万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1578,1579,1580)―静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P67、P68、P69)―万葉集 巻七 一三一一、巻四 五二四、巻一 一三五

―その1578―

●歌は、「橡の衣は人皆事なしと言ひし時より着欲しく思ほゆ」である。

静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P67)万葉歌碑<プレート>(作者未詳)

●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P67)にある。

 

●歌をみてみよう。

 

◆橡 衣人皆 事無跡 日師時従 欲服所念

       (作者未詳 巻七 一三一一)

 

≪書き下し≫橡(つるはみ)の衣(きぬ)は人(ひと)皆(みな)事なしと言ひし時より着欲(きほ)しく思ほゆ

 

(訳)橡染(つるばみぞ)めの着物は、世間の人の誰にも無難に着こなせるというのを聞いてからというもの、ぜひ着てみたいと思っている。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)橡(つるはみ)の衣(きぬ):くぬぎ染の衣。身分の低い人が着る。賤しい女の譬え。(伊藤脚注)

(注の注)つるばみ【橡】名詞:①くぬぎの実。「どんぐり」の古名。②染め色の一つ。①のかさを煮た汁で染めた、濃いねずみ色。上代には身分の低い者の衣服の色として、中古には四位以上の「袍(はう)」の色や喪服の色として用いた。 ※古くは「つるはみ」。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)ことなし【事無し】形容詞:①平穏無事である。何事もない。②心配なことがない。③取り立ててすることがない。たいした用事もない。④たやすい。容易だ。⑤非難すべき点がない。欠点がない。(学研) ここでは④の意 ➡「男女間のわずらわしさがないと」(伊藤脚注)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1084)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 歌碑(プレート)の植物名は、「つるはみ(クヌギ)」と書かれている。

 「クヌギ」については、「庭木図鑑 植木ペディア」には、「青森県を除く本州、四国、九州及び沖縄に自生するブナ科の落葉高木。・・・本種の果実(ドングリ)は縄文時代から食用され、『国の木』が語源とされるほど日本人には馴染みが深く、古事記万葉集にもその名が登場する。漢字表記は椢、橡、椚、椡、栩、櫪、櫟、檞など多数。・・・クヌギの語源は他にも、果実を食用にしたことによる『食乃木(クノギ)』、葉や実がクリに似ることから『栗似木(クリニギ)』がある。」と書かれている。


 「つるはみ」といえば、家持が部下の浮気を喩にあたり、古女房を「橡」に浮気相手の佐夫流子を「紅」に喩えた歌が思い出される。重複するところがありますが、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その834)」で紹介しています。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

―その1579―

●歌は、「むし衾なごやが下に伏せれども妹とし寝ねば肌し寒しも」である。

静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P68)万葉歌碑<プレート>(藤原麻呂



●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P68)にある。

 

●歌をみてみよう。

 

◆蒸被 奈胡也我下丹 雖臥 与妹下宿者 肌之寒霜

      (藤原麻呂 巻四 五二四)

 

≪書き下し≫むし衾なごやが下に伏せれども妹とし寝ねば肌し寒しも

 

(訳)むしで作ったふかふかと暖かい夜着にくるまって横になっているけれども、あなたと一緒に寝ているわけではないから、肌寒くて仕方がない。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)むし【苧/枲/苧麻】:イラクサ科の多年草。原野にみられ、高さ1~2メートル。茎は木質。葉は広卵形で先がとがり、裏面が白い。夏、淡緑色の小花を穂状につける。茎から繊維をとって織物にする。真麻(まお)。ちょま。(コトバンク 小学館 デジタル大辞泉

(補注)「むし」は「虫」すなわち「蚕」のことで、それから作った絹の夜具という説もある。

(注)ふすま【衾・被】名詞:寝るときに身体にかける夜具。かけ布団・かいまきなど。(学研)

(注)なごや【和や】名詞:やわらかいこと。和やかな状態。※「や」は接尾語。

 

 五二二から五二四歌までの歌群の題詞は、「京職藤原大夫贈大伴郎女歌三首 卿諱日麻呂也」<京職(きやうしき)藤原大夫が大伴郎女(おほとものいらつめ)に贈る歌三首 卿、諱を麻呂といふ>である。

(注)藤原大夫:藤原不比等の第四子

(注)諱【いみな】:① 生前の実名。生前には口にすることをはばかった。② 人の死後にその人を尊んで贈る称号。諡(おくりな)。③ 《①の意を誤って》実名の敬称。貴人の名から1字もらうときなどにいう。

