万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その597,598,599)―西田公園万葉植物苑(32,33,34)―万葉集 巻七 一三一一、巻八 一五〇〇、巻十一 二四五六 

―その597―

●歌は、「橡の衣は人皆事なしと言ひし時より着欲しく思ほゆ」である。

 

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西田公園万葉植物苑(32)万葉歌碑(作者未詳)

●歌碑は、西田公園万葉植物苑(32)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆橡 衣人皆 事無跡 日師時従 欲服所念

                                   (作者未詳 巻七 一三一一)

 

≪書き下し≫橡(つるはみ)の衣(きぬ)は人(ひと)皆(みな)事なしと言ひし時より着欲(きほ)しく思ほゆ

 

(訳)橡染(つるばみぞ)めの着物は、世間の人の誰にも無難に着こなせるというのを聞いてからというもの、ぜひ着てみたいと思っている。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)つるばみ【橡】名詞:①くぬぎの実。「どんぐり」の古名。②染め色の一つ。①のかさを煮た汁で染めた、濃いねずみ色。上代には身分の低い者の衣服の色として、中古には四位以上の「袍(はう)」の色や喪服の色として用いた。 ※古くは「つるはみ」。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)ことなし【事無し】形容詞:①平穏無事である。何事もない。②心配なことがない。③取り立ててすることがない。たいした用事もない。④たやすい。容易だ。⑤非難すべき点がない。欠点がない。(学研) ここでは④の意 ➡「男女間のわずらわしさがない」の譬え

 

 「橡の衣」を身分の低い女性に喩え、身分違いのそのような気安い(着やすい)女性を妻にしたいと考えている男の歌である。日頃の思いと逆に逃避した心境であろうか。

 

 「つるはみ」は、万葉集では六首詠まれている。他の五首の書き下しと訳をあげておく。

 

 

◆橡(つるはみ)の解(と)き洗(あら)ひ衣(きぬ)のあやしくもことに着欲(きほ)しきこの夕(ゆうへ)かも

               (作者未詳 巻七 一三一四)

 

(訳)橡(つるはみ)の洗いざらしの着物が、我ながら不思議に、格別に着てみたくてならない、今日のこの夕暮れよ。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)昔から慣れ親しんできた身分の低い女の譬え。

 

◆橡の袷(あわせ)の衣(ころも)裏(うら)にせば我(わ)れ強(し)ひめやも君が来まさぬ

               (作者未詳 巻七 二九六五)

 

(訳)橡色の袷(あわせ)の着物、その着物を裏返すように、私にはもう用がないというのなら、私としたことが無理強いしたりするものか。いくら待ってもあの方はおいでにならない。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)上二句「橡の袷(あわせ)の衣(ころも)」は「裏(うら)にせば」を起こす。

 

◆橡の一重(ひとへ)の衣(ころも)うらもなくあるらむ子ゆゑ恋ひわたるかも

               (作者未詳 巻十二 二九六八)

 

(訳)橡色の一重の着物、その着物に裏がないように、さっぱりその気もない子であるのに、綿足はずっと焦がれている。(同上)

(注)上二句「橡の一重(ひとへ)の衣(ころも)」は「うらもなく」を起こす。

 

◆橡の衣(きぬ)解(と)き洗ひ真土山(まつちやま)本(もと)つ人にはなほ及(し)かずけり

             (作者未詳 巻十二 三〇〇九)

 

(訳)橡染めの地味な着物を解いて洗ってまた打つという、真土山の名のような、本(もと)つ人―――古馴染の女房には、やっぱりどの女も及ばなかったわい。(同上)

(注)上二句「橡の衣(きぬ)解(と)き洗ひ」は、マタ打ツの意で「真土」を、上三句は、マツチの類音で「本(もと)つ」を起こす。

 

 

◆紅(くれなゐ)はうつろふものぞ橡のなれにし衣(きぬ)になほしかめやも

               (大伴家持 巻十八 四一〇九)

 

(訳)見た目鮮やかでも紅は色褪せやすいもの。地味な橡色の着古した着物に、やっぱりかなうはずがあるものか。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)「紅」は、浮気の相手(ここでは左夫流子)、「橡のなれにし衣(きぬ)」は女房の譬え➡家持が、越中時代に部下の尾張少咋(をはりのをくい)の浮気を教え諭した歌である。

