●歌は、「ますらをのさつ矢手挟み立ち向ひ射る円方はみるにさやけし」(舎人娘子)と
「円方の港の洲鳥波立てや妻呼び立てて辺に近づくも」(作者未詳)の二つである。
舎人娘子の歌をみていこう。
◆大夫之 得物矢手挿 立向 射流圓方波 見尓清潔之
(舎人娘子 巻一 六一)
≪書き下し≫ますらをのさつ矢手挟(てばさ)み立ち向ひ射る円方(まとかた)は見るにさやけし
(訳)ますらおが、さつ矢を手挟んで、立ち向かいさかんに射貫(いぬ)く的(まと)、その名の円方(まとかた)の浜は、見るからにすがすがしい。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)さつや 【猟矢】名詞:獲物を得るための矢。
題詞は、「舎人娘子従駕作歌」<舎人娘子(とねりのをとめ)、従駕(おほみとも)にして作る歌>である。
(注)じゅうが【従駕】:天子の行幸に随行すること。また、高位高官の人の車駕に随行すること。 伊藤氏は「おほみとも」と読まれている。
もう一首、作者未詳歌をみていこう。
◆圓方之 湊之渚鳥 浪立也 妻唱立而 邊近著毛
(作者未詳 巻七 一一六二)
≪書き下し≫円方(まとかた)の港(みなと)の洲鳥(すどり)波立てや妻呼び立てて辺(へ)に近(ちか)づくも
(訳)円方(まとかた)の港の洲に群れている鳥、この鳥は、沖の方の波が高くなってきたからか、妻を呼び立てては岸に近づいてくる。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)すどり【州鳥】 州にいる鳥。(weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)
松阪市HP「万葉遺跡 円方(まとかた)」に次のように書かれている。
「概要:東黒部町 中野川流域一帯
『万葉集』巻1・7に集載されている次の二首にちなむ遺跡である。
巻1「二年壬寅 太上天皇幸于参河国時歌」舎人娘子従駕にして作る歌
丈夫の得物矢手挿み立ち向ひ射る圓方は見るに清潔けし
巻7「雑歌」羇旅にして作る
圓方の湊の渚鳥波立てや妻呼び立てて辺に近づくも
歌に詠む円方は巻7については異論があるものの、巻1の歌に関しては東黒部町内であるとされている。しかし、地名としては残っておらず、垣内田町に服部麻刀方神社跡が名称としてあるのみであり、円方の地点となると不明である。指定もその点、所在地番の指定をせず、中野川流域一帯としているだけである。東黒部町阿弥陀寺境内の一画に万葉歌碑が建つ。」
舎人娘子の歌は、万葉集に三首収録されている。他の二首をみてみよう。
◆大口能 真神之原尓 零雪者 甚莫零 家母不有國
(舎人娘子 巻八 一六三六)
≪書き下し≫大口(おほぐち)の真神(まかみ)の原(はら)に降る雪はいたくな降りそ家もあらなくに
(訳)真神の原に降る雪よ、そんなにひどく、降らないでおくれ。このあたりに我が家があるわけでもないのに。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)おほくちの【大口の】分類枕詞:「真神(まかみ)」と呼ばれた狼(おおかみ)が大きな口であるところから、地名「真神の原」にかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
題詞は、「舎人娘子雪歌一首」<舎人娘子(とねりのをとめ)が雪の歌一首>である。
◆嘆管 大夫之 戀礼許曽 吾髪結乃 漬而奴礼計礼
(舎人娘子 巻二 一一八)
≪書き下し≫嘆きつつますらをのこの恋ふれこそ我(わ)が結(ゆ)ふ髪の漬(ひ)ちてぬれけれ
(訳)ご立派な男の方が嘆き苦しんで恋い慕って下さるので、しっかり結んだ私の髪がその嘆きの霧にびしょびしょ濡れてひとりでにほどけたのですね、なるほど、道理のあることでした。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)ひつ 【漬つ・沾つ】ひたる。水につかる。ぬれる。(学研)
(注)ぬる:ほどける。ゆるむ。抜け落ちる。(学研)
(注)嘆きは霧に立つという当代の発想
題詞は、「舎人娘子奉和歌一首」<舎人娘子(とねりのをとめ)、和(こた)へ奉(まつ)る歌一首>である。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「万葉遺跡 円方(まとかた)」(松阪市HP)