万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その117改)―奈良県橿原市醍醐町の醍醐池東畔―万葉集 巻一 二八

●歌は、「春過ぎて夏来るらし白栲の衣干したり天の香具山」である。

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奈良県橿原市醍醐池東畔万葉歌碑(持統天皇

●歌碑は、奈良県橿原市醍醐町 醍醐池東畔にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆春過而 夏来良之 白妙能 衣乾有 天之香来山

    (持統天皇 巻一 二八)

 

≪書き下し≫春過ぎて夏来(きた)るらし白栲(しろたへ)の衣干したり天の香具山

 

(訳)今や、春が過ぎて夏がやってきたらしい。あの香具山にまっ白い衣が干してあるのを見ると。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

 (注)白栲(しろたえ):本来、コウゾの繊維を織った白い布をいうが、それが白の代名詞となり、ここでは白栲(しろたへ)の衣は、真っ白な衣のことをいう

 

 

 持統天皇の歌は万葉集に六首(二八歌、一五九~一六二歌、二三六歌)収録されている。歌番号順にみていこう。

 

⦿二八歌(前述)

 

⦿巻二 一五九歌

 

[題詞]天皇崩之時大后御作歌一首<天皇の崩(かむあが)ましし時に、大后(おほきさき)の作らす歌一首>

(注)天皇天武天皇

(注)大后:後の持統天皇

 

◆八隅知之 我大王之 暮去者 召賜良之 明来者 問賜良志 神岳乃 山之黄葉乎 今日毛鴨 問給麻思 明日毛鴨 召賜萬旨 其山乎 振放見乍 暮去者 綾哀 明来者 裏佐備晩 荒妙乃 衣之袖者 乾時文無

 

≪書き下し≫やすみしし 我(わ)が大君(おほきみ)し 夕(ゆふ)されば 見(め)したまふらし 明け来(く)れば 問(と)ひたまふらし 神岳(かみをか)の 山の黄葉(もみち)を 今日(けふ)もかも 問ひたまはまし 明日もかも 見(め)したまはまし その山を 振り放(さ)け見つつ 夕されば あやに悲しみ 明け来れば うらさび暮らし 荒栲(あらたへ)の 衣の袖は 干(ふ)る時もなし

(注)あらたへ【荒妙・荒栲・粗栲】織り目のあらい粗末な布。藤・麻・楮(こうぞ)などの繊維で織った布の総称。ここでは喪服のことをいう。

  

(訳)八方を知らしめす我が大君の御魂は、夕方になるときっとご覧になっている、明け方になるときっとお尋ねになっている。この世の人であられたら、その神岳(かみおか)の山の黄葉を、今日もお尋ねになることであろうに。明日もご覧になることであろうに。その山をはるかに振り仰ぎ見ながら、夕方になるとむしょうに悲しく思い、明け方になると心寂しく時を過ごして、粗い喪服の袖は乾く時とてない。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

 

 

⦿巻二 一六〇

[題詞]一書曰天皇崩之時太上天皇御製歌二首<一書に曰はく、天皇の崩りましし時の太上天皇(おほきすめらみこと)」の御製歌二首>

(注)太上天皇持統天皇。譲位して後の称。

 

◆燃火物 取而■而 福路庭 入澄不言八面 智男雲

          ※■は果+衣(果の下にころも)

 

≪書き下し≫燃えさかる火も取りて包みて袋には入(い)ると言はずやも智男雲

(注)智男雲:訓義未詳

 

(訳)燃えさかる火さえも手に取って袋に入れることができるというではないか。智男雲。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

 

 

⦿巻二 一六一

◆向南山 陳雲之 青雲之 星離去 月矣離而

 

≪書き下し≫北山にたなびく雲の青雲(あをくも)の星離(はな)れ行き月を離れて

 

(訳)北山にたなびく雲、その青い空が、あの星を離れて行き、月からも離れて行ってしまって・・(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

 

 

⦿巻二 一六二歌

[題詞]天皇崩之後八年九月九日奉為御齊會之夜夢裏習賜御歌一首 [古歌集中出]<天皇の崩りましし後の八年九月九日の奉為(おほみため)の御斎会(ごさいゑ)の夜に、夢(いめ)の裏(うら)に習ひたまふ御歌一首 古歌集の中に出づ>

