●歌は、「春雨に争ひかねて我がやどの桜の花は咲きそめにけり」である。
●歌をみていこう。
◆春雨尓 相争不勝而 吾屋前之 櫻花者 開始尓家里
(作者未詳 巻十 一八六九)
≪書き下し≫春雨(はるさめ)に争ひかねて我(わ)がやどの桜の花は咲きそめにけり
(訳)春雨に逆らいかねて、我が家の庭の桜の花は、ようやく咲きはじめた。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)あらそふ【争ふ】自動詞①張り合う。争う。②さからう。抵抗する。③言い争う。議論する。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典) ここでは②の意
伊藤 博氏は、脚注の中で、一八六九から一八七一歌の三首は、同一資料と見ておられる。
他の二首もみてみよう。
◆春雨者 甚勿零 櫻花 未見尓 散巻惜裳
(作者未詳 巻十 一八七〇)
≪書き下し≫春雨はいたくな降りそ桜花いまだ見なくに散らまく惜(を)しも
(訳)春雨よ、ひどくは降ってくれるな。桜の花をまだよく見ていないのに、散らしてしまうのは惜しまれてならない。(同上)
(注)まく …だろうこと。…(し)ようとすること。 ※派生語。語法活用語の未然形に付く。 なりたち推量の助動詞「む」の古い未然形「ま」+接尾語「く」(学研)
◆春去者 散巻惜 梅花 片時者不咲 含而毛欲得
(作者未詳 巻十 一八七一)
≪書き下し≫春されば散らまく惜しき梅の花しましは咲かずふふみてもがも
(訳)春になるといつも、散るのが惜しまれてならない梅の花、いっそしばらくは咲かずに蕾のままでいてくれたならなあ。(同上)
(注)しまし【暫し】副詞:「しばし」に同じ。 ※上代語。(学研)
(注)ふふむ【含む】自動詞:花や葉がふくらんで、まだ開ききらないでいる。つぼみのままである。(学研)
一八六九歌の春雨は、桜の花が咲くのを促すものとみているが、一八七〇歌では、春雨を花の散るのを早めるものとみている。ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その218)」で、一八六九歌を紹介するとともに、春雨で詠いだす歌を抽出し、春雨をどのようにみているかを比較している。 ➡
8月19日、今月2回目となるが、万葉歌碑巡りに出かけた。初の和歌山挑戦である。白浜行幸、有間皇子の悲劇等々、和歌山も万葉集のメッカである。
計画をたてると、ここも行きたい、ここもと夢が広がる。先達のブログもしっかり目を通し、グーグルマップのストリートビューも繰り返しできるだけ特定する。効率よく廻ることを前提に取り組む。
計画は次の通りである。12カ所である。
県立紀伊風土記の丘➡玉津島神社➡片男波公園➡中言神社➡㈱名手酒造➡海南消防署➡海南医療センター筋向い➡藤白神社➡有間皇子の墓➡海南駅➡海南駅南高野西街道交差点脇➡海南市役所
熱中症体対策として、スポドリやお茶等も事前に準備し、コロナ対策として消毒薬、マスクなども積み込む。最悪の事態も想定し簡易トイレも車中に設置する。
紀伊風土記の丘の駐車場は8:00から開場と書いてあったので、時間もそこに合わせ5:30に出発する。15分ほど前に着いたが、駐車場はすでに開いていた。車を止め、まず資料館を目指す。朝のウォーキングをしてきた帰りとおぼしき年配の方達のグループとすれ違う。気持ちよく「おはようございます」とあいさつを交わす。
駐車場から資料館までの遊歩道には、埴輪のオブジェがそこここに配してあり、温かく迎えてくれている。
「和歌山県立紀伊風土記の丘HP」には、「国の特別史跡『岩橋(いわせ)千塚古墳群』の保全と公開を目的として1971年8月に開館した、考古資料・民俗資料を中心とした県立の博物館施設(登録博物館)です。園内は約65haの広さがあり、標高150mの丘陵から北斜面一帯に、大小およそ500基の古墳が点在しています。また、麓には国・県指定の移築民家集落や万葉植物園があり、四季を通じて里山の自然をお楽しみいただけます。」とある。
資料館から万葉植物園までは、歩いて約5分の緩やかな登り坂である。植物園自体が古墳にあるようなシチュエーションである。
植物園には、五基の万葉歌碑と数十本くらいの歌とゆかりの万葉植物名を記した歌碑プレートが建てられている。基本「作歌名、歌、万葉集歌ナンバー、ゆかりの植物」と整然と記されており、後で整理するのには都合のいいプレートである。
園内を、歌碑を求めてさまよい歩き続ける。良い運動である。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」