万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集に世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2452)―

●歌は、「筑波嶺の裾みの田居に秋田刈る妹がり遣らむ黄葉手折らな」である。

茨城県つくば市大久保 つくばテクノパーク大穂万葉歌碑(高橋虫麻呂) 20230927撮影

●歌碑は、茨城県つくば市大久保 つくばテクノパーク大穂にある。

 

●歌をみていこう。

 

一七五七・一五五八歌の題詞は、「登筑波山歌一首 幷短歌」<筑波山(つくはやま)に登る歌一首 幷せて短歌>である。

 

◆筑波嶺乃 須蘇廻乃田井尓 秋田苅 妹許将遺 黄葉手折奈

       (高橋虫麻呂 巻九 一七五八)

 

≪書き下し≫筑波嶺の裾(すそ)みの田居(たゐ)に秋田(あきた)刈る妹(いも)がり遣(や)らむ黄葉(もみち)手折(たお)らな

 

(訳)筑波嶺の山裾の田んぼで秋田を刈っているかわいい子に遣(や)るためのもみじ、そのもみじを手折ろう。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)すそみ【裾回・裾廻】名詞:山のふもとの周り。「すそわ」とも。 ※「み」は接尾語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)たゐ【田居】名詞:①田。たんぼ。②田のあるような田舎。(学研)

(注)いもがり【妹許】名詞:愛する妻や女性のいる所。 ※「がり」は居所および居る方向を表す接尾語。(学研)

(注)な 終助詞《接続》活用語の未然形に付く。:①〔自己の意志・願望〕…たい。…よう。②〔勧誘〕さあ…ようよ。③〔他に対する願望〕…てほしい。 ※上代語。 ⇒語法:主語の人称による判断(学研)ここでは①の意

 

 一七五七歌もみてみよう。

 

草枕 客之憂乎 名草漏 事毛有哉跡 筑波嶺尓 登而見者 尾花落 師付之田井尓 鴈泣毛 寒来喧奴 新治乃 鳥羽能淡海毛 秋風尓 白浪立奴 筑波嶺乃 吉久乎見者 長氣尓 念積来之 憂者息沼

      (高橋虫麻呂 巻九 一七五七)

 

≪書き下し≫草枕(くさまくら) 旅の憂(うれ)へを 慰(なぐさ)もる こともありやと 筑波嶺(つくはね)に 登りて見れば 尾花(をばな)散る 師付(しつく)の田居(たゐ)に 雁(かり)がねも 寒く来鳴(きな)きぬ 新治(にひばり)の 鳥羽(とば)の淡海(あふみ)も 秋風に 白波立ちぬ 筑波嶺の よけくを見れば 長き日(け)に 思ひ積み来(こ)し 憂(うれ)へはやみぬ

 

(訳)草を枕の旅の憂い、この憂いを紛らわすよすがもあろうかと、筑波嶺に登って見はるかすと、尾花の散る師付の田んぼには、雁も飛来して寒々と鳴いている。新治の鳥羽の湖にも、秋風に白波が立っている。筑波嶺のこの光景を目にして、長い旅の日数に積りに積もっていた憂いは、跡形もなく鎮まった。(同上)

(注)旅の憂へ:漢語の「旅愁」にあたる。他には見えない表現。(伊藤脚注)

(注)師付の田居:万葉の歌人高橋虫麻呂が歌に詠んだ場所といわれており、現在の志筑地区の北側、恋瀬川下流一帯の水田をさしたものと推定されています。この地には、昭和48年以前は鹿島やわらと称し、湿原の中央に底知れずの深井戸があったとされていますが、耕地整理によって景観がかわり、もとの深井戸があった場所から水を引いています。

この井戸にまつわる話として、日本武尊が水飲みの器を落したという内容や、鹿島の神が陣を張って炊事用にしたという内容が伝えられています。(かすみがうら市歴史博物館HP)

(注)新治:筑波山東麓の地。国府のあった石岡市の西郊。(伊藤脚注)

(注)鳥羽の淡海:東に小貝川、西に鬼怒川が流れ、その間にある市街地は北から伸びる洪積台地の末端となっています。小貝川沿岸の低地は「万葉集」に詠まれた鳥羽の淡海跡で、水田地帯となっています。主な観光スポットは、茨城百景に選定されている「砂沼」や関東最古の八幡様の「大宝八幡宮」などがあります。(いばらき観光キャンペーン推進協議会HP)

