万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2465)―

●歌は、「橘の下吹く風のかぐわしき筑波の山を恋ひずあらめかも」である。

茨城県つくば市大久保 つくばテクノパーク大穂万葉歌碑(占部広方) 20230927撮影

●歌碑は、茨城県つくば市大久保 つくばテクノパーク大穂にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆多知波奈乃 之多布久可是乃 可具波志伎 都久波能夜麻乎 古比須安良米可毛

       (占部広方 巻二十 四三七一)

 

≪書き下し≫橘の下吹く風のかぐはしき筑波の山を恋ひずあらめかも

 

(訳)橘の木陰を吹き抜ける風がかぐわしく薫る筑波の山よ、ああ、あの山にどうして恋い焦がれずにいられようか。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫

(注)かぐはしき:かぐわしくかおる。(伊藤脚注)

(注)めかも:メカモは反語。(伊藤脚注)

(注の注)めかも :(推量の助動詞「む」の已然形「め」に、反語の意を表わす係助詞「か」、詠嘆を表わす係助詞「も」の付いたもの。東歌に見られる語法) =めやも (コトバンク 精選版 日本国語大辞典

 

左注は、「右一首助丁占部廣方」<右の一首は助丁占部広方(じよちやううらべのひろかた)>である。

 

 四三六三から四三七二歌の歌群は、常陸の国の防人歌である。家持に十七首渡ったが、拙劣の歌は省かれ万葉集には十首収録されている。

 

 十首をみてみよう。

 

■四三六三歌■

◆奈尓波都尓 美布祢於呂須恵 夜蘇加奴伎 伊麻波許伎奴等 伊母尓都氣許曽

       (若舎人部廣足 巻二十 四三六三)

 

≪書き下し≫難波津(なにはつ)に御船(みふね)下(お)ろ据(す)ゑ八十楫(やそか)貫(ぬ)き今は漕(こ)ぎぬと妹(いも)に告げこそ

 

(訳)難波津に御船を引き下ろして浮かべ、櫂(かい)をびっしり貫き並べて、今の今船を漕ぎ出して行くと、故郷(くに)のあの子に伝えておくれ。(同上)

(注)下(お)ろ据(す)ゑ:「下ろし据ゑ」の約か。(伊藤脚注)

(注)やそか【八十楫】名詞:多くの櫓(ろ)や櫂(かい)。(学研)

 

 

■四三六四歌■

◆佐伎牟理尓 多々牟佐和伎尓 伊敝能伊牟何 奈流弊伎己等乎 伊波須伎奴可母

       (若舎人部広足 巻二十 四三六四)

 

≪書き下し≫防人(さきむり)に立たむ騒(さわ)きに家の妹(いも)が業(な)るべきことを言はず来(き)ぬかも

 

(訳)防人に出で立とうとする騒ぎにとり紛れて、家の子の農事の手だて、ああその手だてについて何も言わないで来てしまったっけなあ。(同上)

(注)業るべきこと:農業に関する諸注意。(伊藤脚注)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その2019)」で紹介している。

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四三六三(略)と四三六四歌の左注は、「右二首茨城郡若舎人部廣足」<右の二首は茨城(うばらき)の郡(こほり)若舎人部廣足(わかとねりべのひろたり)>である。

 

 

 

■四三六五歌■

◆於之弖流夜 奈尓波能都>利 布奈与曽比 阿例波許藝奴等 伊母尓都岐許曽

       (物部道足 巻二十 四三六五)

 

≪書き下し≫押し照るや難波の津ゆり船装ひ我れは漕ぎぬと妹に告ぎこそ

 

(訳)照り輝く難波の港、この港から船出の準備をして、おれは今漕ぎ出してゆくと、故郷(くに)の子に伝えておくれ。(同上)

(注)おしてるや【押し照るや】分類枕詞:地名「難波(なには)」にかかる。かかる理由未詳。「おしてるや難波の海と」(学研)

(注)ふなよそふ【船装ふ】自動詞:船出の準備をする。(学研)

(注)告ぎこそ:告ゲコソの訛り。(伊藤脚注)

 

 

 

■四三六六歌■

◆比多知散思 由可牟加里母我 阿我古比乎 志留志弖都祁弖 伊母尓志良世牟

       (物部道足 巻十四 四三六六)

 

≪書き下し≫常陸(ひたち)さし行かむ雁(かり)もが我(あ)が恋を記(しる)して付けて妹(いも)に知らせむ

 

(訳)常陸をさして飛んで行く雁でもいればよい。そうしたら、おれのこの苦しみを書いて雁に託して、故郷(くに)のあの子に知らせように。(同上)

 

左注は、「右二首信太郡物部道足」<右の二首は信太(しのだ)の郡の物部道足(もののべのみちたり)>である。

 

 

 

■四三六七歌■

◆阿我母弖能 和須例母之太波 都久波尼乎 布利佐氣美都々 伊母波之奴波尼

       (占部小竜 巻二十 四三六七)

 

≪書き下し≫我(あ)が面(もて)の忘れもしだは筑波嶺(つくはね)を振(ふ)り放(さ)け見つつ妹(いも)は偲(しぬ)はね

 

(訳)おれの顔を忘れそうな時には、筑波の嶺、この峰を振り仰いではお前さんはおれのことを偲(しの)んでおくれ。(同上)

(注)忘れもしだは:忘れそうな時には。「忘れも」は「忘れむ」の東国形。(伊藤脚注)

(注の注)しだ【時】名詞:とき。ころ。 ⇒参考:上代東国方言。現代でも用いる「寝しな」などの「しな」の古形という。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)偲はね:シノフ(思慕する)の訛り。

 

