●歌は、「あしひきの山谷越えて野づかさに今は鳴くらむうぐひすの声」である。
●歌をみていこう。
◆安之比奇能 山谷古延氐 野豆加佐尓 今者鳴良武 宇具日須乃許恵
(山部赤人 巻十七 三九一五)
≪書き下し≫あしひきの山谷(やまたに)越えて野づかさに今は鳴くらむうぐひすの声
(訳)山を越え谷を越えして、人里近い野の高みで、今こそは高らかに鳴き渡っていることであろう。春を待っていた鶯の声は。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)
(注)のづかさ【野阜・野司】名詞:野原の中の小高い丘。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
題詞は、「山部宿祢明人詠春鸎歌一首」<山部宿禰赤人(やまべのすくねあかひと)春鸎(しゅんあう)を詠む歌一首>である。
(注)春鸎:春になって人里に姿を見せた鴬
左注は、「右年月所處未得詳審 但随聞之時記載於玆」<右は、年月と所処と、いまだ詳審(つばひ)らかにすることを得ず。ただし、聞きし時のまにまに、ここに記載す。>とある。
宇陀市の万葉歌碑めぐりの二回目である。前回(令和元年12月16日)は、県畜産試験場の歌碑を見つけることができなかったので、結果的に柿本人麻呂とその妻ゆかりの歌碑を巡ったことになる。
今回(同 20日)は、まず宇陀市役所にまず寄って資料をもらうことにした。受付で話をすると、2階の商工観光課で資料がもらえることを教えてもらった。
同課発行の「市内の万葉歌碑ガイドマップ」のパンフレットや「宇陀松山地区周辺 薬草観光/薬草料理店のご案内」などの資料をいただく。
前回、県畜産試験場に行ったが見つけることができなかった旨、話をし、場所を教えてもらう。ちょうど同試験場の方がおられるということで詳しく場所を教えていただいた。試験場建屋の横の植込みの所である。前回もその当たりを探した、と話をすると、小さな歌碑なので草にうずもれていたのかもしれません、とのことであった。略図や万が一見つからなかったら、問い合わせる先など丁寧に教えていただく。朝から親切な対応をしていただき、気持ちよく市役所を出発した。後で試験場を訪れたのだが、驚いたことに、植込みの所が刈込されており、すぐに歌碑を見つけることができたのである。
気持ちよく市役所を出て、山部赤人の墓を目指す。車のナビでは該当場所が表示されない。住所を入力(榛原山辺三)、指示されたところに到着するもそれらしいものが全く見つからない。朝の散歩とおぼしきご夫婦が来られたので、尋ねてみる。何年か前にこの辺りに越してこられたとのことで、わからいとのこと。しかし、驚いたことに、すぐ近くの家に入って行かれ聞いてくださる。その家の方も残念ながらご存じないとのこと。二軒ほど先の家にも聞きに行ってくださるがお留守であった。恐縮しながら、お礼を申し上げていると、ご主人が、165号線の方を指さし、以前、祭りの関係で山を登ったような記憶があると。そちらの方に行ってわからなければまたそこら辺りで聞いてみてくださいとのアドバイスをもらう。何とご親切なことであろうか。役所といい、このご夫婦といい、宇陀市万歳である。
教えられたあたりから、山に入って行く。導かれるように現地に到着できたのである。
額井岳(大和富士)の山麓の小さな峠の頂の少し奥まったところに墓があり、手前に歌碑があった。
滋賀県東近江市下麻布町には、山辺神社と赤人寺があり、山部赤人が生涯を閉じた地と言われている。山部神社には、赤人の歌(巻三 三一八歌と巻八 一四二四歌)を刻んだ石碑がある。三一八歌は、かの有名な「田子の浦ゆうち出てみれば真白にぞ不尽の高嶺に雪は降りける」である。後者は「春の野にすみれ摘みにと来し我れぞ野をなつかしみ一夜寝にける」である。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「市内の万葉歌碑ガイドマップ」 (宇陀市商工観光課)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」