万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その371,372,373)―奈良県宇陀市 大宇陀地域事務所、阿紀神社、神楽岡神社―

―その371―

 

●歌は、「日並皇子の命の馬並めてみ狩立たしし時は来向ふ」である。

 

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奈良県宇陀市 大宇陀地域事務所万葉歌碑(柿本人麻呂

●歌碑は、奈良県宇陀市 大宇陀地域事務所にある。

 

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大宇陀地域事務所

●歌をみていこう。

 

◆日雙斯 皇子命乃 馬副而 御﨟立師斯 時者来向

               (柿本人麻呂 巻一 四九)

 

≪書き下し≫日並皇子(ひなみしみこ)の命(みこと)の馬並(な)めてみ狩(かり)立たしし時は来向(きむか)ふ

 

(訳)日並皇子(ひなみしみこ)の命、あのわれらの大君が馬を勢揃いしてみ猟(かり)に踏み立たれたその時刻は、今まさに到来した。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)日並皇子(ひなみしみこ):日に並ぶ皇子の意。草壁皇子に限っていう。

(注)きむかふ【来向かふ】自動詞:近づいて来る。 ※参考 こちらを主とした場合は「迎ふ」であるが、「来向かふ」は向かって来るものを主にして、その近づくのを期待する気持ちがある。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典) 

 

 

―その372―

 

●歌は、「安騎の野に宿る旅人うち靡き寐も寝らめやもいにしへ思ふに」である。

 

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阿紀神社万葉歌碑(柿本人麻呂

●歌碑は、奈良県宇陀市 阿紀神社にある。                 

 

●歌をみていこう。

 

◆阿騎乃野尓 宿旅人 打靡 寐毛宿良目八方 古部念尓

               (柿本人麻呂 巻一 四六)

 

≪書き下し≫安騎の野に宿る旅人(たびひと)うち靡(なび)き寐(い)も寝(ね)らめやもいにしへ思ふに

 

(訳)こよい、安騎の野に宿る旅人、この旅人たちは、のびのびとくつろいで寝ることなどできようか。いにしえのことを思うにつけて。(同上)

(注)うちなびく【打ち靡く】自動詞:①草・木・髪などが、横になる。なびき伏す。②人が横になる。寝る。 ③相手の意に従う。(weblio古語辞書 三省堂大辞林第三版)

(注)いもぬらめやも【寝も寝らめやも】分類連語:寝ていられようか、いや、寝てはいられない。 ※なりたち名詞「い(寝)」+係助詞「も」+動詞「ぬ(寝)」の終止形+現在推量の助動詞「らむ」の已然形+係助詞「や」+終助詞「も」(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

阿紀神社については、宇陀市観光協力情報サイトによると、次のように書かれている。「垂仁天皇の御代皇女倭姫命天照大神を祀った宇多の吾城(阿騎)宮が起こり。神明造りの本殿と非常に珍しい能舞台があり、寛文年間から大正時代にかけて能楽興業が行われていた。現在は、当時を偲び、毎年6月中旬に『あきの螢能』が開催され、能の最中に明かりをおとし、螢が闇に放たれる瞬間は見る者を魅了する。」

 

 

―その373―

 

●歌は、「ま草刈る荒野にはあれど黄葉の過ぎにし君が形見とぞ来し」である。

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神楽岡神社万葉歌碑(柿本人麻呂


 

●歌碑は、奈良県宇陀市 神楽岡神社にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆真草苅 荒野者雖有 葉 過去君之 形見跡曽来師

               (柿本人麻呂 巻一 四七)

 

≪書き下し≫ま草刈る荒野(あらの)にはあれど黄葉(もみちば)の過ぎにし君が形見とぞ来(こ)し

 

(訳)廬草(いおくさ)刈る荒野ではあるけれども、黄葉(もみちば)のように過ぎ去った皇子の形見の地として、われらはここにやって来たのだ。(同上)

 

宇陀松山旧街道「森野旧薬園」横にある参道から「神楽岡神社」へ。石段を登りきった入口部分には、木肌が見てとれる木製の鳥居があり、なんとも趣がある。宇陀松山のまち並みを見渡せる境内は木々に囲まれベンチも置かれているので、歩き疲れたらここで少し休憩するもの良いのでは。なお、同神社の祭神は天照大神。境内には柿本人麻呂が詠んだ歌の歌碑が設置されている。(「歩く・奈良」奈良県観光局ならの観光力向上課HP)

 

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神楽岡神社境内

 

 ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その370)」で、長歌(巻一 四五)を、同(その369)で短歌(巻一 四八)にふれた。

長歌は、飛鳥から初瀬を通り、山越えをして安騎野に至ったのを詠んでいる。短歌は四六から四九歌と連作になっており時間的経過をおっている。

 

順に並べてみてみよう。

 

(四六歌)安騎の野に宿る旅人うち靡き寐も寝らめやもいにしへ思ふに

(四七歌)ま草刈る荒野にはあれど黄葉の過ぎにし君が形見とぞ来し

(四八歌)東の野にかぎろひの立つ見えてけへり見すれば月かたぶきぬ

(四九歌)日並皇子の命の馬並めてみ狩立たしし時は来向ふ

 

重複するが、解説してみると、

  • (四六歌)安騎野に到着、しかし一行は、草壁皇子の昔を思うと寝ていられない。
  • (四七歌)安騎野荒涼とした狩り場である、しかし草壁皇子の思いでの地である。
  • (四八歌)眠れないまま夜明けを迎える、東にかぎろひ、西に月。
  • (四九歌)そしていにしえの草壁皇子の狩の時刻を迎える。

 

 飛鳥から安騎野、そして安騎野での夜明けまでという時間経過に沿って軽皇子の動静

と共に草壁皇子への思いを荘厳なドラマのように歌い上げているのである。

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉の人びと」 犬養 孝 著 (新潮文庫

★「大和万葉―その歌の風土」 堀内民一 著 (創元社

★「うだ記紀・万葉」(宇陀市HP)

★「市内の万葉歌碑ガイドマップ」 (宇陀市商工観光課)

★「宇陀市観光協力情報サイト」

★「歩く・奈良」 (奈良県観光局ならの観光力向上課HP)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio古語辞書 三省堂大辞林第三版」