万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その642,643,644)―稲美町 中央公園万葉の森―万葉集 巻二 一四一八、巻八 一四一二、巻九 一七七二

 コロナ騒動で、外出がままならないので、万葉歌碑めぐりもペースを落とさざるをえない。緊急避難として、万葉植物園の陶板や金属プレートに書かれた、万葉植物にちなんだ歌をも紹介することにしている。

 どうしても、植物やご当地にゆかりのある歌となるので、重複は避けられない。できるだけ関連情報を集めて書いていくつもりである。

 これからしばらくは、加古川市稲美町 中央公園万葉の森の万葉植物にちなんだ歌を紹介していくことになりますので、よろしくお願い申し上げます。

 

 

―その642―

●歌は、「石走る垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも」である。

 

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稲美町 中央公園万葉の森万葉歌碑(志貴皇子

●歌碑は、加古川市稲美町 中央公園万葉の森にある。

 

●歌をみてこう。

この歌は、直近では、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その556)」で紹介している。

 

◆石激 垂見之上乃 左和良妣乃 毛要出春尓 成来鴨

               (志貴皇子 巻二 一四一八)

 

≪書き下し≫石走(いはばし)る垂水(たるみ)の上(うへ)のさわらびの萌(も)え出(い)づる春になりにけるかも

 

(訳)岩にぶつかって水しぶきをあげる滝のほとりのさわらびが、むくむくと芽を出す春になった、ああ。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

注)いはばしる【石走る・岩走る】分類枕詞:動詞「いはばしる」の意から「滝」「垂水(たるみ)」「近江(淡海)(あふみ)」にかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)たるみ【垂水】名詞:滝。(学研)

 

この歌は、万葉集巻八の巻頭歌である。

 題詞は、「志貴皇子懽御歌一首」<志貴皇子(しきのみこ)の懽(よろこび)の御歌一首>とある。

 

 志貴皇子は、天智天皇の皇子で、後に我が子が光仁天皇として即位したので、天皇の称号が贈られて、春日宮天皇、あるいは田原天皇とも呼ばれている。光仁天皇は、父を春日宮天皇と追尊し墓を陵に改めた。この陵は、春日宮天皇陵あるいは田原西陵と呼ばれている。

御陵は、奈良県奈良市田原町にある。この陵の入り口付近に一四一八歌の歌碑が建てられている。御陵と歌碑➡ こちら

光仁天皇陵は、田原東陵とよばれており、西陵から東北東に約4kmのところにある。

 

 

 

―その643―

●歌は、「春の野にすみれ摘みにと来しわれぞ 野をなつかしみ一夜寝にける」である。

 

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稲美町 中央公園万葉の森万葉歌碑(山部赤人

●歌碑は、加古川市稲美町 中央公園万葉の森にある。

 

●歌をみていこう。

この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その17)」や「同417」で紹介している。

 

◆春野尓 須美礼採尓等 來師吾曽 野乎奈都可之美 一夜宿二来

               (山部赤人 巻八 一四二四)

 

≪書き下し≫春の野にすみれ摘(つ)みにと来(こ)しわれぞ 野をなつかしみ一夜寝(ね)にける

 

(訳)春の野に、すみれを摘もうとやってきた私は、その野の美しさに心引かれて、つい一夜を明かしてしまった。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

 

(注)なつかし【懐かし】形容詞:①心が引かれる。親しみが持てる。好ましい。なじみやすい。②思い出に心引かれる。昔が思い出されて慕わしい。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 部立は、春雑歌であり、題詞は、「山部宿祢赤人歌四首」<山部宿禰赤人が歌四首>である。ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その17)」では四首すべてを紹介している。

                           

 滋賀県東近江市麻生町は、山部赤人が生涯を閉じた地と言われ、山部神社と赤人寺(しゃくにんじ)が隣接して建っている。神社の境内には、この一四二四歌の歌碑があるが、これは明治十二年に建てられたものであるという。

 

 

―その644―

●歌は、「後れ居て我けはや恋ひなむ印南野秋萩見つつ去なむ子ゆゑに」である。

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稲美町 中央公園万葉の森万葉歌碑(阿倍大夫)


 

●歌碑は、加古川市稲美町 中央公園万葉の森にある。

 

●歌をみていこう。

この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その625)」で紹介している。

 

◆於久礼居而 吾者哉将戀 稲見野乃 秋芽子見都津 去奈武子故尓

               (阿倍大夫 巻九 一七七二)

 

≪書き下し≫後(おく)れ居て我(あ)れはや恋ひなむ印南野(いなみの)の秋萩見つつ去(い)なむ子ゆゑに             

 

(訳)あとに残されて私は恋い焦がれることになるのか。印南野の秋萩を見ながら行ってしまういとしい人ゆえに。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)おくれゐる【後れ居る】自動詞:あとに残っている。取り残される。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 この歌の題詞は、「大神大夫任筑紫國時阿倍大夫作歌一首」<大神大夫(おほみわのまへつきみ)、筑紫(つくし)の国に任(ま)けらゆる時に、阿倍大夫(あへのまへつきみ)が作る歌一首>である。

(注)大神大夫:三輪朝臣高市麻呂

(注)まく【任く】他動詞①任命する。任命して派遣する。遣わす。②命令によって退出させる。しりぞける。(学研) ここでは①の意

                           

 大神大夫に関しては、巻一 四四歌の左注に「・・・於是中納言三輪朝臣高市麻呂脱其冠位擎上於朝重諌日・・・」<・・・ここに中納言三輪朝臣高市麻呂(みわのあそみたけちまろ)、その冠位(かぶふり)を脱(ぬ)きて(みかど)に捧(ささ)げ、重ねて諌(いさ)めまつりて日(まを)さく・・・>とある。

持統天皇が伊勢に行幸する際、中納言であった三輪朝臣高市麻呂(みわのあそんたけちまろ)が冠位を脱いで天皇に捧げ、農繁期行幸は民を苦しめるとして諫(いさ)めたが、天皇はこれを聞き入れず伊勢へ行幸したということである。このエピソードに関しては、奈良県HP「はじめての万葉集 vol.60」に詳細に書かれており、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その625)」で紹介させていただいている。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「公益社団法人 奈良市観光協会HP」

★「公益社団法人 びわこビジターズビューローHP」

★「奈良県HP「はじめての万葉集 vol.60」