【庄で秋を感じる】
「家持は久しぶりの再会を果たして、平城京に戻りました。するとまた、郎女は淋しさを募らせます。九月になって、大伴坂上郎女は、次のような歌を歌っているのです。
(秋の雑歌 巻八の一五九二)(同 巻八の一五九三)(歌は省略)
『五百代(いほしろ)』とは、約一ヘクタールほどの広さなのですが、『然とあらぬ小田』と表現されているので、狭いと表現されていることになります。『田盧(たぶせ)』は、農作業をするために作られる仮小屋のことをいいます。一首目では、そんなに広くはない五百代の田を刈り乱して、仮小屋のいると、ミヤコのことが恋しく思われると歌っています。・・・二首目の内容は、泊瀬(はつせ)の山々は色づいてきた、しぐれの雨が、山々にも降ったらしい、という内容の歌です。万葉時代の人びとは時雨(しぐれ)のよって紅葉のはその色を増す、と考えていたのです(巻十の二一九六)。泊瀬(初瀬)は、・・・東竹田町からは三輪山と泊瀬の山々を望むことができます。彼女は、庄で季節のうつろいを感じたのでした。」(「万葉集の心を読む」 上野 誠著 角川ソフィア文庫より)
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巻八の一五九二歌ならびに一五九三歌をみていこう。
■■巻八 一五九二・一五九三歌■■
題詞は、「大伴坂上郎女竹田庄作歌二首」<大伴坂上郎女、竹田の庄にして作る歌二首>である。
■巻八 一五九二歌■
◆然不有 五百代小田乎 苅乱 田盧尓居者 京師所念
(大伴坂上郎女 巻八 一五九二)
≪書き下し≫然(しか)とあらぬ 五百代(いほしろ)小田(をだ)を 刈り乱り 田盧(たぶせ)に居(を)れば 都し思(おも)ほゆ
(訳)たいそうな広さもありゃしない 五百代のちっちゃな田んぼを 刈り乱して 仮小屋暮らしをしていると……ミヤコのことが思われます(「万葉集の心を読む」 上野 誠著 角川ソフィア文庫より)
(注)代(しろ):頃とも書く。おもに大化前代に用いられた田地をはかる単位。1代とは稲1束 (当時の5升,現在の2升にあたる) を収穫しうる面積であり、高麗尺 (こまじゃく) で 30尺 (10.68m) ×6尺 (2.13m) の長方形の田地の面積をいう。これは大化改新の制の5歩にあたる。大化改新以後,町,段,歩に改められた。(コトバンク>ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典)
(注)たぶせ【田伏せ】:耕作用に田畑に作る仮小屋。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
■巻八 一五九三歌■
◆隠口乃 始瀬山者 色附奴 鍾礼乃雨者 零尓家良思母
(大伴坂上郎女 巻八 一五九三)
≪書き下し≫こもりくの 泊瀬(はつせ)の山は 色付(いろづ)きぬ しぐれの雨は 降りにけらしも
(訳)こもりくの泊瀬 その初瀬の山は 色づいた しぐれの雨は あちらの山々でも降ったらしいわ(同上)
左注は、「右、天平十一年己卯(きぼう)の秋九月に作る」である。
一五九二・一五九三歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その81改)」で、奈良県桜井市長谷寺本堂近く鐘楼横万葉歌碑(大伴坂上郎女 8-1593)とともに紹介している。
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20190425撮影
巻十 二一九六歌もみてみよう。
■巻十 二一九六歌■
◆四具礼能雨 無間之零者 真木葉毛 争不勝而 色付尓家里
(作者未詳 巻十 二一九六)
≪書き下し≫しぐれの雨間(ま)なくし降れば真木(まき)の葉も争ひかねて色づきにけり
(訳)時雨の雨が絶え間なく降るので、真木の葉さえも、逆らいきれずに色づいてきた。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)まき 【真木・槙】名詞:杉や檜(ひのき)などの常緑の針葉樹の総称。多く、檜にいう。 ※「ま」は接頭語。(学研)

(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「コトバンク>ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典」