●歌は、「春過ぎて夏来るらし白栲の衣干したり天の香具山」である。
●歌をみていこう。
標題は、「藤原宮御宇天皇代 高天原廣野姫天皇 元年丁亥十一年譲位軽太子 尊号太上天皇」<藤原(ふぢはら)の宮(みや)に天の下知らしめす天皇の代 高天原広野姫天皇(たかまのはらひろのひめのすめらみこと)、元年丁亥(ひのとゐ)十一年に位(みくらゐ)を軽太子(かるのひつぎのみこ)に譲りたまふ。尊号を太上天皇(おほきすめらみこと)といふ>である。
(注)藤原宮:持統・文武両天皇の皇居。香具山の西方、橿原市高殿町付近。(伊藤脚注)
(注)軽太子(かるのひつぎのみこ):草壁皇子の第二子。697年持統天皇の譲位を受けて文武天皇となった。707年25歳で崩御。
(注)おほきすめらみこと【太上天皇】〘名〙:退位した天皇をいう尊称。文武天皇元年(六九七)に譲位した持統天皇に対して用いたのに始まる。だいじょうてんのう。だじょうてんのう。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典)
◆春過而 夏来良之 白妙能 衣乾有 天之香来山
(持統天皇 巻一 二八)
≪書き下し≫春過ぎて夏来(きた)るらし白栲(しろたへ)の衣干したり天の香具山
(訳)今や、春が過ぎて夏がやってきたらしい。あの香具山にまっ白い衣が干してあるのを見ると。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)しろたへ【白栲・白妙】名詞:①こうぞ類の樹皮からとった繊維(=栲)で織った、白い布。また、それで作った衣服。②白いこと。白い色。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注の注)ここは、まっ白いの意。「栲」は楮の樹皮で作った白い布。(伊藤脚注)
この歌を含む持統天皇の歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その117改)」で紹介している。
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万葉歌碑を訪ねて(その117改)―奈良県橿原市醍醐町の醍醐池東畔―万葉集 巻一 二八 - 万葉集の歌碑めぐり
この歌は、藤原宮の大極殿あたりで詠まれたのではないかと言われている。単に季節の推移、景色を詠った歌だけではない。藤原宮を築き、いわば政治的にも安定したというよりも安定させた気持ちがにじみ出る歌である。
藤原京については、「コトバンク 株式会社平凡社百科事典マイペディア」に「持統天皇が694年に飛鳥浄御原宮(あすかきよみはらのみや)から移り、文武天皇を経て、元明天皇が710年に平城京に移るまでの都。宮城(きゅうじょう)は藤原宮という。大和三山に囲まれた飛鳥地方に造営され、左京・右京とも東西4坊・南北12条に区画された。奈良県橿原(かしはら)市の高殿(たかどの)町を中心に広大な朝堂院(ちょうどういん)諸堂の礎石が発掘されている。」と書かれている。
藤原宮は、わが国最初の都城である。これまでの都と異なり、次の平城京などの原型をなすものであった。
この藤原宮を詠った歌が五二歌である。歌をみてみよう。
題詞は、「藤原宮御井歌」<藤原の宮の御井(みゐ)の歌>である。
◆八隅知之 和期大王 高照 日之皇子 麁妙乃 藤井我原尓 大御門 始賜而 埴安乃 堤上尓 在立之 見之賜者 日本乃 青香具山者 日經乃 大御門尓 春山跡 之美佐備立有 畝火乃 此美豆山者 日緯能 大御門尓 弥豆山跡 山佐備伊座 耳為之 青菅山者 背友乃 大御門尓 宣名倍 神佐備立有 名細 吉野乃山者 影友乃 大御門従 雲居尓曽 遠久有家留 高知也 天之御蔭 天知也 日之御影乃 水許曽婆 常尓有米 御井之清水
(作者未詳 巻一 五二)
≪書き下し≫やすみしし 我ご大君 高照らす 日の皇子 荒栲の 藤井が原に 大御門 始めたまひて 埴安の 堤の上に あり立たし 見したまへば 大和の 青香具山は 日の経の 大御門に 春山と 茂みさび立てり 畝傍の この瑞山は 日の緯の 大御門に 瑞山と 山さびいます 耳成の 青菅山は 背面の 大御門に よろしなへ 神さび立てり 名ぐはし 吉野の山は かげともの 大御門ゆ 雲居にぞ 遠くありける 高知るや 天の御蔭 天知るや 日の御蔭の 水こそば とこしへにあらめ 御井のま清水
