●歌は、「春の野にすみれ摘みにと来しわれぞ 野をなつかしみ一夜寝にける」である。
●歌をみていこう。
◆春野尓 須美礼採尓等 來師吾曽 野乎奈都可之美 一夜宿二来
(山部赤人 巻八 一四二四)
≪書き下し≫春の野にすみれ摘(つ)みにと来(こ)しわれぞ 野をなつかしみ一夜寝(ね)にける
(訳)春の野に、すみれを摘もうとやってきた私は、その野の美しさに心引かれて、つい一夜を明かしてしまった。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)なつかし【懐かし】形容詞:①心が引かれる。親しみが持てる。好ましい。なじみやすい。②思い出に心引かれる。昔が思い出されて慕わしい。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
部立は、春雑歌であり、題詞は、「山部宿祢赤人歌四首」<山部宿禰赤人が歌四首>である。
ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その417)」にこの四首すべて紹介している。
➡
また、同ブログでは、滋賀県東近江市東近江市下麻生町の山部神社境内のもう一つの歌碑「田子の浦ゆうち出て見れば真白にぞ富士の高嶺に雪は降りける」の紹介もしている。
「山部赤人廟碑」の前にあるこじんまりとしたこの歌の歌碑は明治十二年に建てられたものだそうである。
なお、山部赤人の墓については、奈良県宇陀市榛原山辺にあるとも伝えられている。この墓近くの赤人の歌碑については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その374)」で紹介している。
➡
万葉の岬(相生市相生金ヶ崎)の3つの歌碑を巡った次は、津田天満神社境内社「赤人神社」(姫路市飾磨区構)と今在家南第二公園(姫路市飾磨区今在家)そして津田神社御旅所(姫路市飾磨区思案橋)巡りである。
津田天満神社の駐車場に車を止める。「津田」と冠しているのは、先に巡った、万葉の岬の「辛荷島山部赤人万葉歌碑」の反歌三首のうちの「風吹けば波か立たむとさもらひに都太の細江に浦隠り居り」(九四五歌)の「都太(つだ)」のことであり、万葉時代から「つだ」という地名があったのである。
境内社の赤人神社を探す。赤人神社では歌碑を見つけることができなかった。スマホの地図などで検索するもヒットしない。
こちらをあきらめ、今在家南第二公園にターゲットを変更する。スマホで検索すると、今在家南第二公園は天満神社から近そうである。事前にストリートビューで公園の歌碑の位置を確認しているので、車で行き、駐車場を探すことを考えると、歩いて行く方が気が楽である。
姫路市飾磨区今在家南第二公園は、小さな公園であるが、その一角に立派な万葉歌碑を建てているほど、地元の有志の思い入れが強かったのだろう。
駐車場に戻り、車中でお昼ご飯にする。地元の名物などを食べたいのだけれども、このコロナ時代ではそうもいかない。
早く、安心して地元の店などに立ち寄ることができる日がやってくるように祈るのみである。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「山部神社(赤人寺)」(東近江観光ナビHP」