万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その246改)―大津市田上枝町 田上枝公園グランド駐車場―万葉集 巻一 五〇

●歌は、「  やすみしし我が大君高照らす日の皇子あらたへの藤原が上に食(お)す国を見したまはむとみあらかは高知らさむと神ながら思ほすなへに天地(あめつち)も 依りてあれこそいはばしる近江の国の衣手の田上(たなかみ)山の真木さく檜のつまでをもののふの八十(やそ)宇治川に玉藻なす浮かべ流せれそを取ると騒く御民(みたみ)も家忘れ身もたな知らず鴨じもの水に浮き居て我が作る日の御門(みかど)に知らぬ国よし巨勢道(こせじ)より我が国は常世(とこよ)にならむ図(あや)負へるくすしき亀も新た代と泉の川に持ち越せる真木のつまでを百(もも)足らず筏に作りのぼすらむいそはく見れば神(かむ)からならし」である。

 

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大津市田上枝町 田上枝公園グランド駐車場「砂防百年」の碑側面万葉歌(藤原宮役民)

●歌碑は、大津市田上枝町 田上枝公園グランド駐車場入り口にある「砂防百年の碑」の側面にある。(アンダーライン部)

 砂防百年の碑には、「万葉の昔、ヒノキ、スギ、カシの美林であった田上山は江戸時代末期には一点の緑もないはげ山となった。 明治五年から滋賀県が砂防事業に着手し、その後明治十一年からは内務省(今の建設省)が施工して今日まで百年を越える長い間山腹緑化に努力してきたものである。 ここに先人の努力を称えるために、記念碑を建立してその偉大な業績を後世に伝えるものである。 輝豪者 石山寺座主 鷲尾隆輝」とある。

(「砂防に関する石碑―碑文が語る土砂災害との闘いの歴史」2008年06月25日 25-4.砂防百年の碑)より)

 

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砂防百年の碑


 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「藤原宮之役民作歌」<藤原の宮の役民(えきみん)の作る歌>である。

 

◆八隅知之 吾大王 高照 日乃皇子 荒妙乃 藤原我宇倍尓 食國乎 賣之賜牟登 都宮者 高所知武等 神長柄 所念奈戸二 天地毛 縁而有許曽 磐走 淡海乃國之 衣手能 田上山之 真木佐苦 檜乃嬬手乎 物乃布能 八十氏河尓 玉藻成 浮倍流礼 其乎取登 散和久御民毛 家忘 身毛多奈不知 鴨自物 水尓浮居而 吾作 日之御門尓 不知國 依巨勢道従 我國者 常世尓成牟 圖負留 神龜毛 新代登 泉乃河尓 持越流 真木乃都麻手乎 百不足 五十日太尓作 泝須郎牟 伊蘇波久見者 神随尓有之

                        (藤原宮之役民 巻一 五〇)

 

≪書き下し≫やすみしし 我が大君 高照らす 日の荒田への御子(みこ) 荒栲(あらたへ)の 藤原が上(うへ)に 食(お)す国を 見(み)したまはむと みあらかは 高知(たかし)らむと 神(かむ)ながら 思ほすなへに 天地(あめつち)も 寄りてあれこそ 石走(いはばし)る 近江(あふみ)の国の 衣手(ころもで)の 田上山(たなかみやま)の 真木(まき)さく 檜(ひ)のつまでを もののふの 八十(やそ)宇治川(うぢうぢがわ)に 玉藻なす 浮かべ流せれ そを取ると 騒(さわ)く御民(みたみ)も 家忘れ 身もたな知らず 鴨(かも)じもの  水に浮き居(い)て 我が作る 日の御門(みかど)に 知らぬ国 寄し巨勢道(こせぢ)より 我(わ)が国は 常世(とこよ)にならむ 図(あや)負(お)へる くすしき亀(かめ)も  新代(あらたよ)と 泉の川に 持ち越せる 真木(まき)のつまでを 百(もも)足(た)らず 筏(いかだ)に作り 泝(のぼ)すらむ いそはく見れば 神(かむ)からならし

 