    

◆明日香能 清御原乃宮尓 天下 所知食之 八隅知之 吾大王 高照 日之皇子 何方尓 所念食可 神風乃 伊勢能國者 奥津藻毛 靡足波尓 塩氣能味 香乎礼流國尓 味凝 文尓乏寸 高照 日之御子ー日の御子

 

≪書き下し≫明日香の 清御原(きよみはら)の宮に、天の下 知らしめいしし やすみしし 我が大君 高照(たかて)らす 日の御子(みこ) いかさまに 思はしめせか 神風(かむかぜ)の 伊勢の国は 沖つ藻も 靡(な)みたる波に 潮気(しほけ)のみ 香(かを)れる国に 味凝(うまこ)り あやにともしき 高照らす 日の御子

 

(訳)明日香の清御原の宮にあまねく天下を支配せられた、やすみしし我が大君、高く天上を照らし給う我が天皇(すめらみこと)よ、大君はどのように思し召されて、神風吹く伊勢の国は、沖の藻も靡(なび)いている波の上に潮の香(か)ばかりがけぶっている国、そんな国においであそばすのか・・。味凝りのようにむしょうにお慕わしい、高照らす我が日の御子よ。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)味凝り(うまこ)り:「あやにともしき」の枕詞?語義未詳

(注)ともし【羨し】:慕わしい。心ひかれる。

 

⦿巻三 二三六歌

[題詞]天皇賜志斐嫗御歌一首<天皇(すめらみこと)志斐嫗(しひのおみな)に賜ふ御歌一首>

(注)天皇持統天皇文武天皇天武天皇という説も。

(注)志斐嫗:飛鳥(あすか)時代の女官。

      「万葉集」巻3に持統天皇(在位690-697)の歌にこたえた1首がのる。

      志斐は氏の名とも,また歌の内容が強語(しいがたり)をめぐる応答で

      あることから語り部の意ともいう。

      (コトバンク 「デジタル版日本人名大辞典+Plus」より)

 

◆不聴跡雖云 強流志斐能我 強語 此者不聞而 朕戀尓家里

 

≪書き下し≫いなと言へど強(し)ふる志斐(しひ)のが強ひ語(かた)りこのころ聞かすて我(あ)れ恋ひにけり

 

(訳)「もうたくさん」というのに、なおも無理強いに聞かそうとする、志斐(しひ)婆さんの強い語り、そんなこじつけ話も、ここしばらく聞かないでいると、私としてからが心惹かれてしまっている次第です。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)「強(し)ひ」と「志斐」は懸けている。

 

 二三六歌に対して、志斐嫗が和(こた)へ奉る歌が二三七歌である。

「いなと言へど語(かた)れ語れと宣(の)らせこそ志斐いは申せ強(し)ひ語りと言ふ」と返している。

(訳)「もういやです」と申しても、「語れ、語れ」と仰せになるからこそ、この志斐めはお話申し上げるのです。それを無理強いのこじつけ話などとおっしゃいます。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

 

 持統天皇と志斐嫗との軽妙なやり取りが実に微笑ましく、愉快である。真偽のほどはともかく、収録されていることは事実である。このような歌を万葉集に収録するところも、万葉集万葉集たる所以であろう。

 

 

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醍醐池

 醍醐池は、藤原宮跡の北側にある。駐車場は宮跡の西側にあるので、車をとめて歩く。中では、発掘調査もしており、南の方にひろびろと宮跡がひろがっている。

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特別史跡藤原宮の碑

 

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藤原宮跡を望む

 

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藤原宮跡発掘調査

 

  

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「大和万葉の-その歌の風土」 堀内民一 著 (創元社

★「たへの歌碑の文言」(万葉の小径)

★「別冊國文學 万葉集必携」 稲岡耕二 編 (學燈社

★「かしはら探訪ナビ」(橿原市HP)

★「Weblio古語辞書」

★「デジタル版日本人名大辞典+Plus」 (コトバンク

 

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