万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その140改)―奈良県橿原市見瀬町 牟佐坐神社―万葉集 巻二 二〇七

●歌は、「…わが戀ふる千重も一重も慰むる情もありやと吾妹子が止まず出で見し軽の市にわが立ち聞けば玉襷畝火の山に鳴く鳥の聲も聞こえず玉桙の道行く人も 一人だに似てし行かねばすべをなみ妹が名喚びて袖ぞ振りつる」である。

 

●歌碑は、奈良県橿原市見瀬町の牟佐坐神社にある。

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奈良県橿原市見瀬町 牟佐坐神社 万葉歌碑(柿本人麻呂

●歌をみていこう。

歌碑は、原文、書き下し、訳ともにアンダーライン部である。

 

◆天飛也 軽路者 吾妹兒之 里尓思有者 懃 欲見騰 不己行者 人目乎多見 真根久往者 人應知見 狭根葛 後毛将相等 大船之 思憑而 玉蜻 磐垣渕之 隠耳 戀管在尓 度日乃 晩去之如 照月乃 雲隠如 奥津藻之 名延之妹者 黄葉乃 過伊去等 玉梓之 使乃言者 梓弓 聲尓聞而<一云、聲耳聞而> 将言為便 世武為便不知尓 聲耳乎 聞而有不得者 吾戀 千重之一隔毛 遣悶流 情毛有八等 吾妹子之 不止出見之 軽市尓 吾立聞者 玉手次 畝火乃山尓 喧鳥之 音母不所聞 玉桙 道行人毛 獨谷 似之不去者 為便乎無見 妹之名喚而 袖曽振鶴<或本、有謂之名耳聞而有不得者句>

         (柿本人麻呂 巻二 二〇七)

 

≪書き下し≫天飛ぶや 軽(かる)の道(みち)は 我妹子(わぎもこ)が 里にしあれば ねもころに 見まく欲(ほ)しけど やまず行(ゆ)かば 人目(ひとめ)を多み 數多(まね)く行かば 人知りぬべみ さね葛(かずら) 後(のち)も逢はむと 大船(おほぶね)の 思ひ頼みて 玉ざかる 岩垣淵(いはかきふち)の 隠(こも)りのみ 恋ひつつあるに 渡る日の 暮れ行くがごと 照る月の 雲隠(がく)るごと 沖つ藻の 靡(なび)きし妹(いも)は 黄葉(もみぢば)の 過ぎてい行くと 玉梓(たまづさ)の 使(つかひ)の言へば 梓弓(あずさゆみ) 音(おと)に聞きて<一には「音のみ聞きて」といふ> 言はむすべ 為(せ)むすべ知らに 音(おと)のみを 聞きてありえねば 我(あ)が恋ふる 千重(ちへ)の一重(ひとへ)も 慰(なぐさ)もる 心もありやと 我妹子(わぎもこ)が やまず出で見し 軽(かる)の市(いち)に 我(わ)が立ち聞けば 玉たすき 畝傍(うねび)の山に 鳴く鳥の 声も聞こえず 玉鉾(たまぼこ)の 道行く人も ひとりだに 似てし行かねば すべをなみ 妹(いも)が名呼びて 袖ぞ振りつる<或本には「名のみ聞きてありえねば」といふ句あり>

 

(訳)軽(かる)の巷(ちまた)は我がいとしい子のいる里だ、だから通いに通ってよくよく見たいと思うが、休みなく行ったら人目につくし、しげしげ行ったら人に知られてしまうので、今は控えてのちのちにと先を頼みにして、岩で囲まれた淵のようにひっそりと思いを秘めて恋い慕ってばかりいたところ、あたかも、空を渡る日が暮れてゆくように、夜空を照り渡る月が雲に隠れるように、沖の藻さながら私に寄り添い寝たあの子は散る黄葉(もみぢ)のはかない身になってしまったと、事もあろうにあの子の便りを運ぶ使いの者が言うので、あまりな報せに<あまりな報せだけに>どう言ってよいかどうしてよいかわからず、報せだけを聞いてすます気にはとてもなれないので、この恋しさの千に一つも紛れることもあろうかと、あの子がかつてしょっちゅう出で立って見た軽の巷に出かけて行ってじっと耳を澄ましても、あの子の声はおろか畝傍の山でいつも鳴く鳥の声さえも聞こえず、道行く人も一人としてあの子に似た者はいないので、もうどうしてよいかわからず、あの子の名を呼び求め、ただひたすらに袖を振り続けた。<噂だけを聞いてすます気にはとてもなれないので>(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)ねもころなり【懇なり】形容動詞:手厚い。丁重だ。丁寧だ。入念だ。「ねもごろなり」とも。 ※「ねんごろなり」の古い形。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)さねかづら【真葛】分類枕詞:さねかずらはつるが分かれてはい回り、末にはまた会うということから、「後(のち)も逢(あ)ふ」にかかる。(学研)

(注)たまかぎる【玉かぎる】分類枕詞:玉が淡い光を放つところから、「ほのか」「夕」「日」「はろか」などにかかる。また、「磐垣淵(いはかきふち)」にかかるが、かかり方未詳。(学研)