(訳)あまねく天の下を支配せられるわが大君、高々と天上を照らしたまう日の神の皇子、われらの天皇(すめらみこと)が藤井が原のこの地に大宮(おおみや)をお造りになって、埴安の池の堤の上にしっかと出で立ってご覧になると、ここ大和の青々とした香具山は、東面(ひがしおもて)の大御門(おおみかど)にいかにも春山(はるやま)らしく茂り立っている。畝傍のこの瑞々(みずみず)しい山は、西面(にしおもて)の大御門にいかにも瑞山(みずやま)らしく鎮まり立っている。耳成の青菅(あおすが)茂る清々(すがすが)しい山は、北面(きたおもて)の大御門にふさわしく神さび立っている。名も妙なる吉野の山は、南面(みなみおもて)の大御門からはるか向こう、雲の彼方(かなた)に連なっている。佳山々に守られた、高く聳え立つ御殿、天(あめ)いっぱいに広がり立つ御殿、この大宮の水こそは、とこしえに湧き立つことであろう。ああ御井(みい)の真清水は。(同上)
(注)藤井が原:藤の茂る井のある原。(伊藤脚注)
(注)埴安の(池):香具山の麓にあった池。(伊藤脚注)
(注)ありたつ【あり立つ】自動詞:①いつも立っている。ずっと立ち続ける。②繰り返し出かける。(学研)ここでは①の意
(注)よろしなへ【宜しなへ】副詞:ようすがよくて。好ましく。ふさわしく。 ※上代語。(学研)
(注)たかしる 高知る】他動詞:①立派に造り営む。立派に建てる。②立派に治める。 ※「たか」はほめことば、「しる」は思うままに取りしきる意。(学研)ここでは①の意
日の経(東)の香具山、日の緯(西)の畝傍山、背面(北)の耳成山をほめ、藤原宮の環境を讃美していると伊藤博氏は脚注に書かれている。
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1788)」で紹介している。
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短歌もみてみよう。
◆藤原之 大宮都加倍 安礼衝哉 處女之友者 乏吉呂賀聞
(作者未詳 巻一 五三)
≪書き下し≫藤原の大宮仕(つか)へ生(あ)れ付(つ)くや娘子(をとめ)がともは羨(とも)しきろかも
(訳)藤原の大宮仕え、その仕え者としてこの世に生まれ付(つ)いたおとめたち、ああ、おとめたちは羨ましい限りだ。(同上)
(注)大宮仕(つか)へ生(あ)れ付(つ)く:大宮仕えとして生まれ付いた。(伊藤脚注)
(注)ろ :間投助詞《接続》:①は終止した文に付く。〔感動〕…よ。②は体言、形容詞の連体形に付く。〔感動〕…よ。…なあ。▽「ろかも」の形で用いる。 ※上代語。
⇒参考:①を終助詞とする説もある。また、東歌に多いことから、東国方言とも考えられている。現代語の「見せろ」などの命令形語尾の「ろ」はこの「ろ」が残ったものという。②を終助詞・接尾語とする説もある。(学研)
左注は「右の歌、作者未詳」である。
藤原の宮に関する歌は五〇、五一歌にもある。みてみよう。
題詞は、「藤原宮之役民作歌」<藤原の宮の役民(えきみん)の作る歌>である。
◆八隅知之 吾大王 高照 日乃皇子 荒妙乃 藤原我宇倍尓 食國乎 賣之賜牟登 都宮者 高所知武等 神長柄 所念奈戸二 天地毛 縁而有許曽 磐走 淡海乃國之 衣手能 田上山之 真木佐苦 檜乃嬬手乎 物乃布能 八十氏河尓 玉藻成 浮倍流礼 其乎取登 散和久御民毛 家忘 身毛多奈不知 鴨自物 水尓浮居而 吾作 日之御門尓 不知國 依巨勢道従 我國者 常世尓成牟 圖負留 神龜毛 新代登 泉乃河尓 持越流 真木乃都麻手乎 百不足 五十日太尓作 泝須郎牟 伊蘇波久見者 神随尓有之
(藤原宮之役民 巻一 五〇)
≪書き下し≫やすみしし 我が大君 高照らす 日の荒田への御子(みこ) 荒栲(あらたへ)の 藤原が上(うへ)に 食(お)す国を 見(み)したまはむと みあらかは 高知(たかし)らむと 神(かむ)ながら 思ほすなへに 天地(あめつち)も 寄りてあれこそ 石走(いはばし)る 近江(あふみ)の国の 衣手(ころもで)の 田上山(たなかみやま)の 真木(まき)さく 檜(ひ)のつまでを もののふの 八十(やそ)宇治川(うぢうぢがわ)に 玉藻なす 浮かべ流せれ そを取ると 騒(さわ)く御民(みたみ)も 家忘れ 身もたな知らず 鴨(かも)じもの 水に浮き居(い)て 我が作る 日の御門(みかど)に 知らぬ国 寄し巨勢道(こせぢ)より 我(わ)が国は 常世(とこよ)にならむ 図(あや)負(お)へる くすしき亀(かめ)も 新代(あらたよ)と 泉の川に 持ち越せる 真木(まき)のつまでを 百(もも)足(た)らず 筏(いかだ)に作り 泝(のぼ)すらむ いそはく見れば 神(かむ)からならし