 

「橡(色の衣)」は、地味であるが、それゆえ存在感のある女性に喩えられている。

 

 

―その598―

●歌は、「夏の野の茂みに咲ける姫百合の知らえぬ恋はくるしきものぞ」である。

 

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西田公園万葉植物苑(33)万葉歌碑(大伴坂上郎女

●歌碑は、西田公園万葉植物苑(33)にある。

 

●歌をみていこう。

この歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その329)」で紹介している。

 

◆夏野之 繁見丹開有 姫由理乃 不所知戀者 苦物曽

              (大伴坂上郎女 巻八 一五〇〇)

 

≪書き下し≫夏の野の茂(しげ)みに咲ける姫(ひめ)百合(ゆり)の知らえぬ恋は苦しきものぞ

 

(訳)夏の野の草むらにひっそりと咲いている姫百合、それが人に気づかれないように、あの人に知ってもらえない恋は、苦しいものです。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

 

 題詞は、「大伴坂上郎女歌一首」<大伴坂上郎女が歌一首>である。

 

 「夏の野の茂(しげ)みに咲ける姫(ひめ)百合(ゆり)の」の美しい上三句の序があって初めて、作者大伴坂上郎女の相手に知られずに悩む一人の女性としての可憐な姿を浮かび上がらせるのである。

 姫百合は近畿地方以西に分布し五~七月に濃い赤色の花を咲かせる。「知らえぬ恋」とは、相手に知ってもらえない恋の苦しさを訴えるもので、夏の野の茂みの中で、人には知られないものの、ひとり美しい赤色の花を咲かせている姫百合に思いを重ねた歌である。

 

ヒメユリを詠んだ歌は、この一首のみである。

 

 大伴坂上郎女は、万葉第三期から第四期にかけての大歌人である。万葉集には、長歌六首、短歌七十七首、旋頭歌一首、合計八十四首が収録されている。大伴家持に対しては、叔母として、さらに娘の坂上大嬢(さかのうえのおおいらつめ)を嫁がせてからは、慈愛はますます深くなり、家持への歌の開眼から発展に与えた影響は極めて大きいといえる。

 

 

 

―その599―

●歌は、「ぬばたまの黒髪山の山菅に小雨降りしき しくしく思ほゆ」である。

 

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西田公園万葉植物苑(34)万葉歌碑(作者未詳)

●歌碑は、西田公園万葉植物苑(34)にある。

 

●歌をみていこう。

この歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その16)」で紹介している。

 

◆烏玉 黒髪山 山草 小雨零敷 益ゝ所思

                 (作者未詳 巻十一 二四五六)

 

≪書き下し≫ぬばたまの黒髪山(くろかみやま)の山菅(やますげ)に小雨(こさめ)降りしきしくしく思(おも)ほゆ

 

(訳)みずみずしい黒髪山の山菅、その菅に小雨が降りしきりるように、あの人のことがしきりに思われてならない。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)黒髪山:所在未詳。奈良市佐保山の一部とも。 

(注)上四句「烏玉 黒髪山 山草 小雨零敷」は序、「益ゝ(しくしく)」を起こす。

(注)しくしく(と・に)【頻く頻く(と・に)】副詞:うち続いて。しきりに。(学研)

 

  奈良ドリームランド跡地やその北側の丘陵は昔から黒髪山と呼ばれてきた。鴻ノ池運動公園の前の道は、奈良から京都に行くのに越えていく山路である。

「大仏鉄道」は、明治時代の鉄道会社で、加茂と奈良を営業路線としていたが、開業わずか九年で廃止となった。奈良と京都の県境辺りに「黒髪山トンネル」があった。今もこの辺りには「黒髪山」の地名にちなんだ呼称があちこちで見られる。

 

 「やますげ」は、ヤブランかジャノヒゲといわれている。その根は土や岩に食い込んでいる。その根の様子が恋心の深さ、強さを連想させたものと思われる。「やますげ」を詠んだ歌は、やむことのない一途な恋心を詠った歌が多いのである。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「万葉の人びと」 犬養 孝 著 (新潮文庫

★「万葉の大和路」 犬養 孝/文 入江泰吉/写真 (旺文社文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」