万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その689)―姫路市飾磨区 津田天満神社御旅所―万葉集 巻六 九四五

●歌は、「風吹けば波か立たむとさもらひに都太の細江に浦隠り居り」である。

 

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津田天満神社御旅所万葉歌碑(山部赤人

●歌碑は、姫路市飾磨区 津田天満神社御旅所にある。

 

●歌をみていこう。

 九四二から九四五歌の題詞は、「過辛荷嶋時山部宿祢赤人作歌一首并短歌」<唐荷(からに)の島を過し時に、山部宿禰赤人が作る歌一首并せて短歌>である。

 この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その612)」で長歌反歌三首すべてを紹介している。

 ➡ こちら612

 

◆風吹者 浪可将立跡 伺候尓 都太乃細江尓 浦隠居

               (山部赤人 巻六 九四五)

 

≪書き下し≫風吹けば波か立たむとさもらひに都太(つだ)の細江(ほそえ)に浦隠(うらがく)り居(を)り

 

(訳)風が吹くので、波が高く立ちはせぬかと、様子を見て都太(つだ)の細江(ほそえ)の浦深く隠(こも)っている。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)さもらふ【候ふ・侍ふ】自動詞:ようすを見ながら機会をうかがう。見守る。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)都太(つだ)の細江(ほそえ):姫路市船場川河口の入江。

(注)うらがくる【浦隠る】自動詞:(船が風や波を避けて)入り江に隠れる。(学研)

 

 

 津田天満神社を後にし、「御旅所」を探す。ナビでは「御旅所」がヒットしない。住所でインプットしても付近の地図が出てくるだけである。「思案橋西」の交差点に出るも、そこからがわからない。とりあえず東の方向に進む。文字通り「思案」のしどころである。「思案橋」交差点近くでは手掛かりがないので、周辺を車で移動、元に戻る。天満神社前を再度通り、「思案橋西」交差点で信号待ちの時に、あらためて辺りを見回すと、「思案橋公民館」がチラッと見えた。先達のブログで、公民館に車を止め云々という書き込みがあったのを思い出し、そちらにハンドルを回す。公民館近くに車を止めるも、そこから先は闇である。たまたま近くの家のご婦人が出かけられるのか、車庫のシャッターをあげて外に出てこられた。御旅所について尋ねると、その角を右に回ってしばらく行くとすぐですと教えていただいた。それにとどまらず、「ご案内します。」とわざわざおっしゃっていただく。さらに「御旅所には、歌碑や説明の案内板がたくさんありますのでゆっくりご覧になって行ってください。」「遠くからお尋ねいただきありがとうございます。」との言葉までいただく。感激である。赤人か道真のお導きか、御旅所に到着。御礼を申し上げ、見学させてもらう。

 

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姫路市飾磨区 津田天満神社御旅所

 「津田天満神社 御旅所」について「姫路市飾磨区構 構広報会HP」に次のように記されている。

「位地:姫路市飾磨区思案橋50番地

津田の細江:菅公が大宰府へ左遷されたとき、立ち寄ったとされる伝説地

菅公小憩伝説の碑:大正13年(1924)兵庫県が建立する

菅公銅像:昭和37年(1962)3月建立する

山部赤人の歌碑:「風吹けば・・・」昭和18年(1943) 文学博士尾上柴舟の揮毫

菅公の歌碑:「東風吹かば・・・」昭和46年(1971) 姫路市吉田豊信の揮毫」

 

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菅原道真座像と歌碑

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「津田の細江」の説明案内板

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「史跡菅公小憩伝説地」の碑


 教えていただいたように、狭い御旅所にこれだけのアイテムが詰まっていたのである。

 コロナ時代の見知らぬ人との数知れない会話、感動と感激、なぜかがんばれと背中を押された感じであった。ありがとうございました。

 

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思案橋

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「津田天満神社 御旅所」 (姫路市飾磨区構 構広報会HP)