(訳)あまねく天下を支配されるわれらが大君、高く天上を照らしたまう日の御子は、荒栲(あらたえ)の藤原の地で国じゅうをお治めになろうと、宮殿をば高々とお造りになろうと、神として思し召しになるそのお考えのままに、天地(あめつち)の神も大君に心服しているからこそ、豊(ゆた)けき近江の国の、衣手の田上山(たなかみやま)の立派な檜(ひのき)丸太(まるた)、その丸太を、もののふの八十(やそ)の宇治川(うじがわ)に、玉藻のように軽々と浮かべ流しているものだから、それを引き取ろうとせわしく働く大君の民も、家のことを忘れ、我が身のこともすっかり忘れ、鴨のように軽々と水に浮きながら、われらが造る日の宮廷(みかど)に、支配の及ばぬ異国をば寄しこせというその巨勢の方から、我が国は常世の国になるであろうという瑞(みず)に兆(しるし)を背に負うた神秘の亀も、新しい代を祝福して出ずるという泉の川に持ち運んだ檜の丸太、ああその丸太をがっしり筏に組んで、川を泝(さかのぼ)らせているのであろう。天地の神も大君の民も、先を争って精出しているのを見ると、これはまさに大君の神慮のままであるらしい。(同上)
(注)あらたへの 【荒妙の】分類枕詞:藤(ふじ)の繊維で作った粗末な布を「あらたへ」というところから、「藤江」「藤原」などの地名にかかる。(学研)
(注)をす 【食す】:①お召しになる。召し上がる。▽「飲む」「食ふ」「着る」「(身に)着く」の尊敬語。②統治なさる。お治めになる。▽「統(す)ぶ」「治む」の尊敬語。<上代語>。(学研)
(注)みあらか 【御舎・御殿】名詞:御殿(ごてん)。「み」は接頭語。<上代語>(学研)
(注)たかしらす 【高知らす】分類連語:立派に造り営みなさる。(学研)
(注)なへ 接続助詞:《接続》活用語の連体形に付く。〔事柄の並行した存在・進行〕…するとともに。…するにつれて。…するちょうどそのとき。(学研)
(注)いはばしる【石走る・岩走る】:水がしぶきを上げながら岩の上を激しく流れる。
いはばしる【石走る・岩走る】分類枕詞:動詞「いはばしる」の意から「滝」「垂水(たるみ)」「近江(淡海)(あふみ)」にかかる。(学研)
(注)ころもでの【衣手の】分類枕詞:①袂(たもと)を分かって別れることから「別(わ)く」「別る」にかかる。②袖(そで)が風にひるがえることから「返る」と同音の「帰る」にかかる。③袖の縁で導いた「手(た)」と同音を含む地名「田上山(たなかみやま)」にかかる。(学研)
(注)まき【真木・槙】:杉や檜(ひのき)などの常緑の針葉樹の総称。多く、檜にいう(学研)
(注)たなしる【たな知る】〔「たな」は接頭語〕:十分によく知る。 (weblio辞書 三省堂大辞林)
(注)かもじもの【鴨じもの】副詞:鴨のように。(学研)
(注)ももたらず【百足らず】分類枕詞:百に足りない数であるところから「八十(やそ)」「五十(いそ)」に、また「や」や「い」の音から「山田」「筏(いかだ)」などにかかる。(学研)
左注は、「右日本紀日 朱鳥七年癸巳秋八月幸藤原宮地 八年甲午春正月幸藤原宮 冬十二月庚戌朔乙卯遷居藤原宮」<右は、日本紀には「朱鳥(あかみとり)七年癸巳(みづのとみ)の秋の八月に、藤原の宮地(みやところ)に幸(いでま)す。 八年甲午(きのえうま)の春の正月に、藤原の宮に幸す。冬の十二月庚戌(かのえうま)の朔(つきたち)の乙卯(きのとう)に、藤原の宮に遷(うつ)る」といふ>である。
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その246改)」で紹介している。
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万葉歌碑を訪ねて(その246改)―大津市田上枝町 田上枝公園グランド駐車場―万葉集 巻一 五〇 - 万葉集の歌碑めぐり
次に五一歌をみてみよう。
題詞は、「従明日香宮遷居藤原宮之後志貴皇子御作歌」<明日香(あすか)の宮(みや)より藤原の宮に遷(うつ)りし後に、志貴皇子(しきのみこ)の作らす歌>である。
◆婇女乃 袖吹反 明日香風 京都乎遠見 無用尓布久
(志貴皇子 巻一 五一)
≪書き下し≫采女(うねめ)の袖吹きかへす明日香風(あすかかぜ)都を遠(とほ)みうたづらに吹く
(訳)采女の袖をあでやかに吹きかえす明日香風、その風も、都が遠のいて今はただ空(むな)しく吹いている。(同上)
(注)うねめ【采女】:古代以来、天皇のそば近く仕えて食事の世話などの雑事に携わった、後宮(こうきゆう)の女官。諸国の郡(こおり)の次官以上の娘のうちから、容姿の美しい者が選ばれた。(学研)
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その155)」で紹介している。
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(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「古代史で楽しむ万葉集」 中西 進 著 (角川ソフィア文庫)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「三滝自然公園 万葉の道」 (せいよ城川観光協会)