●歌は、「明日よりはいなむの川の出でて去なば留まれる我れは恋ひつつやあらむ」である。
●歌碑は、加古郡稲美町 稲美中央公園万葉の森(10)にある。
●歌をみていこう。
◆明日従者 将行乃河之 出去者 留吾者 戀乍也将有
(作者未詳 巻十二 三一九八)
≪書き下し≫明日(あす)よりはいなむの川の出(い)でて去(い)なば留(と)まれる我(あ)れは恋ひつつやあらむ
(訳)明日からは去なむという名の川のように、旅に出て去なれてしまったら、あとに残される私は、どんなに恋い焦がれなければならないことか。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
(注)上二句「明日従者 将行乃河之」が序。「出去者」を起こす。
ここ加古川市稲美町 中央公園万葉の森には、昨年の7月2日に一度訪れている。園内には自然石の万葉歌碑は6基ある。これ以外に現代歌の歌碑などもあり、現地で詳しく確認をしなかったため5基しか撮影していなかったのが家に帰って歌碑の写真を整理している時に分かったのである。
その1基が撮り忘れた歌碑である。
いつか撮りに行こうと思っていたが、その後、コロナ禍の影響もあり外出がままならない状況におちいったのである。
漸くコロナ禍も落ち着きを見せ始めてきたので、島根県内の万葉歌碑巡りを計画した。高速道路の運転の慣らしを兼ねて、2021年10月5日に河東市の播磨中央公園いしぶみの丘の歌碑と組み合わせて巡ることにしたのである
順調に来られたので開園前に到着した。時間つぶしに周辺をぶらついた。正門も確認できた。
前回は気が付かなかったが、正門側から入ると、パンフレットの棚が設けられていた。
「万葉歌碑・讃歌碑」、「いなみ野万葉の森 万葉陶板歌碑」、「いなみの万葉の森」の3種類のパンフレットをいただく。
これらを参考にしながら、前回撮り残した歌碑や万葉陶板歌碑、歌碑プレートなどを撮影した。
「印南川(いなみがわ)」の説明案内板には、「現在の加古川は、万葉時代には印南川と呼ばれていました。「万葉の森」のこの流れが、その印南川の縮景です。岩の間をさらさらと音を立てて流れる水は、重なる岩間を流れる清流に鮎が飛び交う闘竜灘を思わせるものです。」と書かれており、さらに歌と解説文が載っている。
(注)闘竜灘:兵庫県加東市上滝野283にある。加東市観光協会HPに「清流加古川の川底いっぱいに奇岩・怪岩が起伏し、落水の豪快なリズムと四季折々の水模様に魅了されます。また、竜の躍動に似たことで名が付いた飛び鮎の名所としても有名です。毎年5月1日には日本一早く鮎漁が解禁されます。」と書かれている。
いなみの【印南野】について、「コトバンク 精選版 日本国語大辞典」には、「播磨国(兵庫県南部)にあった原野。現在の加古川、明石川の二流域にまたがる。歌枕としては加古川以東をさし、「続日本紀」では放牧場として見える。いなびの。」と書かれている。
「いなみ野」や「いなみの」を詠んだ歌をみていこう。
◆印南野者 往過奴良之 天傳 日笠浦 波立見 <一云 思賀麻江者 許藝須疑奴良思>
(作者未詳 巻七 一一七八)
≪書き下し≫印南野(いなみの)は行き過ぎぬらし天伝(あまづた)ふ日笠(ひかさ)の浦に波立てり見(み)ゆ <一には「飾磨(しかま)江(え)は漕ぎ過ぎぬらし」といふ>
(訳)印南野はもう通り過ぎてしまったらしい。向こうを見ると、はるか日笠の浦に波がしきりに立っている。<飾磨の入江はもう漕ぎ過ぎたらしい>
(注)あまづたふ【天伝ふ】分類枕詞:空を伝い行く太陽の意から、「日」「入り日」などにかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)飾磨江:姫路市飾磨川河口付近の入江
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その625,626)」で下記野一七七二歌も紹介している。
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◆家尓之弖 吾者将戀名 印南野乃 淺茅之上尓 照之月夜乎
(作者未詳 巻七 一一七九)
≪書き下し≫家にして我(あ)れは恋ひむな印南野(いなみの)の浅茅(あさぢ)が上(うへ)に照りし月夜(つくよ)を
(訳)我が家に帰ってから私は懐かしく思い出すことであろうな。昨夜、印南野の浅茅の上に月が皓々(こうこう)と照らしていた光景はまことに見事であったな、と。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)にして 分類連語:…において。…で。…に。▽場所・場合・時などの意を表す。 ⇒なりたち 格助詞「に」+格助詞「して」(学研)