左注は、「右一首茨城郡占部小竜」<右の二首は茨城の郡の占部小竜(うらべのをたつ)>である。

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その2463)」で紹介している。

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■四三六八歌■

◆久自我波々 佐氣久阿利麻弖 志富夫祢尓 麻可知之自奴伎 和波可敝里許牟

       (丸子部佐壮 巻二十 四三六八)

 

≪書き下し≫久慈川(くじがは)は幸(さけ)くあり待て潮船(しほぶね)にま楫(かじ)しじ貫(ぬ)き我は帰り来(こ)む

 

(訳)久慈川よ、お前はずっと変わらずに待っていておくれ。潮船に櫂(かい)をびっしり貫き並べて、おれはかならず帰って来るからな。(同上)

(注)しほぶね:海上を航行する船。防人の乗る官船を生活に密着した船の名で呼んだもの。(伊藤脚注)

(注の注)しほぶね【潮舟・潮船】名詞:海を漕(こ)ぎ進むふね。(学研)

 

左注は、「右一首久慈郡丸子部佐壮」<右の一首は、久慈(くじ)の郡の丸子部佐壮(まるこべのすけを)>である。

 

 

 

■四三六九歌■

◆都久波祢乃 佐由流能波奈能 由等許尓母 可奈之家伊母曽 比留毛可奈之礽

           (大舎人部千文 巻二十 四三六九)

 

≪書き下し≫筑波嶺(つくはね)のさ百合(ゆる)の花の夜床(ゆとこ)にも愛(かな)しけ妹(いも)ぞ昼も愛(かな)しけ

 

(訳)筑波の峰に咲き匂うさゆりの花というではないが、その夜(よる)の床でもかわいくてならぬ子は、昼間でもかわいくってたまらぬ。(同上)

(注)上二句は序。「夜床」を起こす。(伊藤脚注)

(注)さ百合の花:妻を匂わす。(伊藤脚注)

(注)愛しけ:「愛しき」の東国形。(伊藤脚注)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その2255)」で紹介している。

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■四三七〇歌■

◆阿良例布理 可志麻能可美乎 伊能利都ゝ 須米良美久佐尓 和例波伎尓之乎

      (大舎人部千文 巻二十 四三七〇)

 

≪書き下し≫霰降り鹿島の神を祈りつつ皇御軍に我れは来にしを

 

(訳)霰が降ってかしましいというではないが、鹿島の神、その猛々(たけだけ)しい神に祈りながら、天皇(すめらき)の兵士として、おれはやって来たつもりなのに・・・(同上)

(注)霰降り:「鹿島」の枕詞。

(注)鹿島の神:鹿島神宮の祭神、武甕槌神。(伊藤脚注)

(注)結句「我れは来にしを」のしたに、四三六九歌のような妻への愛着に暮れるとは、の嘆きがこもる。(伊藤脚注)

 

左注は、「右二首那賀郡上丁大舎人部千文」<右の二首は那賀(なか)の郡の上丁(じやうちやう)大舎人部千文(おほとねりべのちふみ)>である。

 

この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1325)」で紹介している。

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■四三七二歌■

◆阿志加良能 美佐可多麻波理 可閇理美須 阿例波久江由久 阿良志乎母 多志夜波婆可流 不破乃世伎 久江弖和波由久 牟麻能都米 都久志能佐伎尓 知麻利為弖 阿例波伊波々牟 母呂々々波 佐祁久等麻乎須 可閇利久麻弖尓

       (倭文部可良麻呂 巻二十 四三七二)

 

≪書き下し≫足柄(あしがら)の み坂(さか)給(たま)はり 返り見ず 我(あ)れは越(く)え行く 荒(あら)し男(を)も 立(た)しやはばかる 不破(ふは)の関 越(く)えて我は行く 馬(むま)の爪(つめ) 筑紫(つくし)の崎(さき)に 留(ち)まり居(ゐ)て 我(あ)れは斎(いは)はむ 諸(もろもろ)は 幸(さけ)くと申(まを)す 帰り来(く)までに

 

(訳)足柄の御坂を通していただいて、あろも振り返らずにおれは越えて行く。どんなに剛直な男でさえも立ち止まってためらったりする不破の関、そいつも越えておれたちは行く。馬の蹄(つめ)もすり減って尽きるほど遠い筑紫の岬に駐(とどま)って、おれは身を清めて神に無事を祈ろう。故郷(くに)に衆もみんな、達者でいておくれと神にお祈り申し上げるのだ。帰って来るまで(同上)

(注)み坂給わり:神にみ坂を通して頂いて、の意。境の峠には交通妨害の恐ろしい神がいるとされた。(伊藤脚注)

(注)荒し男も立しやはばかる:「荒し男」は剛直無比は男。「立し」は「立ち」の東国形。(伊藤脚注)

(注)馬の爪:「筑紫」の枕詞。尽くす意。(伊藤脚注)

(注)留(ち)まり:トマリの訛り。(伊藤脚注)

 

左注は、「右一首倭文部可良麻呂」<右の一首は倭文部可良麻呂(しとりべのからまろ)>である。

「二月十四日常陸國部領防人使大目正七位上息長真人國嶋進歌數十七首 但拙劣歌者不取載之」<二月の十四日、常陸(ひたち)の国(くに)の部領防人使(さきもりのことりづかい)大目(だいさくわん)正七位上息長真人国島(おきながのまひとくにしま)。進(たてまつ)歌の数。ただし拙劣(せつれつ)の歌は取り載せず>である。

 

 

 本稿で、つくばテクノパーク大穂の万葉歌碑の紹介は終わりです。次は、筑波山神社の歌碑巡りとなります。ご期待ください。

 

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」