万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1213)―加古川市稲美町 中央公園万葉の森(11)―万葉集 巻二十 四四五五

●歌は、「あかねさす昼は田賜びてのぬばたまの夜のいとまに摘める芹これ」である。

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加古川市稲美町 中央公園万葉の森(11)万葉陶板歌碑(葛城王

●万葉陶板歌碑は、加古川市稲美町 中央公園万葉の森(11)にある。

 

●歌をみていこう。

 

 題詞は、「天平元年班田之時使葛城王従山背國贈薩妙觀命婦等所歌一首 副芹子褁」<天平元年の班田(はんでん)の時に、使(つかひ)の葛城王(かづらきのおほきみ)、山背の国より薩妙観命婦等(せちめうくわんみやうぶら)の所に贈る歌一首 芹子(せり)の褁に副ふ>である。

(注)天平元年:729年。この十一月に平城京畿内の班田司が任命された。

(注の注)【班田収授の法】:律令制で、人民に耕地を分割する法。中国、唐の均田法にならい、大化の改新の後に採用されたもので、6年ごとに班田を実施し、6歳以上の良民の男子に2段、良民の女子と官戸・公奴婢(くぬひ)にはその3分の2、家人・私奴婢には良民男女のそれぞれ3分の1の口分田(くぶんでん)を与えた。終身の使用を許し、死亡の際に国家に収めた。平安初期以後は実行が困難になった。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)みゃうぶ【命婦】名詞:宮中や後宮(こうきゆう)の女官の一つ。五位以上の女官(内(ない)命婦)と、五位以上の役人の妻(外(げ)命婦)がある。平安時代以後は、中級の女官をいう。(学研)

 

 

◆安可祢佐須 比流波多ゝ婢弖 奴婆多麻乃 欲流乃伊刀末仁 都賣流芹子許礼

            (葛城王 巻二十 四四五五)

 

≪書き下し≫あかねさす昼は田(た)賜(た)びてぬばたまの夜のいとまに摘(つ)める芹子(せり)これ

 

(訳)日の照る昼には田を班(わか)ち与えるのに手を取られ、暗い夜の暇を盗んで摘んだ芹ですぞ、これは。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)田(た)賜(た)びて:田を班(わか)ち与えるのに手を取られ。

 

  この葛城王の歌に対して命婦が報(こた)えた歌が、四四五六歌である。これもみてみよう

題詞は、「薩妙觀命婦報贈歌一首」<薩妙觀命婦が報(こた)へ贈る歌一首>である。

 

◆麻須良乎等 於毛敝流母能乎 多知波吉弖 可尓波乃多為尓 世理曽都美家流

          (薩妙観命婦 巻二十 四四五六)

 

≪書き下し≫ますらをと思へるものを大刀(たち)佩(は)きて可爾波(かには)の田居(たゐ)に芹ぞ摘みける

 

(訳)立派なお役人と思い込んでおりましたのに、何とまあ、太刀を腰に佩いたまま、蟹のように這いつくばって、可爾波(かには)の田んぼで芹なんぞをお摘みになっていたとは。

(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)ますらを【益荒男・丈夫】名詞:心身ともに人並みすぐれた強い男子。りっぱな男子。

[反対語] 手弱女(たわやめ)・(たをやめ)。 ⇒ 参考 上代では、武人や役人をさして用いることが多い。後には、単に「男」の意で用いる。(学研)

(注)可爾波(かには):京都府木津川市山城町綺田の地

 

左注は、「右二首左大臣讀之云尓 左大臣葛城王 後賜橘姓也」<右二首は、左大臣読みてしか云ふ 左大臣はこれ葛城王にして、 後に橘の姓を賜はる>である。

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その277)」で紹介している。

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 「ますらをと思へる」とは、「ますらをたるものが・・・」という、すなわち「立派なお役人ともあろうお方が・・・」と期待されるイメージとのギャップを言外に漂わせているのである。そして「太刀を腰に佩いたまま、蟹のように這いつくばって、可爾波(かには)の田んぼで芹なんぞをお摘みになっていたとは。」とウイットに富んだ言い回しで報(こた)えているのである。

 

 このような「ますらをと思へる」という表現は、万葉集ではいくつかみられる。これらをみてみよう。

 

