万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その134改)―奈良県橿原市大久保町の大久保町公民館―万葉集 巻十六 三七八六

 

●歌は、「春さらばかざしにせむと我が思ひし桜の花は散り行けるかも」である。 

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奈良県橿原市大久保町 大久保町公民館万葉歌碑(作者未詳)

●歌碑は、奈良県橿原市大久保町の大久保町公民館にある。

写真に写っている、歌碑のうしろの白い説明板に、桜児のお墓とされる「娘子塚(おとめづか)」がこの歌碑の前にある丸い小さな塚であると説明されている。

 

●歌をみてみよう。

◆春去者 挿頭尓将為跡 我念之 櫻花者 散去流香聞 其一

                  (作者未詳    巻十六 三七八六)

 

≪書き下し≫春さらばかざしにせむと我が思ひし桜の花は散り行けるかも その一

 

(訳)春がめぐってきたら、その時こそ挿頭(かざし)にしようと私が心に思い込んでいた桜の花、その花ははや散って行ってしまったのだ、ああ。 その一 (伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)挿頭にせむ:髪飾りにしようと。妻にすることの譬え。

 

 この歌は、巻十六の巻頭歌である。巻十六は、巻頭に「有由縁幷雑歌」とある。「有由縁幷せて雑歌」ないし「有由縁、雑歌を幷せたり」と訓読され、「『由縁』(ことの由来)ある歌と雑歌」を収録している標示であると理解される。ただ、「目録」には、「幷」の文字はなく、「有由縁雑歌」であることから、「由縁有る雑歌」とする説もある。

 ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて―その116―」にも触れているが、神野志隆光氏は、その著「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」(東京大学出版会)の中で、単なる「由縁ある雑歌」を収録したものではないとして「『由縁』(ことの由来)ある歌と雑歌」を収録しているとしている。その理由として、巻十六は、大きく分けて、次の五つのグループに分けられると分析されている。

①題詞が、物語的な内容をもち、歌物語といえるような歌のグループ(三七八六~三八〇五歌)

②題詞でなく、左注が歌物語的に述べる歌のグループ(三八〇六~三八一五歌)

③いろいろな物を詠いこまれるように題を与えられたのに応じた形の歌のグループ(三八二四~三八三四歌)(三八五五~三八五六歌)

④「嗤う歌」と題詞にいう歌のグループ(三八四〇~三八四七歌)

⑤国名を題詞に掲げる歌のグループ(三八七六~三八八四歌)

巻十六は、①②のように物語的な内容を踏まえた歌、まさに「有由縁」歌であり、そのほかは他の巻とは異なる視点からの「雑歌」を集めた形をなしており、「歌物語をはじめとして、雑多な、歌においてありうるこころみを(万葉集として)つくして見せ」ていると述べておられる。

 

 再び、歌碑の歌に戻ってみていこう。この歌は、「由縁」となる歌物語が収録されており、「其の一」と「其の二」の歌からなる歌物語である。

 「由縁」をみていこう。

 

◆昔者有娘子 字曰櫻兒也 于時有二壮子 共誂此娘 而捐生挌竟貪死相敵 於是娘子戯欷曰 従古来于今 未聞未見 一女之見徃適二門矣 方今壮子之意有難和平 不如妾死相害永息 尓乃尋入林中懸樹經死 其兩壮子不敢哀慟血泣漣襟 各陳心緒作謌二首

 

≪書き下し≫昔、娘子(をとめ)あり。字(あざな)を桜児(さくらこ)といふ。時に、二人(ふたり)の壮士(をとこ)あり。共にこの娘子(をとめ)を誂(とぶら)ひ、生(いのち)を捐(す)てて挌競(あらそ)ひ、死を貪(むさぼ)りて相敵(あひあた)る。ここに、娘子戯欷(なげ)きて日(い)はく、「古(いいしへ)より今に来(いた)るまで、いまだ聞かずいまだ見ず、一人(ひとり)の女(をみな)の身、二つの門(かど)に往適(ゆ)くといふことを。方今(いま)し壮士(をとこ)の意(こころ)、和平(やは)しかたきことあり。如(し)かじ、妾(われ)死(みま)かりて相害(あひそこな)ふこと永(なが)く息(や)まむには」といふ。すなはち、林の中に尋(たづ)ね入(い)り、樹(き)に懸(かか)りて経(わな)き死にき。その両人(ふたり)の壮士(をとこ)、哀慟(かなしび)に敢(あ)へず、血の泣(なみた)襟(えり)に漣(なが)る。おのもおのも心緒(おもひ)を陳(の)べて作る歌二首

 

(訳)昔娘子がいた。名を桜児という。時に二人の男がいて、ともにこの娘に求婚し、命を捨ててあらそい、死をおそれずに挑みあった。そこで娘はすすり泣きしながらいった。「昔から今にいたるまで、ひとりの女が二つの家に嫁ぐなど、聞いたことも見たこともありません。いま男たちの気持ちは、和解しようもありません。わたしが死んでたたかいをおさめるほかありません」と。娘はそこで林の中に入り、木に首を吊って死んだ。その二人の男は、深い悲しみに堪えず、血の涙に襟を濡らした。めいめいが思いを陳べて作った歌二首(神野志隆光 著 「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」 東京大学出版会より)

(注)あざな【字】:呼びならわされている名。通称。

(注)あとらふ 【誂ふ】頼んで自分の思いどおりにさせる。誘う。

(注)戯欷(なげ)きて:すすり泣いて

 

 

もう一首のほうもみてみよう。

◆妹之名尓 繋有櫻 花開者 常哉将戀 弥年之羽尓 其二

                  (作者未詳 巻十六 三七八七)

 

≪書き下し≫妹(いも)が名に懸(か)けたる桜花(はな)咲かば常(つね)にや恋ひむいや年のはに その二

 

(訳)いとしいあの子の名にかかわりのある桜、その桜の花が咲く時になったなら、いつも恋しさに堪えきれないであろう、来る年も来る年もずっと。 その二 (伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)懸けたる:かかわりのある

(注)いやとし【弥年】:毎年。年ごと。(コトバンク 大辞林 第三版)

 

先にあげていた事例の①にように題詞の語る物語の中の登場人物が、歌を詠うという点で、通常の題詞と意味合いが異なり、題詞という物語的な内容に加え歌があり、全体として、歌物語となっているのである。

 

奈良県橿原市大久保町の大久保町公民館の前庭に「桜児伝説」の桜児の「娘子塚(おとめづか)」がある。二人の男に結婚を申し込まれ、二人の争いをやめさせようと自死したという桜児のお話である。万葉集巻十六の巻頭に「有由縁幷雑歌」とある。他の巻にあるような「題詞」とことなり、「由縁」となる物語と物語に登場する人物の歌を収録する、すなわち「由縁」+「歌」で一つの歌物語を形成する形も取られている。万葉集として、このような形での歌の世界を広げている試みがなされているのである。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」 神野志隆光 著 (東京大学出版会

★「橿原の万葉歌碑めぐり」(橿原市観光政策課)

★「かしはら探訪ナビ」(橿原市HP)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 大辞林 第三版」