●歌は、「鶏が鳴く 東国に 高山は さはにあれども 二神の 貴き山の 並み立ちの 見が欲し山と 神代より 人の言ひ継ぎ 国見する 筑波の山を 冬こもり 時じき時と 見ずて行かば 増して恋しみ 雪消する 山道すらを なづみぞ我が来る」である。
●歌をみていこう。
題詞は、「登筑波岳丹比真人國人作歌一首幷短歌」<筑波(つくば)の岳(たけ)に登りて、丹比真人国人(たじひのまひとくにひと)が作る歌一首併(あは)せて短歌>である。
◆鷄之鳴 東國尓 高山者 佐波尓雖有 朋神之 貴山乃 儕立乃 見杲石山跡 神代従 人之言嗣 國見為 筑羽乃山矣 冬木成 時敷時跡 不見而徃者 益而戀石見 雪消為 山道尚矣 名積叙吾来煎
(丹比國人真人 巻三 三八二)
≪書き下し≫鶏(とり)が鳴く 東(あずま)の国に 高山(たかやま)は さはにあれども 二神(ふたがみ)の 貴(たふと)き山の 並(な)み立ちの 見(み)が欲(ほ)し山と 神代(かみよ)より 人の言ひ継ぎ 国見(くにみ)する 筑波の山を 冬こもり 時じき時と 見ずて行(ゆ)かば 増して恋(こひ)しみ 雪消(ゆきげ)する 山道(やまみち)すらを なづみぞ我(あ)が来(け)る
(訳)ここ鷄が鳴く東の国に高い山はたくさんあるけれども、中でとりわけ、男(お)の神と女(め)の神の貴い山で並び立つさまが格別心をひきつける山と、神代の昔から人びとが言い伝え、春ごとに国見が行われてきた筑波の山よ、この山を今は冬でその時期でないからと国見をしないで行ってしまったなら、これまで以上に恋しさがつのるであろうと、雪解けのぬかるんだ山道なのに、そこを難渋しながら私はやっとこの頂までやって来た。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)とりがなく【鳥が鳴く・鶏が鳴く】分類枕詞:東国人の言葉はわかりにくく、鳥がさえずるように聞こえることから、「あづま」にかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)二神の:男山と女山の二峰から成る。(伊藤脚注)
(注)冬こもり時じき時と:まだ冬でその時ではないからと、の意。
(注の注)ふゆごもり【冬籠り】名詞:寒い冬の間、動植物が活動をひかえること。また、人が家にこもってしまうこと。 ※古くは「ふゆこもり」。(学研)
(注の注)ふゆごもり【冬籠り】分類枕詞:「春」「張る」にかかる。かかる理由は未詳。 ※古くは「ふゆこもり」。(学研)
(注の注)ときじ【時じ】形容詞:①時節外れだ。その時ではない。②時節にかかわりない。常にある。絶え間ない。 ⇒参考 上代語。「じ」は形容詞を作る接尾語で、打消の意味を持つ。(学研)
(注)ゆきげ【雪消・雪解】名詞:①雪が消えること。雪どけ。また、その時。②雪どけ水。※「ゆき(雪)ぎ(消)え」の変化した語。(学研)
(注)なづむ【泥む】自動詞:①行き悩む。停滞する。②悩み苦しむ。③こだわる。気にする。(学研)
(注)来(け)る:「来+あり」の約「来り」の連体形。やって来ている。(伊藤脚注)
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1170)」で紹介している。
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つくばテクノパーク大穂で、事前に十分準備はしてきたつもりであったが、結局2基の歌碑を見つけることができず、時間を食ってしまったのが残念であった。
もともとの計画では、つくば市臼井稲野飯名神社の歌碑も巡る予定であったが、京都まで帰ることを考え、また道が狭そうなので、レンタカーであることを考え併せ、スキップして、筑波山神社に行くことにした。
筑波山神社は有名であるのでアクセスには問題がなかった。道中、筑波山を見ながらのドライブである。
神社前のお店の駐車場に預ける。500円である。妥当なところか。
参道を上り、拝殿に向かう参道に「隋神門」がある。
「随神門」については、「ニッポン旅マガジンHP」に次のように書かれている。
筑波山信仰の中心は神仏習合の中禅寺だったため(筑波山神社はその後継)、初代の随神門も、徳川家光の中禅寺大修築の際に造営されたもの。・・・今では随神門ですが、往時は仁王門で、仁王像(金剛力士像)を安置していました。
筑波山神社が神社なのに寺の雰囲気があるのはそのため(神仏習合時代の名残)「隋神門」は、中禅寺の仁王門を移築したものである。
境内を巡り万葉歌碑探索をおこなった。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「つくばエクスプレスHP」
★「ニッポン旅マガジンHP」
★「筑波山神社HP」