(注)よけく【良けく・善けく】:よいこと。 ※派生語。上代語。 ⇒なりたち:形容詞「よし」の上代の未然形+接尾語「く」(学研)

 

 一七五七歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1305-1)」で紹介している。

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 万葉仮名で書かれている「田井」の文字を見て、ふと中学時代にこの名字の奴がいたと思いだした。脱線するが、「名字由来net」HPによると【全国順位】は、1,563位で【全国人数】 およそ10,200人ということである。

 気になりついでに、一七五七、一七五八歌のどちらにも使われている「田居」を詠った歌をさがしてみることにした。

 

■一六九九歌■

◆巨椋乃 入江響奈理  射目人乃 伏見何田井尓 鴈相良之

       (柿本人麻呂歌集 巻九 一六九九)

 

≪書き下し≫巨椋(おほくら)の入江(いりえ)響(とよ)むなり射目人(いめひと)の伏見(ふしみ)が田居(たゐ)に雁(かり)渡るらし

 

(訳)巨椋の入江がざわざわと鳴り響いている。射目人の伏すという伏見の田んぼに、雁が移動してゆくのであるらしい。(同上)

(注)巨椋の入江:宇治市の西にあった巨椋(おぐら)池。(伊藤脚注)

(注)いめひとの【射目人の】〔枕〕:射目人は伏して獲物をねらうので「伏見」にかかる。(広辞苑無料検索)

(注)たゐ【田居】名詞:①田。たんぼ。②田のあるような田舎。(学研)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その194改)」で紹介している。

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■二二四五歌■

◆剱後 玉纒田井尓 及何時可 妹乎不相見 家戀将居

       (作者未詳 巻十 二二四五)

 

≪書き下し≫太刀(たち)の後(しり)玉纒(たままき)田居(たゐ)にいつまでか妹(いも)を相見(あひみ)ず家(いへ)恋ひ居(を)らむ

 

(訳)太刀の後(しり)に玉を纒(ま)くというではないが、この玉纒の田んぼで、いったいいつまで、いとしい人にも逢わずに、家恋しさのまま過ごすことにあるのであろうか。(同上)

(注)太刀の後:「玉纒」(所在不明)の枕詞。(伊藤脚注)

(注)たゐ【田居】 名詞:①田。たんぼ。②田のあるような田舎。(学研)

 

 

■二二四九歌■

◆鶴鳴之 所聞田井尓 五百入為而 吾客有跡 於妹告社

       (巻十 二二四九)

 

≪書き下し≫鶴(たづ)が音(ね)の聞こゆる田居(たゐ)に廬りして我(わ)れ旅なりと妹(いも)に告げこそ

 

(訳)鶴の鳴き声の聞こえる田んぼに仮住いをして、私がひとり家を離れて暮らしていると、あの子に告げておくれ。(同上)

 

 

 

◆春霞 多奈引田居尓 廬付而 秋田苅左右 令思良久

(作者未詳 巻十 二二五〇)

 

≪書き下し≫春霞(はるかすみ)たなびく田居(たゐ)に廬(いほ)つきて秋田刈るまで思はしむらく

                 

(訳)春霞のたなびく田んぼに仮小屋を作ってから、秋の田を刈る頃になるまで、ずっと私をいらいらさせ続けるとは・・・。(同上)

(注)「しむらく」は「しむ」のク語法>【ク語法】:活用語の語尾に「く(らく)」が付いて、全体が名詞化される語法。「言はく」「語らく」「老ゆらく」「悲しけく」「散らまく」など。→く(接尾) →らく(接尾)(weblio辞書 デジタル大辞泉

 

 二二四五、二二四九、二二五〇歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その794-9)で紹介している。

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■四二二四歌■

◆朝霧之 多奈引田為尓 鳴鴈乎 留得哉 吾屋戸能波義

         (光明皇后 巻十九 四二二四)

 

≪書き下し≫朝霧(あさぎり)のたなびく田居(たゐ)に鳴く雁(かり)を留(とど)め得むかも我が宿の萩(はぎ)