(訳)あまねく天下を支配されるわれらが大君、高く天上を照らしたまう日の御子は、荒栲(あらたえ)の藤原の地で国じゅうをお治めになろうと、宮殿をば高々とお造りになろうと、神として思し召しになるそのお考えのままに、天地(あめつち)の神も大君に心服しているからこそ、豊(ゆた)けき近江の国の、衣手の田上山(たなかみやま)の立派な檜(ひのき)丸太(まるた)、その丸太を、もののふの八十(やそ)の宇治川(うじがわ)に、玉藻のように軽々と浮かべ流しているものだから、それを引き取ろうとせわしく働く大君の民も、家のことを忘れ、我が身のこともすっかり忘れ、鴨のように軽々と水に浮きながら、われらが造る日の宮廷(みかど)に、支配の及ばぬ異国をば寄しこせというその巨勢の方から、我が国は常世の国になるであろうという瑞(みず)に兆(しるし)を背に負うた神秘の亀も、新しい代を祝福して出ずるという泉の川に持ち運んだ檜の丸太、ああその丸太をがっしり筏に組んで、川を泝(さかのぼ)らせているのであろう。天地の神も大君の民も、先を争って精出しているのを見ると、これはまさに大君の神慮のままであるらしい。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)あらたへの 【荒妙の】分類枕詞:藤(ふじ)の繊維で作った粗末な布を「あらたへ」というところから、「藤江」「藤原」などの地名にかかる。

(注)をす 【食す】:①お召しになる。召し上がる。▽「飲む」「食ふ」「着る」「(身に)着く」の尊敬語。②統治なさる。お治めになる。▽「統(す)ぶ」「治む」の尊敬語。<上代語>。

(注)みあらか 【御舎・御殿】名詞:御殿(ごてん)。「み」は接頭語。<上代語>

(注)たかしらす 【高知らす】分類連語:立派に造り営みなさる。

(注)なへ 接続助詞:《接続》活用語の連体形に付く。〔事柄の並行した存在・進行〕…するとともに。…するにつれて。…するちょうどそのとき。

(注)いはばしる【石走る・岩走る】:水がしぶきを上げながら岩の上を激しく流れる。

いはばしる【石走る・岩走る】分類枕詞:動詞「いはばしる」の意から「滝」「垂水(たるみ)」「近江(淡海)(あふみ)」にかかる。

(注)ころもでの【衣手の】分類枕詞:①袂(たもと)を分かって別れることから「別(わ)く」「別る」にかかる。②袖(そで)が風にひるがえることから「返る」と同音の「帰る」にかかる。③袖の縁で導いた「手(た)」と同音を含む地名「田上山(たなかみやま)」にかかる。

(注)まき【真木・槙】:杉や檜(ひのき)などの常緑の針葉樹の総称。多く、檜にいう  

(注)たなしる【たな知る】〔「たな」は接頭語〕:十分によく知る。 (weblio辞書 三省堂大辞林

(注)かもじもの【鴨じもの】副詞:鴨のように。

(注)ももたらず【百足らず】分類枕詞:①百に足りない数であるところから「八十(やそ)」「五十(いそ)」に、また「や」や「い」の音から「山田」「筏(いかだ)」などにかかる。

 

 左注は、「右日本紀日 朱鳥七年癸巳秋八月幸藤原宮地 八年甲午春正月幸藤原宮 冬十二月庚戌朔乙卯遷居藤原宮」<右は、日本紀には「朱鳥(あかみとり)七年癸巳(みづのとみ)の秋の八月に、藤原の宮地(みやところ)に幸(いでま)す。 八年甲午(きのえうま)の春の正月に、藤原の宮に幸す。冬の十二月庚戌(かのえうま)の朔(つきたち)の乙卯(きのとう)に、藤原の宮に遷(うつ)る」といふ>である。

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「びわ湖大津 光くんマップ(大津市観光地図)」(大津市・(公社)びわ湖大津観光協会

★「大津市ガイドマップ」(㈱ゼンリン 協力:大津市

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 三省堂大辞林

★「砂防百年の碑」(HP「砂防に関する石碑―碑文が語る土砂災害との闘いの歴史」2008年06月25日)

 

※20210802朝食関連記事削除、一部改訂