 

 五二二から五二四歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その345)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 歌碑(プレート)の植物名は、「ふすま(カラムシ)」と書かれている。

「カラムシ」については、「庭木図鑑 植木ペディア」に「本州、四国及び九州に分布するイラクサ科カラムシ属の多年草。暖地の林縁や道端、川岸、田畑の土手などで普通に見られる大型の草本。伐採後の荒れ地などにもしばしば群生する。カラムシの原産地には諸説あるが、茎の皮から織物の材料を採取するため古い時代に中国から渡来し、栽培されていたものが野生化したとする説が根強い。葉や茎をちぎると和紙のように丈夫で長い繊維を生じる。」と書かれている。

 

「ふすま(カラムシ)」 「庭木図鑑 植木ペディア」より引用させていただきました。

 

 

―その1580―

●歌は、「・・深海松の深めて思へどさ寝し夜は幾時もあらず延ふ蔦の別れし来れば・・・」である。

静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P69)万葉歌碑<プレート>(柿本人麻呂

●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P69)にある。

 

●歌をみてみよう。

 

◆角障經 石見之海乃 言佐敝久 辛乃埼有 伊久里尓曽 深海松生流 荒礒尓曽 玉藻者生流 玉藻成 靡寐之兒乎 深海松乃 深目手思騰 左宿夜者 幾毛不有 延都多乃 別之来者 肝向 心乎痛 念乍 顧為騰 大舟之 渡乃山之 黄葉乃 散之乱尓 妹袖 清尓毛不見 嬬隠有 屋上乃 <一云 室上山> 山乃 自雲間 渡相月乃 雖惜 隠比来者 天傳 入日刺奴礼 大夫跡 念有吾毛 敷妙乃 衣袖者 通而沾奴

      (柿本人麻呂 巻二 一三五)

 

≪書き下し≫つのさはふ 石見の海の 言(こと)さへく 唐(から)の崎なる 海石(いくり)にぞ 深海松(ふかみる)生(お)ふる 荒礒(ありそ)にぞ 玉藻は生ふる 玉藻なす 靡(なび)き寝し子を 深海松の 深めて思へど さ寝(ね)し夜(よ)は 幾時(いくだ)もあらず 延(は)ふ蔦(つた)の 別れし来れば 肝(きも)向(むか)ふ 心を痛み 思ひつつ かへり見すれど 大船(おほぶね)の 渡(わたり)の山の 黄葉(もみちば)の 散りの乱(まが)ひに 妹が袖 さやにも見えず 妻ごもる 屋上(やかみ)の<一には「室上山」といふ> 山の 雲間(くもま)より 渡らふ月の 惜しけども 隠(かく)らひ来れば 天伝(あまづた)ふ 入日(いりひ)さしぬれ ますらをと 思へる我(わ)れも 敷栲(しきたへ)の 衣の袖は 通りて濡(ぬ)れぬ

 

(訳)石見の海の唐の崎にある暗礁にも深海松(ふかみる)は生い茂っている、荒磯にも玉藻は生い茂っている。その玉藻のように私に寄り添い寝たいとしい子を、その深海松のように深く深く思うけれど、共寝した夜はいくらもなく、這(は)う蔦の別るように別れて来たので、心痛さに堪えられず、ますます悲しい思いにふけりながら振り返って見るけど、渡(わたり)の山のもみじ葉が散り乱れて妻の振る袖もはっきりとは見えず、そして屋上(やかみ)の山<室上山>の雲間を渡る月が名残惜しくも姿を隠して行くように、ついにあの子の姿が見えなくなったその折しも、寂しく入日が射して来たので、ひとかどの男子だと思っている私も、衣の袖、あの子との思い出のこもるこの袖は涙ですっかり濡れ通ってしまった。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)つのさはふ 分類枕詞:「いは(岩・石)」「石見(いはみ)」「磐余(いはれ)」などにかかる。語義・かかる理由未詳。(学研)

(注)ことさへく【言さへく】分類枕詞:外国人の言葉が通じにくく、ただやかましいだけであることから、「韓(から)」「百済(くだら)」にかかる。 ※「さへく」は騒がしくしゃべる意。(学研)

(注)唐の崎:江津市大鼻崎あたりか。

(注)いくり【海石】名詞:海中の岩石。暗礁。(学研)

(注)ふかみる【深海松】名詞:海底深く生えている海松(みる)(=海藻の一種)(学研)