■巻一 五歌

◆「・・・ますらをと思へる我(わ)れも草枕旅にしあれば思ひ遣(や)るたづきを知らに・・・思ひぞ焼くる我(あ)が下心(したごころ)」

 

(訳)・・・立派な男子だと思っている私としてからが、草を枕の遠い旅空にあることとて、思いを晴らすすべも知らず・・・故郷への思いにただ焼け焦がれている。ああ、切ないこの我が胸のうちよ。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

 新羅遠征時の軍王(こにきしのおほきみ)が山を見て望郷の念を述べている。「官人」たる軍王が、「思ひぞ焼くる我(あ)が下心(したごころ)」と、私情を吐露している場面である。

 

■巻二 一三五歌

◆「・・・ますらをと思へる我(わ)れも敷栲(しきたへ)の衣の袖は通りて濡れぬ」

           (柿本人麻呂 巻二 一三五)

 

(訳)・・・ひとかどの男子だと思っている私も、衣の袖、あの子との思い出のこもるこの袖は涙ですっかり濡れ通ってしまった。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より

 「ますらを」(官人)である人麻呂が、途中妻のいる里を通り過ぎる時の述懐である。すなわち「官人」であるにもかかわらず私情を吐露している場面である。

 

■巻四 七一九歌

◆「ますらをと思へる我(わ)れをかくばかりみつれにみつれ片思(かたもひ)をせむ」

          (大伴家持 巻四 七一九)

 

(訳)ひとかどの男子と思っている私なのに、何でこんなに身も心も痩せ衰えて、片思いに沈まねばならないのか。(同上)

(注)みつる【羸る】[動ラ下二]:やつれる。疲れはてる。(weblio辞書 デジタル大辞泉

 

 剛の男子だと思っている私なのに「みつれにみつれ片思(かたもひ)をせむ」と、「ますらを」とのイメージのギャップを自戒している歌である。

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その11改)」で紹介している。(初期のブログであるのでタイトル写真には朝食の写真が掲載されていますが、「改」では、朝食の写真ならびに関連記事を削除し、一部改訂いたしております。ご容赦下さい。)

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■巻六 九六八

◆「ますらをと思へる我(わ)れや水茎(みづくき)の水城(みづき)の上(うへ)にますらおだと思っているこの私たるものが、」

           (大伴旅人 巻六 九六八)

 

(訳)ますらおだと思っているこの私たるものが、別れに堪えかねて水城の上で涙を拭(ぬぐ)ったりしてよいものか。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)みづくきの【水茎の】分類枕詞:①同音の繰り返しから「水城(みづき)」にかかる。②「岡(をか)」にかかる。かかる理由は未詳。 ※参考 中古以後、「みづくき」を筆の意にとり、「水茎の跡」で筆跡の意としたところから、「跡」「流れ」「行方も知らず」などにかかる枕詞(まくらことば)のようにも用いられた。(学研)

 大伴旅人が、京に上る時に、児島娘子(こしまのをとめ)の歌に和(こた)えた歌である。娘子から九六五歌で「おほらかならば(並のお方であられたらなら)」と貴いお方とされたのを受け、「ますらおだと思っているこの私たるものが」、「涙ぬぐはむ(涙を拭(ぬぐ)ったりしてよいものか)」と自戒しているのである。

 

この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その801)」で紹介している。

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■巻十一 二五八四

ますらをと思へる我(わ)れをかくばかり恋せしむるは悪(あ)しくはありけり

           (作者未詳 巻十一 二五八四)

 

(訳)立派な男子だから恋なんかにとらわれるものかと思っている私なのに、その私をこんなにも恋しがらせるとは、何ともよくないことです。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

 

 

■巻十二 二八七五

◆天地(あめつち)に少(すこ)し至らぬますらをと思ひし我(わ)れや雄心(をごころ)もなき

 

(訳)天地の大きさに少々足らぬだけの立派な男子だと思ってきたこの私としたことが、今はその雄々しい心もないというのか。(同上)

 

 「官人」にしろ「男子」にしろ、ある高邁なイメージを抱いているが、もろくもそれが崩されるダメージを自戒する気持ちを巧みに詠っている。四四五五歌では、命婦からの戒め的になってはいる。

 微妙な心の機微を吐露するある意味では大胆な歌となっている。

 ああ、万葉集

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」 神野志隆光 著 (東京大学出版会

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