万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2490)―

●歌は、「春さればまづさきくさの幸くあらば後にも逢はむな恋ひそ我妹」である。

茨城県石岡市小幡 ライオンズ広場万葉の森万葉歌碑(プレート)(柿本人麻呂歌集) 20230927撮影

●歌碑(プレート)は、茨城県石岡市小幡 ライオンズ広場万葉の森にある。

●歌をみていこう。

 

◆春去 先三枝 幸命在 後相 莫戀吾妹

      (柿本人麻呂歌集 巻十  一八九五)

 

≪書き下し≫春さればまづさきくさの幸(さき)くあらば後(のち)にも逢はむな恋ひそ我妹(わぎも)

 

(訳)春になると、まっさきに咲くさいぐさの名のように、命さえさいわいであるならば、せめてのちにでも逢うことができよう。そんなに恋い焦がれないでおくれ、お前さん。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)上二句「春去 先三枝」は、「春去 先」が「三枝」を起こし、「春去 先三枝」が、「幸(さきく)」を起こす二重構造になっている。

(注)さきくさ【三枝】名詞:植物の名。枝・茎などが三つに分かれているというが、未詳。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)そ 終助詞:《接続》動詞および助動詞「る」「らる」「す」「さす」「しむ」の連用形に付く。ただし、カ変・サ変動詞には未然形に付く。:①〔穏やかな禁止〕(どうか)…してくれるな。しないでくれ。▽副詞「な」と呼応した「な…そ」の形で。②〔禁止〕…しないでくれ。▽中古末ごろから副詞「な」を伴わず、「…そ」の形で。 ⇒参考:(1)禁止の終助詞「な」を用いた禁止表現よりも、禁止の副詞「な」と呼応した「な…そ」の方がやわらかく穏やかなニュアンスがある。(2)上代では「な…そね」という形も併存したが、中古では「な…そ」が多用される。(学研)

 

 この歌について、二重の序を持つ歌とともに拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1053)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 

「柿本朝臣人麻呂歌集(かきのもとのあそみひとまろのかしゅう)」については、「コトバンク 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)」に次のように書かれている。

「略して『人麻呂歌集』ともいう。歌集としては現存しないが、『万葉集』中には、「人麻呂歌集」から採録した歌が364首ある(数え方には異説がある)。すなわち、巻3に1、巻7に56、巻9に44、巻10に68、巻11に161、巻12に27、巻13に3、巻14に4首を収載する。『万葉集』が歌集歌を古歌として尊重する態度はその編纂(へんさん)の仕方に明らかに認められる。歌集歌の表記も本来の形を温存したものとみられるが、その特異な書式が注目される。助辞を少なくしか表記しない略体表記の歌と、より多く表記する非略体表記の歌との2類が存するが、略体→非略体と、人麻呂によって書き継がれたととらえられ、表記史的にみて天武(てんむ)朝~持統(じとう)朝初期の段階のものと位置づけうる。なお、歌集の原体裁として、略体歌部・非略体歌部の2部に分かれ、略体歌は「寄物(きぶつ)陳思」の場合「寄物」による分類、非略体歌は季節分類がなされていたと考えられる。『万葉集』中で題詞に人麻呂作と明示する歌に先行するものとして、この歌集の歌を含めて人麻呂の作歌活動を展望することができる。」

 

 上記の「略体歌部」の代表歌は、巻十一 二四五三歌といわれている。

「春楊葛山發雲立座妹念」と各句二字ずつ、全体では十字で表記されている。助辞はすべて読み添えてはじめて歌の体をなすのである。

 

 この歌をみてみよう。

◆春楊 葛山 發雲 立座 妹念

                 (柿本人麻呂歌集 巻十一 二四五三)

 

≪書き下し≫春柳(はるやなぎ)葛城山(かづらきやま)に立つ雲の立ちても居(ゐ)ても妹(いも)をしぞ思ふ

 

(訳)春柳を鬘(かずら)くというではないが、その葛城山(かつらぎやま)に立つ雲のように、立っても坐っても、ひっきりなしにあの子のことばかり思っている。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)春柳(読み)ハルヤナギ:①[名]春、芽を出し始めたころの柳。②[枕]芽を出し始めた柳の枝をかずらに挿す意から、「かづら」「葛城山(かづらきやま)」にかかる。(コトバンク デジタル大辞泉

