万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その2091~2093)―高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(97~99)―万葉集 巻二十 四四四八、四四五六、四四七六

―その2091―

●歌は、「あぢさゐの八重咲くごとく八つ代にをいませ我が背子見つつ偲はむ」である。

高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(97)万葉歌碑(橘諸兄

●歌碑は、高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(97)である。

 

●歌をみていこう。

 

◆安治佐為能 夜敝佐久其等久 夜都与尓乎 伊麻世和我勢故 美都ゝ思努波牟

       (橘諸兄 巻二十 四四四八)

 

≪書き下し≫あぢさいの八重(やへ)咲くごとく八(や)つ代(よ)にをいませ我が背子(せこ)見つつ偲ばむ

 

(訳)あじさいが次々と色どりを変えてま新しく咲くように、幾年月ののちまでもお元気でいらっしゃい、あなた。あじさいをみるたびにあなたをお偲びしましょう。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)八重(やへ)咲く:次々と色どりを変えてま新しそうに咲くように。あじさいは色の変わるごとに新しい花が咲くような印象をあたえる。(伊藤脚注)

(注)八(や)つ代(よ):幾久しく。上の「八重」を承けて「八つ代」といったもの。(伊藤脚注)

(注)を 格助詞《接続》体言や体言に準ずる語に付く。:①〔動作の対象〕…を。②〔動作の起点・経由点〕…を。…から。③〔持続する時間〕…を。④〔動作の相手〕…に。…と。⑤〔心情の対象〕…が。…を。⑥〔「…を…に」「…を…にて」の形で〕…を(…として)。⑦〔「寝(い)を寝(ぬ)」「音(ね)を鳴く」など、下の動詞と同じ意味合いの名詞の下に付けた形で、強調を示す〕(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)います【坐す・在す】[一]自動詞:①いらっしゃる。おいでになる。▽「あり」の尊敬語。②おでかけになる。おいでになる。▽「行く」「来(く)」の尊敬語。(学研)

 

 左注は、「右一首左大臣寄味狭藍花詠也」≪右の一首は、左大臣、味狭藍(あじさゐ)の花に寄せて詠(よ)む。>である。

 

 この歌については、名古屋東山動植物園の歌碑とともに拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その982)」他で紹介している。(その982)では、橘諸兄万葉集への関わりといった点で、田辺福麻呂越中大伴家持のもとに「左大臣橘家之使者」として遣わし、歌の伝誦を行ったことにも触れている。

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―その2092―

●歌は、「ますらをと思へるものを大刀佩きて可爾波の田居に芹ぞ摘みける」である。

高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(98)万葉歌碑(薩妙観命婦

●歌碑は、高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(98)である。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「薩妙觀命婦報贈歌一首」<薩妙觀命婦が報(こた)へ贈る歌一首>である。

 

◆麻須良乎等 於毛敝流母能乎 多知波吉弖 可尓波乃多為尓 世理曽都美家流

          (薩妙観命婦 巻二十 四四五六)

 

≪書き下し≫ますらをと思へるものを大刀(たち)佩(は)きて可爾波(かには)の田居(たゐ)に芹ぞ摘みける

 

(訳)立派なお役人と思い込んでおりましたのに、何とまあ、太刀を腰に佩いたまま、蟹のように這いつくばって、可爾波(かには)の田んぼで芹なんぞをお摘みになっていたとは。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)ますらを【益荒男・丈夫】名詞:心身ともに人並みすぐれた強い男子。りっぱな男子。[反対語] 手弱女(たわやめ)・(たをやめ)。 ⇒ 参考 上代では、武人や役人をさして用いることが多い。後には、単に「男」の意で用いる。(学研)

(注)可爾波(かには):京都府木津川市山城町綺田の地。「可爾」に「蟹」を懸け、這いつくばっての意をこめるか。(伊藤脚注)。

(注)芹ぞ摘みける:芹なんぞをお摘みになったとは。感謝の気持ちを諧謔に託している。(伊藤脚注)。

(注の注)かいぎゃく【諧謔】:こっけいみのある気のきいた言葉。しゃれや冗談。ユーモア。「諧謔を弄ろうする」(コトバンク デジタル大辞泉

 

左注は、「右二首左大臣讀之云尓 左大臣葛城王 後賜橘姓也」<右二首は、左大臣読みてしか云ふ 左大臣はこれ葛城王にして、 後に橘の姓を賜はる>である。

 

四四五五歌で葛城王は、昼の多忙さを前に出し、「夜の暇に」と戯れている。これに対して、四四五六歌で、薩妙観命婦はからかいに対し絶妙に切り返しているのである。

 

 この歌については、葛城王の四四五六歌とともに、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1213)」で紹介している。

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歌に詠まれている「可爾波(かには)」は「京都府木津川市山城町綺田の地」と脚注にあるが、木津川市山城町綺田浜36に「蟹満寺」がある。「蟹満寺」については、京都府山城広域振興局HP「京都やましろ観光」に「普門山と号し、かつては『紙幡寺』『加波多寺』とも言われました。白凰期の末期(690年代)に、秦氏によって建立されたと伝えられています。 『今昔物語集』や『古今著聞集』に出てくる『蟹の恩返し』で有名です。国宝の釈迦如来坐像(高さ2.403m、重さ2tの金銅製)の造立は奈良時代以前と考えられています。

※蟹の恩返し・・・観音を厚く信仰していたある一人の娘が蟹を助けた。後にその娘が蛇に求婚されて困っていると、蟹が蛇を殺して恩返しをしたという話。」と書かれている。

 

京都府山城広域振興局HP「京都やましろ観光」より引用させていただきました。

 

 

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―その2093―

●歌は、「奥山のしきみが花の名のごとやしくしく君に恋ひわたりなむ」である。

高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(99)万葉歌碑(大原真人今城)

●歌碑は、高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(99)である。

 

●歌をみていこう。

 

四四七五、四四七六歌の題詞は、「廿三日集於式部少丞大伴宿祢池主之宅飲宴歌二首」<二十三日に、式部少丞(しきぶのせうじよう)大伴宿禰池主が宅(いへ)に集(つど)ひ飲宴(うたげ)する歌二首>である。

 

◆於久夜麻能 之伎美我波奈能 奈能其等也 之久之久伎美尓 故非和多利奈無

        (大原真人今城 巻二十 四四七六)

 

≪書き下し≫奥山のしきみが花の名のごとやしくしく君に恋ひわたりなむ 

 

(訳)奥山に咲くしきみの花のその名のように、次から次へとしきりに我が君のお顔が見たいと思いつづけることでしょう、私は。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)しきみ【樒】名詞:木の名。全体に香気があり、葉のついた枝を仏前に供える。また、葉や樹皮から抹香(まつこう)を作る。(学研)

(注の注)しきみ:「頻き見」を懸ける。(伊藤脚注)

(注)しくしく(と・に)【頻く頻く(と・に)】副詞:うち続いて。しきりに。(学研)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1847)」で紹介している。

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク デジタル大辞泉

★「京都やましろ観光」 (京都府山城広域振興局HP)