●歌は、「三諸のその山なみに子らが手を巻向山はつぎのよろしも」である。
●歌をみていこう。
◆三毛侶之 其山奈美尓 兒等手乎 巻向山者 継之宜霜
(柿本人麻呂 巻七 一〇九三)
≪書き下し≫みもろのその山なみに子らが手を巻向山(まきむくやま)は継(つ)ぎのよろしも
(訳)三輪山のその山並(やまなみ)にあって、いとしい子が手をまくという名の巻向山は、並び具合がたいへんに好ましい。(伊藤 博著「万葉集 二」角川ソフィア文庫より)
(注)みもろ【御諸・三諸・御室】:神が降臨して宿る神聖な所。磐座(いわくら)(=神野語座所)のある山や、森・岩窟(がんくつ)など、特に、「三輪山(みわやま)にいうこともある。また、神坐や神社。「みむろ」とも。
この歌は、題詞「詠山」<山を詠む>の三首の中の一首である。
他の二首は歌のみ掲載する。
◆動神之 音耳聞 巻向之 檜原山乎 今日見鶴鴨
(柿本人麻呂 巻七 一〇九二)
◆我衣 色取染 味酒 三室山 黄葉為在
(柿本人麻呂 巻七 一〇九四)
この三首についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その66改)」で紹介している。
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●柿本人麻呂歌集にある「略体」表記
柿本人麻呂は、万葉第二期の代表歌人である。この三首も柿本人麻呂(作)としているが、左注には「右三首柿本朝臣人麻呂之歌集出」とある。諸文献に「おそらく柿本人麻呂の歌と考えてよいだろう」との表現が見られる。万葉集にある「柿本朝臣人麻呂之歌集」の位置づけについていろいろと議論がなされている。
また、歌集の「書体」についても多々指摘がなされている。ここでは「略体」書記について触れてみたい。
◆春楊 葛山 發雲 立座 妹念 (巻十一 二四五三)
各句二文字、全体を十文字であらわされており、「略体」の典型といわれる。
≪書き下し≫春楊(はるやなぎ) 葛山(かづらきやまに) 發雲(たつくもの) 立座(たちてもゐても) 妹念(いもをしぞおもふ)
(訳)春柳を鬘(かずら)くというではないが、その葛城山に立つ雲のように、立っても坐っても、ひっきりなしにあの子のことばかり思っている。
第四、五句を「たちてもゐてもいもをしぞおもふ」と読むのは定型を前提としているという。たとえば、巻十 二二九四は、「秋去者(あきされば) 雁飛越(たびとびこゆる) 龍田山(たつたやま) 立而毛居而毛(たてもゐても) 君乎思曽念(きみをしぞおもふ)」があり、巻十二 三〇八九は、「遠津人(とほつひと) 獦道之池尓(かりぢのいけに) 住鳥之(すむとりの) 立毛居毛(たちてもゐても) 君乎之曽念(きみをしぞおもふ)とあることによるという。
人麻呂の時代は、「口誦から記載」に時代であり、人麻呂歌集にあって、時間軸でとらえると、相対的に助詞、助動詞を表記することが多くなっているという。
聞き伝えを表記する場合は前例にのっとりと簡略化され、歌を歌として表記する場合は一字一句を正確にということになるのだろう。
桜井市HPの万葉歌碑マップをてがかりに、車を止め足で探す。畑が広がる。ハウス栽培の前で野良着のおばあさん二人が立ち話をしている。聞いてみようと近づく。ふと見ると手前に歌碑らしきものがある。お二人に会釈をして歌碑を撮影する。この日は歌碑を9つ巡ったのである。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉集 二ならびに三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)
★「大和万葉―その歌の風土」 堀内民一 著 (創元社)
★「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」 神野志 隆光 (東京大学出版会)
★「万葉歌碑めぐり」(桜井市HP)
★「weblio古語辞書」