(注)上三句は序、「立ち」を起こす。

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その433)」で奈良県葛城市柿本の柿本神社の歌碑とともに紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 

 


上記の「人麻呂歌集」の説明にあった「『万葉集』が歌集歌を古歌として尊重する態度はその編纂(へんさん)の仕方に明らかに認められる。」というのは、神野志隆光氏がその著「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」(東京大学出版会)のなかで、巻十を例に、「それぞれの季節の雑歌・相聞の部の先頭に、人麻呂歌集歌を、主題的標題を示すことなく配置します。秋雑歌のはじめの『七夕』だけは、標題を掲げますが、先頭の歌群が人麻呂歌集歌であることはおなじです。主題的標題のもとにおさめられる人麻呂歌集歌もありますが(秋雑歌の『詠花』『詠黄葉』『詠雨』)、いずれも、その部のはじめに置かれます。こうして見渡すと、人麻呂歌集歌の特別な位置はあきらかです。あとにつづく歌をみちびくものとしてあるということができます。いいかえれば、人麻呂歌集歌を拡大して季節の歌があるというかたちです。」と書いておられる。

 

 巻十の構成を見てみると次の通りである。

春雑歌

 一八一二~一八一八歌 右柿本朝臣人麻呂歌集出

 詠鳥 一八一九~一八四〇歌、一八四一~一八四二歌 右二首問答

 詠霞 一八四三~一八四五歌

 (中略)

 譬喩歌 一八八九歌

春相聞

 一八九〇~一八九六歌 右柿本朝臣人麻呂歌集出

 寄鳥 一八九七~一八九八歌

 寄花 一八九九~一九〇七歌

 (中略)

 問答 一九二六~一九三六歌

夏雑歌

 詠鳥 一九三七~一九三八歌 右古歌集中出

    一九三九~一九六三歌

 詠蝉 一九六四歌

 (中略)

 譬喩歌 一九七八歌

夏相聞

 寄鳥 一九七九~一九八一歌

 (中略)

 寄日 一九九五歌

秋雑歌

 七夕 一九九六~二〇三三歌 此歌一首庚辰年

    右柿本朝臣人麻呂之歌集出

    二〇三四~二〇九三歌

 詠花 二〇九四~二〇九五歌 右二首柿本朝臣人麻呂之歌集出

    二〇九六~二一二七歌

 詠鴈 二一二八~二一四〇歌

 (中略)

 詠山 二一七七歌

 詠黄葉 二一七八~二一七九歌 右二首柿本朝臣人麻呂之歌集出

     二一八〇~二二一八歌

 詠水田 二二一九~二二二一歌

 (中略)

 詠芳 二二三三歌

 詠雨 二二三四歌 右一首柿本朝臣人麻呂之歌集出

    二二三五~二二三七歌

 詠霜 二二三八歌

秋相聞

 二二三九~二二四三歌 右柿本朝臣人麻呂之歌集出

 寄水田 二二四四~二二五一歌

 (中略)

 旋頭歌 二三一〇~二三一一歌

冬雑歌

 二三一二~二三一五歌 右柿本朝臣人麻呂之歌集出

 詠雪 二三一六~二三二四歌

 (中略)

 詠月 二三三二歌

冬相聞

 二三三三~二三三四歌 右柿本朝臣人麻呂之歌集出

 寄露 二三三五歌

 (中略)

 寄夜 二三五〇歌

 

 

 「巻七~十二における人麻呂歌集歌は歌の世界のひろがりの核をなすものです。しかし、現実に『人麻呂歌集』がそうだったといいたいのではありません。『万葉集』において、そのような意味を与えられている、あるいは、そのような意味をもつものとして見出されているのです。『万葉集』においてある(あらしめられる)『柿本朝臣人麻呂歌集』です。見るべきなのは、『万葉集』が、それを核として拡大し、歌の世界をつくるということです。」(前出書)と書いておられる。

 さらに、巻九について、「人麻呂歌集歌の他に個人の名を冠した歌集(私家集、別集)の歌をふくみ、それらとともにこの巻を構成する」とも書かれている。

 

 万葉集の存在が作る歌の世界、まるで歌が煌めく宇宙である。

 近づくと課題が投げかけられなかなか万葉集とはと語らせてもらえないのもしかりである。

 めげずに挑み続けるしかない。

 

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」 神野志隆光 著 (東京大学出版会

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク デジタル大辞泉

★「コトバンク 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)」