万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1259,1260)―島根県益田市 県立万葉公園人麻呂広場(3、4)―万葉集 巻二 一三六、一三七

―その1259-

●歌は、「青駒が足掻きを速み雲居にぞ妹があたりを過ぎて来にける」である。

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島根県益田市 県立万葉公園人麻呂広場(3)万葉歌碑(柿本人麻呂

●歌碑は、島根県益田市 県立万葉公園人麻呂広場(3)にある。

 

●歌をみていこう。

 

題詞「柿本朝臣人麻呂従石見國別妻上来時歌二首 幷短歌」<柿本朝臣人麻呂、石見(いはみ)の国より妻に別れて上(のぼ)り来(く)る時の歌二首 幷(あは)せて短歌>の第二首(一三五歌)の反歌の一つである。

 一三五歌については、前稿ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1258)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

◆青駒之 足掻乎速 雲居曽 妹之當乎 過而来計類 <一云 當者隠来計留>

         (柿本人麻呂 巻二 一三六)

 

≪書き下し≫青駒(あをごま)が足掻(あが)きを速(はや)み雲居(くもゐ)にぞ妹(いも)があたりを過ぎて来にける<一には「あたりは隠り来にける」といふ>

 

(訳)この青駒の奴(やつ)の歩みが速いので、雲居はるかにあの子のあたりを通り過ぎて来てしまった。<あの子のあたりは次第に見えなくなってきた>(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)あがき【足掻き】:① 苦しまぎれにじたばたすること。② 手足を動かすこと。手足の動き。③ 馬などが前足で地をかくこと。また、馬の歩み④。 子供がいたずらをして暴れること。(weblio辞書 デジタル大辞泉)ここでは③の意

(注)くもゐ【雲居・雲井】名詞:①大空。天上。▽雲のある所。②雲。③はるかに離れた所。④宮中。皇居。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)ここでは③の意

 

 

 

―その1260-

●歌は、「秋山に散らふ黄葉しましくはな散り乱ひそ妹があたり見む」である。

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島根県益田市 県立万葉公園人麻呂広場(4)万葉歌碑(柿本人麻呂

●歌碑は、島根県益田市 県立万葉公園(4)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆秋山尓 落黄葉 須臾者 勿散乱曽 妹之當将見<一云 知里勿乱曽>

        (柿本人麻呂 巻二 一三七)

 

≪書き下し≫秋山に落つる黄葉しましくはな散り乱ひそ妹があたり見む <一云 散りな乱ひそ>

 

(訳)秋山に散り落ちるもみじ葉よ、ほんのしばらくでもよいから散り乱れてくれるな。あの子のあたりを見ようものを。<散って乱れてはくれるな>(同上)

(注)しましく【暫しく】副詞:少しの間。 ※上代語。(学研)

 

 「石見相聞歌」の構成を改めてみてみよう。

 

■「柿本朝臣人麻呂従石見國別妻上来時歌二首 幷短歌」

  一三一歌(長歌)・一三二・一三三歌・一三四歌(或る本の歌)

  一三五歌(長歌)・一三六・一三七歌

■「或本歌一首 幷短歌」

  一三八歌(長歌)・一三九歌

 

 「或本歌一首 幷短歌」は、一三一~一三三歌に対する或る本の歌である。

伊藤 博氏は、脚注で、「この一三八~一三九歌がまず作られ、単独で披露されたらしい。のちに続編が求められて、この歌群を改作した一三一の異文系統と一三四とに、一三五~一三七の異文系統を合わせた作が生まれ、再三の聴衆の求めに応じてさらに手を加え。一三一~一三三と一三五~一三七との組が成ったらしい。」と書かれている。

 

「石見相聞歌」の原点は「一三八~一三九歌」である。

この歌をみてみよう。

 

題詞は、「或本歌一首 幷短歌」<或る本の歌一首 幷(あは)せて短歌>である。

 

◆石見之海 津乃浦乎無美 浦無跡 人社見良米 滷無跡 人社見良目 吉咲八師 浦者雖無 縦恵夜思 潟者雖無 勇魚取 海邊乎指而 柔田津乃 荒礒之上尓 蚊青生 玉藻息都藻 明来者 浪己曽来依 夕去者 風己曽来依 浪之共 彼依此依 玉藻成 靡吾宿之 敷妙之 妹之手本乎 露霜乃 置而之来者 此道之 八十隈毎 萬段 顧雖為 弥遠尓 里放来奴 益高尓 山毛超来奴 早敷屋師 吾嬬乃兒我 夏草乃 思志萎而 将嘆 角里将見 靡此山

      (柿本人麻呂 巻二 一三八)

 

