼は、「者」の下が「灬」でなく「火」である。「▼+物」で「あつもの」

 

≪書き下し≫醤酢(ひしほす)に蒜(ひる)搗(つ)き合(か)てて鯛願ふ我(われ)にな見えそ水葱(なぎ)の羹(あつもの)は

 

(訳)醤(ひしお)に酢を加え蒜(ひる)をつき混ぜたたれを作って、鯛(たい)がほしいと思っているこの私の目に、見えてくれるなよ。水葱(なぎ)の吸物なんかは。(同上)

 

 

題詞は、「玉掃(たまばはき)、鎌(かま)、天木香(むろ)、棗(なつめ)を詠む歌」である。

 

◆玉掃(たまばはき) 苅来鎌麻呂(かりこかままろ) 室乃樹(むろのきと) 與棗本(なつめがもとと) 可吉将掃為(かきはかむため)

               (長忌寸意吉麻呂 巻十六 三八三〇)

 

(訳)鎌麿よ、玉掃を刈り取って来なさい。むろの木と棗の木の下を掃こうと思うから。(同上)

 

  題詞が、「詠白鷺啄木飛歌」<白鷺(しらさぎ)の木を啄(く)ひて飛ぶを詠む歌>一首である。

 

 ◆池神 力士舞可母 白鷺乃 桙啄持而 飛渡良武

                             (長忌寸意吉麻呂 巻十六 三八三一)

 

≪書き下し≫池神の力士舞かも白鷺の桙啄ひ持ちて飛び渡るらむ

 

(訳)池の神の演じたまう力士舞(りきじまい)とでもいうのであろうか、白鷺が長柄の桙(ほこ)をくわえて飛び渡っている。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)りきじまひ【力士舞ひ】名詞:「伎楽(ぎがく)」の舞の一つ。「金剛力士(こんがうりきし)」の扮装(ふんそう)をして、鉾(ほこ)などを持って舞う。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

この歌群(三八二四から三八三一歌)については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その380)」で紹介している。

 

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」 神野志隆光 著 (東京大学出版会

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」