万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その690、691)―姫路市的形町 湊神社、同市本町 日本城郭研究センター前―万葉集 巻七 一一六二、巻九 一七七六,一七七七

―その690―

●歌は、「円方の港の洲鳥波立てや妻呼び立てて辺に近づくも」である。

 

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姫路市的形町 湊神社万葉歌碑(作者未詳)

●歌碑は、姫路市的形町 湊神社にある。

 

●歌をみていこう。

この歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その426)」で紹介している。

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◆圓方之 湊之渚鳥 浪立也 妻唱立而 邊近著毛

                                 (作者未詳 巻七 一一六二)

 

≪書き下し≫円方(まとかた)の港(みなと)の洲鳥(すどり)波立てや妻呼び立てて辺(へ)に近(ちか)づくも

 

(訳)円方(まとかた)の港の洲に群れている鳥、この鳥は、沖の方の波が高くなってきたからか、妻を呼び立てては岸に近づいてくる。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)円方(まとかた):三重県松阪市東黒部町(松阪市HP「万葉遺跡 円方(まとかた)」では異論があるとしている)

(注)すどり【州鳥】 州にいる鳥。(weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)

 

 津田天満神社御旅所の次は、姫路市的形町的形の湊神社である。約30分のドライブである。山陽電鉄的形駅」を通り、狭い地道を走り神社に到着。参道は境内の駐車場から階段状になっている。

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湊神社参道

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湊神社社殿

 兵庫県神社庁 神社検索HPの同神社の由緒として、「当社の創建年代は詳らかではないが、的形の地が古代は遠浅の入江で『まとがたの湊』(『万葉集』巻七)と称せられた当時から奉斎されたと言い伝えられる。また、神功皇后に関する伝説が多く語り伝えられている。」と記されている。

 山門をくぐったすぐ参道階段手前左手に万葉歌碑が建てられていた。

 

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参道階段と万葉歌碑

 

 

―その691―

●歌は、「絶等寸の山の峰の上の桜花咲かむ春へは君を偲はむ」と「君なくはなぞ身装はむ櫛笥なる黄楊の小枝も取らむとも思はず」である。

 

●歌碑は、姫路市本町 日本城郭研究センター前にある。

 

●歌をみていこう。

 

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姫路市本町 日本城郭研究センター前万葉歌碑(播磨娘子)

◆絶等寸笶 山之峯上乃 櫻花 将開春部者 君之将思

                  (播磨娘子 巻九 一七七六)

 

≪書き下し≫絶等寸(たゆらき)の山の峰(を)の上(へ)桜花咲かむ春へは君を偲はむ

 

(訳)絶等寸(たゆらき)の山の峰のあたりの桜花、その花が咲く春の頃には、いつも花によそえてあなた様を思うことでしょう。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)播磨娘子:播磨の遊行女婦か

(注)いうこうじょふ【遊行女婦】:各地をめぐり歩き、歌舞音曲で宴席をにぎわした遊女。うかれめ。

 

 

◆君無者 奈何身将装餝 匣有 黄楊之小梳毛 将取跡毛不念

                  (播磨娘子 巻九 一七七七)

 

≪書き下し≫君なくはなぞ身(み)装(よそ)はむ櫛笥(くしげ)なる黄楊(つげ)の小櫛(をぐし)も取らむとも思はず

 

(訳)あなた様がいらっしゃらなくては、何でこの身を飾りましょうか。櫛笥(くしげ)の中の黄楊(つげ)の小櫛(をぐし)さえ手に取ろうとは思いません。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)くしげ【櫛笥】名詞:櫛箱。櫛などの化粧用具や髪飾りなどを入れておく箱。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 題詞は、「石川大夫遷任上京時播磨娘子贈歌二首」<石川大夫(いしかはのまへつきみ)、遷任して京に上(のぼ)る時に、播磨娘子(はりまのをとめ)が贈る歌二首>である。

 

この一七七七歌に関して、中西 進氏は、その著「万葉の心(毎日新聞社)」のなかで、「名さえも伝えられない娘子だが、石川の某という官人が帰京するときに、こうした歌をよんだ。娘子階層のもので櫛を持っているなどというのは上等なことなのだが、その上に黄楊の小櫛という高級品を、娘子は大切に匣に入れて持っていた。せい一杯身を飾るときに、彼女はそのとっておきの櫛で髪をすくのである。石川某が訪れてくる時は、いつもそうであった。ところがもう帰ってしまうと、美しく装う必要はない。黄楊の小櫛も、もはや空しいのである。」と書いておられる。なんといういとおしい歌であろう。

 

この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その224)」で紹介している。そ224では、藤井連なる者が、遷任して京に上る時に、娘子との贈答歌にも触れている。

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 湊神社の次は、姫路市本町「日本城郭研究センター」前である。ストリートビューで事前に検索し、「姫路野里郵便局」の対面、同センター側の歩道上にあるのを確認していたのですぐに探し出すことができた。

 

 予定では、次は、播磨中央公園である。しかし予定時間をオーバーしているので、次の機会にまわすことにする。高速道路に入る前に、念のためガソリンを満タンにしておこうと最寄りのスタンドに飛び込む。有人スタンドである。係りの人にパンクしているのを見つけてもらった。そこでは修理はできないので、タイヤ専門店を教えてもらう。そこまでもたせるために空気圧をパンパンに。

これまでほぼ順調にきただけに、ドッと疲れが吹き出す。店の人が、タイヤを抱えて説明に来る。見れば大きな釘が見事に刺さっている。修理方法と見積もりを聞く。

万葉歌碑めぐりでは、狭い道が多く、これまでもバンパーの底部をすることはしばしば。一度は、側溝に脱輪しJAFに来てもらったこともあった。パンクは初めてである。考えようによっては、高速道路に入る前にわかり、修理ができて高速上でのバースト等に繋がらなかったのが良かったと胸をなでおろす。

 

万葉歌碑の魅力は、時間、空間を超え、また巡り旅に誘うのである。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉の心」 中西 進 著 (毎日新聞社

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版」

★「兵庫県神社庁 神社検索HP」