万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2469)―

●歌は、「衣手 常陸の国の 二並ぶ 筑波の山を 見まく欲ほり 君来ませりと 暑けくに 汗掻き投げ 木の根取り うそぶき登り 峰の上を 君に見すれば 男神も 許したまひ 女神も ちはひたまひて 時となく 雲居雨降る 筑波嶺を さやに照らして いふかりし 国のまほらを つばらかに 示したまへば 嬉しみと 紐の緒解きて 家のごと 解けてぞ遊ぶ うち靡く 春見ましゆは 夏草の 茂くはあれど 今日の楽しさ」と「今日の日にいかにか及かむ筑波嶺に昔の人の来けむその日も」である。

茨城県つくば市筑波 筑波山神社万葉歌碑(高橋虫麻呂) 20230927撮影

●歌碑は、茨城県つくば市筑波 筑波山神社にある。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「検税使大伴卿登筑波山時歌一首 幷短歌」<検税使(けんせいし)大伴卿(おほとものまへつきみ)が筑波山(つくはやま)に登る時の歌一首 幷(あは)せて短歌>である。

(注)検税使:諸国の正税(しょうぜい)と正税帳との照合に派遣される特使。(伊藤脚注)

(注)大伴卿:家持の父旅人であろう。(伊藤脚注)

 

◆衣手 常陸國 二並 筑波乃山乎 欲見 君来座登 熱尓 汗可伎奈氣 木根取 嘯鳴登峯上乎 公尓令見者 男神毛 許賜 女神毛 千羽日給而 時登無 雲居雨零 筑波嶺乎 清照 言借石 國之真保良乎 委曲尓 示賜者 歡登 紐之緒解而 家如 解而曽遊 打靡 春見麻之従者 夏草之 茂者雖在 今日之樂者

       (高橋虫麻呂 巻九 一七五三)

 

≪書き下し≫衣手(ころもで) 常陸(ひたち)の国の 二並(ふたなら)ぶ 筑波の山を 見まく欲ほ)り 君来ませりと 暑(あつ)けくに 汗掻(か)き投げ 木(こ)の根取り うそぶき登り 峰(を)の上(うへ)を 君に見すれば 男神(ひこかみ)も 許したまひ 女神(ひめかみ)も ちはひたまひて 時となく 雲居(くもゐ)雨降る 筑波嶺(つくはね)を さやに照らして いふかりし 国のまほらを つばらかに 示したまへば 嬉(うれ)しみと 紐(ひも)の緒(を)解きて 家(いへ)のごと 解けてぞ遊ぶ うち靡(なび)く 春見ましゆは 夏草(なつくさ)の 茂くはあれど 今日(けふ)の楽(たの)しさ

 

(訳)ここ常陸の国の雌雄並び立つ筑波の山、この山を見たいと我が君がはるばる来られたこととて、真夏の暑い時に汗を手でぬぐい払い投げて、木の根に縋(すが)って喘(あえ)ぎながら登り、頂上を我が君にお見せすると、男神もとくにお許し下さり、女神も霊威をお垂れになって、いつもは時を定めず雲がかかり雨の降るこの筑波嶺なのに、今日ははっきり照らして、気がかりにしていたこの国随一のすばらしさを隈(くま)なく見せて下さったので、嬉しさのあまり着物の紐をほどいて、家にいるううにくつろいで遊ぶ今日一日です。草なよやかな春に見るよりは、夏草が生い茂っているとはいえ、今日の楽しさはまた別格です。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)ころもで【衣手】分類枕詞:袖(そで)を水に浸すことから、「ひたす」と同じ音を含む地名「常陸(ひたち)」にかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)うそぶき登り:あえぎながら登り。(伊藤脚注)

(注の注)うそぶく【嘯く】自動詞:①口をすぼめて息をつく。息をきらす。②そらとぼける。③口笛を吹く。(学研)ここでは①の意

(注)ちはひたまひて:霊力を現し下さって。(伊藤脚注)

(注の注)ちはふ【幸ふ】自動詞:霊力を現して加護する。 ※「ち」は霊力の意。(学研)

(注)時となく雲居雨降る筑波嶺を:いつもは時を定めず雲がかかり雨の降る筑波嶺なのに。(伊藤脚注)

(注の注)ときとなく【時と無く】分類連語:いつと決めずに。いつも。 ⇒なりたち 名詞「とき」+格助詞「と」+形容詞「なし」の連用形(学研)

(注)いふかりし:どう見えるか気がかりであった。(伊藤脚注)

(注の注)いぶかる【訝る】自動詞:気がかりに思う。知りたいと思う。 ※上代は「いふかる」。(学研)

(注)まほら:最もすぐれた所。ラは接尾語。(伊藤脚注)

(注の注)まほら 名詞:まことにすぐれたところ。まほろば。まほらま。 ※「ま」は接頭語、「ほ」はすぐれたものの意、「ら」は場所を表す接尾語。上代語。(学研)

(注)解けてぞ遊ぶ:心がくつろいで。(伊藤脚注)

(注)うちなびく【打ち靡く】分類枕詞:なびくようすから、「草」「黒髪」にかかる。また、春になると草木の葉がもえ出て盛んに茂り、なびくことから、「春」にかかる。(学研)

(注)春見ましゆは:かりに春に見るよりは。(伊藤脚注)

 

 

 

 反歌もみてみよう。

 

◆今日尓 何如将及 筑波嶺 昔人之 将来其日毛

        (高橋虫麻呂 巻九 一七五四)

 

≪書き下し≫今日(けふ)の日にいかにか及(し)かむ筑波嶺に昔の人の来(き)けむその日も

 

(訳)今日のこの楽しさにどうして及ぼう。ここ筑波嶺に昔の人がやって来たというその日の楽しさだって。(同上)

(注)しく【如く・及く・若く】自動詞:①追いつく。②匹敵する。及ぶ。(学研)ここでは②の意

(注)むかしのひと【昔の人】分類連語:①過去の時代の人。古人(こじん)。②亡くなった人。故人(こじん)。③昔、なれ親しんだ人。昔なじみ。(学研)ここでは③の意

 

 この長短歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1172)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

この歌に関して、「フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』」の「検税使」の項に次のように触れられているので引用させていただきます。

「『検税使』の語の初出は『万葉集』の『検税使大伴卿の、筑波山に登る時の歌一首幷せて短歌』とあり、滝川政次郎によると、これは養老3年(719年)初めに大伴旅人常陸国に派遣されたことではないか、という。この歌は高橋虫麻呂の歌集の中にあり、藤原宇合と虫麻呂との間に密接な関係があり、宇合が常陸守の任にあったのが養老3年7月頃から神亀元年(724年)4月頃までと想定され、大伴旅人が『卿』と呼ばれる従三位に叙せられたのが養老5年(721年)正月5日であることなどから、この歌の作られたのは養老6、7年頃(722年 - 723年)とも推定される。」

 

 


この歌碑は、歌碑群の一番奥にある。古びた歌碑で文字も詠みづらい。拾い読みして確認することができた。

 

右の三基は、歌の解説案内板があるが、この碑にはない。

白い案内板は、「筑波嶺は女男の神山並び立ち空をかぎりて乳房型の山」という中村正爾の短歌が書かれている。



 

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』」