万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1857~1859)―松山市御幸町 護国神社・万葉苑(22,23,24)―万葉集 巻二 一四一、巻十一 二四四八、巻二十 四四四八

―その1857―

●歌は、「岩代の浜松が枝を引き結びま幸くあらばまた返り見む」である。

松山市御幸町 護国神社・万葉苑(22)万葉歌碑<プレート>(有間皇子

●歌碑(プレート)は、松山市御幸町 護国神社・万葉苑(22)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆磐白乃 濱松之枝乎 引結 真幸有者 亦還見武

       (有間皇子 巻二 一四一)

 

≪書き下し≫岩代(いはしろ)の浜松が枝(え)を引き結びま幸(さき)くあらばまた帰り見む

 

(訳)ああ、私は今、岩代の浜松の枝と枝を引き結んでいく、もし万一この願いがかなって無事でいられたなら、またここに立ち帰ってこの松を見ることがあろう。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

 

 この歌については、有間皇子結松記念碑とともにブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その番外岩代)」で紹介している。

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 有間皇子のお墓や藤白神社についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その747)」で紹介している。

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―その1858―

●歌は、「白玉の間開けつつ貫ける緒もくくり寄すれば後もあふものを」である。

松山市御幸町 護国神社・万葉苑(23)万葉歌碑<プレート>(柿本人麻呂歌集)

●歌碑は、松山市御幸町 護国神社・万葉苑(23)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆白玉 間開乍 貫緒 縛依 後相物

       (柿本人麻呂歌集 巻十一 二四四八)

 

≪書き下し≫白玉の間(あひだ)開(あ)けつつ貫(ぬ)ける緒(を)もくくり寄すれば後(のち)もあふものを

 

(訳)白玉と白玉とのあいだを空けて通した紐も、括(くく)り寄せると、玉はやがてくっつくというではないか。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)玉が寄ってくっつくというではないか。やがては一緒になれることを暗示した譬喩歌。(伊藤脚注)

 

 部立「寄物陳思」のなかにあり、二四四五から二四四八歌四首は、「玉に寄せる恋」を詠った「一連で、二四四八歌はその結び」(伊藤脚注)となっている。

 

 二四四五から二四四七歌もみてみよう。

 

◆淡海ゝ 沈白玉 不知 従戀者 今益

       (柿本人麻呂歌集 巻十一 二四四五)

 

≪書き下し≫近江(あふみ)の海(海)沈(しづ)く白玉(しらたま)知らずして恋ひせしよりは今こそまされ

 

(訳)近江の海の沈んでいる玉ではないが、よく知らないままに恋い焦がれていた時よりは、ねんごろになった今の方が、ますます思いがつのる。(同上)

(注)上二句は序。「知らず」を起す。

 

 

◆白玉 纒持 従今 吾玉為 知時谷

       (柿本人麻呂歌集 巻十一 二四四六)

 

≪書き下し≫白玉を巻(ま)きてぞ持てる今よりは我(わ)が玉にせむ知れる時だに

 

(訳)白玉を、今、私は手に纏(ま)き持っている。この玉はもう、今から私だけのものなのだ。自分のものとしているかけがえのないこんな時だけでも。(同上)

(注)上二句は女との共寝の譬え。(伊藤脚注)

(注)知れる時だに:親の目を盗んでねんごろに逢っている時だけでも、の意か。(伊藤脚(注)だに 副助詞:《接続》体言、活用語の連体形、助詞などに付く。①〔最小限の限度〕せめて…だけでも。せめて…なりとも。▽命令・願望・意志などの表現を伴って。②〔ある事物・状態を取り立てて強調し、他を当然のこととして暗示、または類推させる〕…だって。…でさえ。…すら。▽下に打消の語を伴って。 ⇒参考:②の「…さえ」の意味は、上代は「すら」が、中古は「だに」が、中世は「さへ」が表す。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)ここでは②の意

 

 

◆白玉 従手纒 不忘 念 何畢

       (柿本人麻呂歌集 巻十一 二四四七)

 

≪書き下し≫白玉を手に巻きしより忘れじと思ひけらくは何(なに)か終(おは)らむ

 

(訳)白玉を手に纏(ま)き持つことができてこのかた、この玉のことをけっして忘れまいと思ってきた気持ちは、どうして果てることがあろうか。(同上)

(注)けらく:…したこと。…したことには。 ※派生語。 ⇒なりたち:過去の助動詞「けり」の未然形+接尾語「く」(学研)

(注)なにか【何か】副詞:どうして…か。なぜ…か。どうして…か、いや、…ない。▽疑問・反語の意を表す。(学研)

 

 二四四七歌は略体歌の典型の十文字構成になっている。略体歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その71改)で紹介している。

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―その1859―

●歌は、「あぢさゐの八重咲くごとく八つ代にをいませ我が背子見つつ偲はむ」である。

松山市御幸町 護国神社・万葉苑(24)万葉歌碑<プレート>(橘諸兄

●歌碑は、松山市御幸町 護国神社・万葉苑(24)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆安治佐為能 夜敝佐久其等久 夜都与尓乎 伊麻世和我勢故 美都ゝ思努波牟

       (橘諸兄 巻二十 四四四八)

 

≪書き下し≫あぢさいの八重(やへ)咲くごとく八(や)つ代(よ)にをいませ我が背子(せこ)見つつ偲ばむ

 

(訳)あじさいが次々と色どりを変えてま新しく咲くように、幾年月ののちまでもお元気でいらっしゃい、あなた。あじさいをみるたびにあなたをお偲びしましょう。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)八重(やへ)咲く:次々と色どりを変えてま新しそうに咲くように。あじさいは色の変わるごとに新しい花が咲くような印象をあたえる。(伊藤脚注)

(注)八(や)つ代(よ):幾久しく。上の「八重」を承けて「八つ代」といったもの。(伊藤脚注)

(注)います【坐す・在す】[一]自動詞:①いらっしゃる。おいでになる。▽「あり」の尊敬語。②おでかけになる。おいでになる。▽「行く」「来(く)」の尊敬語。(学研)

 

 左注は、「右一首左大臣寄味狭藍花詠也」≪右の一首は、左大臣、味狭藍(あじさゐ)の花に寄せて詠(よ)む。>である。

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その967)」で紹介している。

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 諸兄と家持との接点等についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その982)」で紹介している。

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 また「あぢさい」を詠んだ歌は万葉集では二首のみである。もう一首は家持の七七三歌である。

 こちらもみてみよう。

 

◆事不問 木尚味狭藍 諸弟等之 練乃村戸二 所詐来

       (大伴家持 巻四 七七三)

 

≪書き下し≫言(こと)」とはぬ木すらあぢさゐ諸弟(もろと)らが練(ね)りのむらとにあざむかえけり

 

(訳)口のきけない木にさえも、あじさいのように色の変わる信用のおけないやつがある。まして口八丁の諸弟らの練りに練った託宣(たくせん)の数々にのせられてしまったのはやむえないことだわい。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)あぢさゐ:あじさいのように色の変わる信用のおけないものがある。(伊藤脚注)

(注)諸弟:使者の名か。(伊藤脚注)

(注)練のむらと:練に練った荘重な言葉の意か。「むらと」は「群詞」か。(伊藤脚注)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その850)」で紹介している。

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」