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その637)」で紹介している。
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◆伊奈美野之 安可良我之波ゝ 等伎波安礼騰 伎美乎安我毛布 登伎波佐祢奈之
(安宿王 巻二〇 四三〇一)
≪書き下し≫印南野(いなみの)の赤ら柏(がしは)は時はあれど君を我(あ)が思(も)ふ時はさねなし
(訳)印南野の赤ら柏は、赤らむ季節が定まっておりますが、大君を思う私の気持ちには、いついつと定まった時など、まったくありません。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)
(注)印南野 分類地名:歌枕(うたまくら)。今の兵庫県加古川市から明石市付近。「否(いな)」と掛け詞(ことば)にしたり、「否」を引き出すため、序詞(じよことば)的な使い方をすることもある。稲日野(いなびの)。(学研)
(注)さね 副詞:①〔下に打消の語を伴って〕決して。②間違いなく。必ず。(学研)
この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その621)」で紹介している。
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◆於久礼居而 吾者哉将戀 稲見野乃 秋芽子見都津 去奈武子故尓
(阿倍大夫 巻九 一七七二)
≪書き下し≫後(おく)れ居て我(あ)れはや恋ひなむ印南野(いなみの)の秋萩見つつ去(い)なむ子ゆゑに
(訳)あとに残されて私は恋い焦がれることになるのか。印南野の秋萩を見ながら行ってしまういとしい人ゆえに。(同上)
(注)おくれゐる【後れ居る】自動詞:あとに残っている。取り残される。(学研)
この歌の題詞は、「大神大夫任筑紫國時阿倍大夫作歌一首」<大神大夫(おほみわのまへつきみ)、筑紫(つくし)の国に任(ま)けらゆる時に、阿倍大夫(あへのまへつきみ)が作る歌一首>である。
(注)まく【任く】他動詞①任命する。任命して派遣する。遣わす。②命令によって退出させる。しりぞける。(学研) ここでは①の意
この歌については上述のブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その625、626)」で紹介している。
◆名細寸 稲見乃海之 奥津浪 千重尓隠奴 山跡嶋根者
(柿本人麻呂 巻三 三〇三)
≪書き下し≫名ぐはしき印南(いなみ)の海(うみ)の沖つ波千重(ちへ)に隠(かく)りぬ大和島根(やまとしまね)は
(訳)名も霊妙な印南の海の沖つ波、その波の千重にたつかなたに隠れてしまった。大和の山なみは。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)なぐはし【名細し・名美し】形容詞:名が美しい。よい名である。名高い。「なくはし」とも。 ※「くはし」は、繊細で美しい、すぐれているの意。上代語。(学研)
(注)印南の海:播磨灘
(注)ちへ【千重】名詞:幾重もの重なり。(学研)
(注)しまね【島根】名詞:島。島国。 ※「ね」はどっしりと動かないものの意の接尾語。(学研)
この歌については、次の九四〇歌とともにブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その627,628)」で紹介している。
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◆不欲見野乃 淺茅押靡 左宿夜之 氣長在者 家之小篠生
(山部赤人 巻六 九四〇)
≪書き下し≫印南野(いなみの)の浅茅(あさぢ)押しなべさ寝(ぬ)る夜(よ)の日(け)長くしあれば家し偲はゆ
(訳)印南野の浅茅(あさじ)を押し靡(なび)かせて、共寝を願いながら旅寝する夜が幾日も続くので、家の妻のことが偲(しのば)れてならない。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)浅茅:丈の低いかや
(注)さぬ【さ寝】自動詞①寝る。②男女が共寝をする。 ※「さ」は接頭語。(学研)
「印南」に関する書き方は、三一九八歌では、「将行」とこれから先をみすえ、九四〇歌では、「不欲見」ともうんざりして見たくもないといった歌の趣旨を踏まえた書き手の遊び心がうかがえる。
他は、印南(一一七八、一一七九歌)、「伊奈美」(四三〇一歌)、「稲見」(三〇三、一七七二歌)である。
書き手の遊び心も楽しめるのも万葉集の魅力の一つである。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「印南川(いなみがわ)の説明案内板」