≪書き下し≫石見(いはみ)の海(うみ) 津(つ)の浦(うら)をなみ 浦なしと 人こそ見らめ 潟(かた)なしと 人こそ見らめ よしゑやし 浦はなくとも よしゑやし 潟はなくとも 鯨魚(いさな)取り 海辺(うみへ)を指して 和田津(にきたつ)の 荒礒(ありそ)の上(うへ)に か青(あを)く生(お)ふる 玉藻(たまも)沖つ藻 明け来(く)れば 波こそ来(き)寄れ 夕(ゆふ)されば 風こそ来寄れ 波の共(むた) か寄りかく寄り 玉藻なす 靡(なび)き我(わ)が寝し 敷栲(しきたへ)の 妹が手本(たもと)を 露霜(つゆしも)の 置きてし来(く)れば この道の 八十隈(やそくま)ごとに 万(よろづ)たび かへり見すれど いや遠(とほ)に 里離(さか)り来(き)ぬ いや高(たか)に 山も越え来ぬ はしきやし 我が妻の子が 夏草(なつくさ)の 思ひ萎(しな)えて 嘆くらむ 角(つの)の里見む 靡けこの山

 

(訳)石見の海、この海には船を泊める浦がないので、よい浦がないと人は見もしよう、よい潟がないと人は見もしよう、が、たとえよい浦はなくても、たとえよい潟はなくても、この海辺を目ざして、和田津の荒磯のあたりに青々と生い茂る美しい沖の藻、その藻に、朝方になると波が寄って来る、夕方になると風が寄って来る。その風浪(かざなみ)のまにまに寄り伏しする玉藻のように寄り添い寝た愛しい子なのに、その子を冷え冷えとした霜の置くようにはかなくも置き去りにして来たので、この行く道の多くの曲がり角ごとにいくたびもいくたびも振り返って見るけれど、いよいよ遠く妻の里は遠のいてしまった。いよいよ高く山も越えて来てしまった。いとおしいわが妻の子が夏草のようにしょんぼりしているであろう、その角(つの)の里を見たい。靡け、この山よ。(同上)

(注)津の浦:船を泊める港用の浦。

(注)しきたへの【敷き妙の・敷き栲の】分類枕詞:「しきたへ」が寝具であることから「床(とこ)」「枕(まくら)」「手枕(たまくら)」に、また、「衣(ころも)」「袖(そで)」「袂(たもと)」「黒髪」などにかかる。(学研)

(注)たもと【袂】名詞:①ひじから肩までの部分。手首、および腕全体にもいう。②袖(そで)。また、袖の垂れ下がった部分。 ※「手(た)本(もと)」の意から。(学研)

(注の注)「手本(たもと)」は手首。男女共寝の折の枕。

(注)はしきやし【愛しきやし】分類連語:ああ、いとおしい。ああ、なつかしい。ああ、いたわしい。「はしきよし」「はしけやし」とも。 ※上代語。 ⇒参考 愛惜や追慕の気持ちをこめて感動詞的に用い、愛惜や悲哀の情を表す「ああ」「あわれ」の意となる場合もある。「はしきやし」「はしきよし」「はしけやし」のうち、「はしけやし」が最も古くから用いられている。 ⇒なりたち 形容詞「は(愛)し」の連体形+間投助詞「やし」(学研)

 

 反歌もみてみよう。

 

◆石見之海 打歌山乃 木際従 吾振袖乎 妹将見香

       (柿本人麻呂 巻二 一三九)

 

<書き下し>石見の海打歌(うつた)の山の木(こ)の間(ま)より我(わ)が振る袖を妹(いも)見つらむか

 

(訳)石見の海、海の辺の打歌の山の木の間から私が振る袖、この袖を、あの子は見てくれているのであろうか。(同上)

(注)打歌の山:所在未詳。「高角山」の実名らしいが、これだと見納めの山の意が伝わらない。

 

左注は、「右歌躰雖同句々相替 因此重載」<右は、歌の躰(すがた)同じといへども、句々(くく)相替(あひかは)れり。これに因(よ)りて重ねて載(の)す。>である。

 

 伊藤 博氏は、脚注で、「角(つの):島根県江津市都野津町あたりか」の地名について、「一三一で冒頭にあった『角』がここでは最後にある。」と書かれており、打歌の山(所在未詳)についても「『高角山』の実名らしいが、これだと見納めの山の意が伝わらない。」と書かれている。さらに「この歌の前奏部には妻の里『角』が現れないので、妻への執心の程が一三一歌の前奏部に比べて薄れる」とも書かれている。当時もこのような批評があり、改作していったのであろう。

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」 神野志隆光 著 (東京大学出版会

★「古代史で楽しむ万葉集」 中西 進 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「江津の萬葉 ゆかりの地MAP」(パンフレット)

★「ぐるっと人麻呂!江津物語 萬葉の歌碑めぐり 人麻呂と衣