(注)おきつもの 【沖つ藻の】分類枕詞:沖の藻の状態から「なびく」「なばる(=隠れる)」にかかる。(学研)

(注)たまづさの 【玉梓の・玉章の】分類枕詞:手紙を運ぶ使者は梓(あずさ)の枝を持って、これに手紙を結び付けていたことから「使ひ」にかかる。また、「妹(いも)」にもかかるが、かかる理由未詳。(学研)

(注)あづさゆみ 【梓弓】分類枕詞:①弓を引き、矢を射るときの動作・状態から「ひく」「はる」「い」「いる」にかかる。②射ると音が出るところから「音」にかかる。③弓の部分の名から「すゑ」「つる」にかかる。(学研)

 

「短歌二首」もみておこう。

 

◆秋山之 黄葉乎茂 迷流 妹乎将求 山道不知母 一云路不知而

       (柿本人麻呂 巻二 二〇八)

 

≪書き下し≫秋山の黄葉(もみぢ)を茂み惑(まと)ひぬる妹を求めむ山道(やまぢ)知らずも <一には「道知らずして」という>

 

(訳)秋山いっぱいに色づいた草木が茂っているので中に迷いこんでしまったいとしい子、あの子を探し求めようにもその山道さえもわからない。<その道がわからなくて>(同上)

 

 

◆黄葉之 落去奈倍尓 玉梓之 使乎見者 相日所念

      (柿本人麻呂 巻二 二〇九)

 

≪書き下し≫黄葉(もみぢば)の散りゆくなへに玉梓(たまづさ)の使(つかひ)を見れば逢ひし日思ほゆ

 

(訳)黄葉(もみじば)がはかなく散ってゆく折しも、文使(ふみづか)いの者が通うのを見ると、いとしいあの子に逢った日のことが思い出されてならない。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)なへに 接続助詞:《接続》活用語の連体形に付く。〔事柄の並行した存在・進行〕…するとともに。…するにつれて。…するちょうどそのとき。(学研)

 

 二〇七から二一六歌の歌群の題詞は、「柿本朝臣人麻呂妻死之後泣血哀慟作歌二首幷短歌」<柿本朝臣人麻呂、妻死にし後に、泣血哀慟(きふけつあいどう)して作る歌二首幷(あは)せて短歌>とあり、二群の長反歌になっている。すなわち「二〇七(長歌)、二〇八、二〇九(短歌)」と「二一〇(長歌)、二一一、二一二(短歌)」の二群である。さらに「或本の歌に日はく」とあり、長歌一首と短歌三首「二一三(長歌)、二一四~二一六(短歌)」が収録されている。泣血哀慟歌と言われている。

 

 二〇八歌「秋山の黄葉(もみぢ)を茂み惑(まと)ひぬる妹を求めむ山道(やまぢ)知らずも」は、橿原市地黄町 人麻呂神社に歌碑があり、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて―その115」で紹介している。(初期のブログであるのでタイトル写真には朝食の写真が掲載されていますが、「改」では、朝食の写真ならびに関連記事を削除し、一部改訂いたしております。ご容赦下さい。)

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

また、二一二歌「衾ぢを引手の山に妹を置きて山道を行けば生けりとも」については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて―その58改―」で紹介している。(初期のブログであるのでタイトル写真には朝食の写真が掲載されていますが、「改」では、朝食の写真ならびに関連記事を削除し、一部改訂いたしております。ご容赦下さい。)

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 柿本人麻呂は宮廷歌人である。「妻の死は私的なものである」

 この点について、神野志隆光氏は、「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」(東京大学出版会)の中で、「妻の死を歌うことが、他者に示す歌として可能であるものとして実現してみせた(中略)挽歌が、殯宮など儀礼的な場とはべつに、妻の死という私的な場面、ないし、私的な領域とそこにおける悲しみまで覆うことが可能だと示すものなのです。わたしは、それを、歌の可能性をひらくという点でおさえたいのです。」と述べておられる。

 ここにも、万葉集万葉集たる所以があるように思える。

 

 

 

 

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牟佐坐神社鳥居

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拝殿

 今回が、パンフレット「橿原の万葉歌碑めぐり」(橿原市観光政策課)に掲載されている歌碑の紹介の最終版である。5月31日、6月4日、6月6日、6月30日と4回橿原市を訪れたのである。

 牟佐坐神社では、これからの万葉歌碑めぐりを祝福してくれるかのように青ツグミが拝殿への階段を一段づつチョンチョン飛び、拝殿の鈴緒のところまでさきがけをし、境内を案内してくれたのである。

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拝殿への階段を導くかのような青ツグミ

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拝殿にのぼっている青ツグミ

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拝殿前の青ツグミ

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」 神野志隆光 著 

                      (東京大学出版会

★「かしはら探訪ナビ」(橿原市HP)

★「橿原の万葉歌碑めぐり」(橿原市観光政策課)

★「weblio古語辞典 (学研全訳古語辞典)

 

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