 

(訳)朝霧のたなびく田んぼに来て鳴く雁、その雁を引き留めておくことができるだろうか、我が家の庭の萩は。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

 

(注)たゐ【田居】名詞:①田。たんぼ。②田のあるような田舎。(学研)

 

 左注は。「右一首歌者幸於芳野宮之時藤原皇后御作 但年月未審詳 十月五日河邊朝臣東人傳誦云尓」<右の一首の歌は、吉野の宮に幸(いで)ます時に、藤原皇后(ふぢはらのおほきさき)作らす。 ただし、年月いまだ審詳(つばひ)らかにあらず。 十月の五日に、河邊朝臣東人(かはへのあそみあづまひと)、伝誦(でんしょう)してしか云ふ>である。

(注)藤原皇后:光明皇后藤原不比等の娘。孝謙天皇の生母。

(注)伝誦(でんしょう)( 名 ):語り伝えること。(weblio辞書 三省堂大辞林 第三版) 

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その645)」で紹介している。

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■四二六〇歌■

◆皇者 神尓之座者 赤駒之 腹婆布田為乎 京師跡奈之都

       (大伴御行 巻十九 四二六〇)

 

≪書き下し≫大君(おほきみ)は神にしませば赤駒(あかごま)の腹這(はらば)ふ田居(たゐ)を 都と成(な)しつ

 

(訳)我が大君は神でいらっしゃるので、赤駒でさえも腹まで漬(つ)かる泥深い田んぼ、そんな田んぼすらも、立派な都となされた。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)大君:ここでは天武天皇

(注)はらばふ【腹這ふ】自動詞:①はう。腹ばいで前進する。②つるや根がのび広がる。(学研)ここでは①の意

(注)たゐ 【田居】:田。たんぼ。

 

 題詞は、「壬申年之乱平定以後歌二首」<壬申(じんしん)の年の乱平定(しづ)まりし以後(のち)の歌二首>とある。

 

 左注は、「右一首大将軍贈右大臣大伴卿昨」<右の一首は、大将軍贈右大臣大伴卿が作(おほとものまへつきみ)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その144改)」で紹介している。

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■四四五六歌

題詞は、「薩妙觀命婦報贈歌一首」<薩妙觀命婦が報(こた)へ贈る歌一首>である。

 

◆麻須良乎等 於毛敝流母能乎 多知波吉弖 可尓波乃多為尓 世理曽都美家流

          (薩妙観命婦 巻二十 四四五六)

 

≪書き下し≫ますらをと思へるものを大刀(たち)佩(は)きて可爾波(かには)の田居(たゐ)に芹ぞ摘みける

 

(訳)立派なお役人と思い込んでおりましたのに、何とまあ、太刀を腰に佩いたまま、蟹のように這いつくばって、可爾波(かには)の田んぼで芹なんぞをお摘みになっていたとは。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)ますらを【益荒男・丈夫】名詞:心身ともに人並みすぐれた強い男子。りっぱな男子。[反対語] 手弱女(たわやめ)・(たをやめ)。 ⇒ 参考 上代では、武人や役人をさして用いることが多い。後には、単に「男」の意で用いる。(学研)

(注)可爾波(かには):京都府木津川市山城町綺田の地。「可爾」に「蟹」を懸け、這いつくばっての意をこめるか。(伊藤脚注)。

(注)芹ぞ摘みける:芹なんぞをお摘みになったとは。感謝の気持ちを諧謔に託している。(伊藤脚注)。

(注の注)かいぎゃく【諧謔】:こっけいみのある気のきいた言葉。しゃれや冗談。ユーモア。「諧謔を弄ろうする」(コトバンク デジタル大辞泉

 

左注は、「右二首左大臣讀之云尓 左大臣葛城王 後賜橘姓也」<右二首は、左大臣読みてしか云ふ 左大臣はこれ葛城王にして、 後に橘の姓を賜はる>である。

 

この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その2092)で紹介している。

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 三省堂大辞林 第三版」

★「コトバンク デジタル大辞泉

★「広辞苑無料検索」

★「名字由来net HP」

★「いばらき観光キャンペーン推進協議会HP」

★「かすみがうら市歴史博物館HP」