(注)ふかみるの【深海松の】分類枕詞:同音の繰り返しで、「深む」「見る」にかかる。(学研)

(注)たまもなす【玉藻なす】分類枕詞:美しい海藻のようにの意から、「浮かぶ」「なびく」「寄る」などにかかる。(学研)

(注)さね【さ寝】名詞:寝ること。特に、男女が共寝をすること。 ※「さ」は接頭語。(学研)

(注)はふつたの【這ふ蔦の】分類枕詞:蔦のつるが、いくつもの筋に分かれてはいのびていくことから「別る」「おのが向き向き」などにかかる。(学研)

(注)きもむかふ【肝向かふ】分類枕詞:肝臓は心臓と向き合っていると考えられたことから「心」にかかる。(学研)

(注)おほぶねの【大船の】分類枕詞:①大船が海上で揺れるようすから「たゆたふ」「ゆくらゆくら」「たゆ」にかかる。②大船を頼りにするところから「たのむ」「思ひたのむ」にかかる。③大船がとまるところから「津」「渡り」に、また、船の「かぢとり」に音が似るところから地名「香取(かとり)」にかかる。(学研)

(注)渡の山:所在未詳

 

(注)つまごもる【夫隠る/妻隠る】[枕]:① 地名「小佐保(をさほ)」にかかる。かかり方未詳。② つまが物忌みのときにこもる屋の意から、「屋(や)」と同音をもつ地名「屋上の山」「矢野の神山」にかかる。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)屋上の山:別名 浅利富士、室神山、高仙。標高246m(江津の萬葉ゆかりの地MAP)

(注)わたらふ【渡らふ】分類連語:渡って行く。移って行く。 ⇒なりたち 動詞「わたる」の未然形+反復継続の助動詞「ふ」(学研)

(注)かくらふ【隠らふ】分類連語:繰り返し隠れる。 ※上代語。 ⇒なりたち 動詞「かくる」の未然形+反復継続の助動詞「ふ」(学研)

(注)あまづたふ【天伝ふ】分類枕詞:空を伝い行く太陽の意から、「日」「入り日」などにかかる。(学研)

 

 一三一から一三九歌の歌群は「石見相聞歌」と言われている。一三一から一三四歌の歌群と一三五から一三七歌が、題詞、「柿本朝臣人麻呂従石見國別妻上来時歌二首 幷短歌」<柿本朝臣人麻呂、石見(いはみ)の国より妻に別れて上り来(く)る時の歌二首 幷(あは)せて短歌>の歌群であり、題詞、「或本歌一首 幷短歌」<或本の歌一首 幷(あは)せて短歌>の一三八、一三九歌の歌群からなっている。

 

 歌碑(プレート)の植物名は、「つた(ツタ)」と書かれている。「ツタ」いついては、「庭木図鑑 植木ペディア」には、「北海道南部~九州に分布するブドウ科ツタ属のツル性植物。各地の山林に自生するが秋の紅葉が美しい。・・・ツタという名の語源には諸説あるが、『伝う』が有力とされ、木の幹や岩壁を伝って育つことによる。漢名は『常春藤』で、中国や朝鮮半島にも分布しており、有史以前に日本へ帰化したものと考えられている。」と書かれている。

 

「ツタ」 「庭木図鑑 植木ペディア」より引用させていただきました。

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1258)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 一三五歌には「・・・深海松(ふかみる)生(お)ふる 荒礒(ありそ)に・・・」と詠われているが、「海松(みる)」をみてみよう。

 「海松(みる)」は、「食の万葉集」 廣野 卓 著(中公新書)に、「諸国風土記の産物の条には、『海藻・海松多し』という記述が多く・・・ワカメとミルが当時の代表的な海藻であったことをものがたる。『養老賦役令』の諸国貢納品にも記されているので、万葉時代の一般的な食材で、吸い物の具などにされた。」と書かれている。

 

 

「みる」 「海藻海草標本図鑑」(制作:千葉大学海洋バイオシステム研究センター 銚子実験場 HP)より引用させていただきました。

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「食の万葉集」 廣野 卓 著 (中公新書

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「コトバンク 小学館 デジタル大辞泉

★「庭木図鑑 植木ペディア」

★「海藻海草標本図鑑」(制作:千葉大学海洋バイオシステム研究センター 銚子実験場 HP)

★「「はままつ万葉歌碑・故地マップ」 (制作 浜松市