●歌は、「大君は神にしませば真木の立つ荒山中に海をなすかも」である。
●歌をみていこう。
題詞は、「或本反歌一首」<或本(あるほん)の反歌一首>とある。伊藤 博氏は前述書の脚注で「二四〇に対する初案か。長歌に対して孤立している。」と書いておられる。
◆皇者 神尓之坐者 真木乃立 荒山中尓 海成可聞
(柿本人麻呂 巻二 二四一)
≪書き下し≫大君は神にしませば真木(まき)の立つ荒山中(あらやまなか)に海を成すかも
(訳)わが大君は神であらせられるので、杉や檜の茂り立つ人気のない山中に海をお作りになっている。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)まき【真木・槇】:杉や檜(ひのき)などの常緑の針葉樹の総称。多く、檜にいう。
(注)あらやま【荒山】:人けのない、さびしい山。
(注)海:猟路の池を、皇子の力によってできた海とみてこう言った。
二三九、二四〇歌の題詞は、「長皇子遊獦路池之時柿本朝臣人麻呂作歌一首幷短歌」<長皇子(ながのみこ)、猟路(かりぢ)の池に遊(いでま)す時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌一首 幷(あは)せて短歌>である。
(注)獦路池(かりぢのいけ):奈良県宇陀市榛原区の宇田川、芳野川合流点付近の池かという。
◆八隅知之 吾大王 高光 吾日乃皇子乃 馬並而 三獦立流 弱薦乎 獦路乃小野尓 十六社者 伊波比拜目 鶉己曽 伊波比廻礼 四時自物 伊波比拜 鶉成 伊波比毛等保理 恐等 仕奉而 久堅乃 天見如久 真十鏡 仰而雖見 春草之 益目頬四寸 吾於富吉美可聞
(柿本朝臣人麻呂 巻二 二三九)
≪書き下し≫やすみしし 我が大君(おほきみ) 高光(たかひか)る 我が日の御子(みこ)の 馬並(うまな)めて 御狩(みかり)立たせる 若薦(わかこも)を 猟路(かりぢ)の小野(おの)に 鹿(しし)こそば い匐(は)ひ拝(をろが)め 鶉(うづら)こそ い匐(は)ひ廻(もとほ)れ 鹿(しし)じもの い匐(は)ひ拝(をろが)み 鶉(うづら)なす い匐(は)ひ廻(もとほ)り 畏(かしこ)みと 仕(つか)へまつりて にさかたの 天(あめ)見るごとく まそ鏡 仰(あふ)ぎて見れど 春草(はるくさ)の いやめづらしき 我が大君かも
(訳)あまねく天下を支配せられるわが主君、高々と天上に光ろ輝く日の神の皇子、このわが皇子が、馬を勢揃いして御狩りに立っておられる猟路野(かりじの)の御猟場では、鹿は膝を折って匍(は)うようにしてお辞儀をし、鶉はうろうろとおそばを匍(は)いまわっているが、われらも、その鹿のように匍(は)って皇子をうやまい、その鶉のように匍(は)いまわって皇子のおそばを離れず、恐れ多いことだと思いながらお仕え申し上げ、はるか天空を仰ぐように皇子を仰ぎ見るけれども、春草のようにいよいよお慕わしく心ひかれるわが大君でいらっしゃいます。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)やすみしし【八隅知し・安見知し】<枕詞>「わが大君」「わご大君」にかかる。
(注)たかひかる【高光る】<枕詞>空高く輝くの意で。「日」にかかる。
(注)わかこもを【若薦を】<枕詞>「猟(かり)」にかかる。
(注)まそかがみ【真十鏡・真澄鏡】<枕詞>まそ鏡を、見る・懸ける・床の辺に置く・磨ぐの意で、「見る」「敏馬(みぬめ)(地名)」等にかかる。 「まそ」は十分に整ったの意。
短歌(二四〇歌)もみてみよう。
◆久堅乃 天歸月乎 網尓刺 我大王者 盖尓為有
(柿本朝臣人麻呂 巻二 二四〇)
≪書き下し≫ひさかたの天行く月を網(あみ)に刺し我(わ)が大君は盍(きぬがさ)にせり
(訳)天空高く渡る月、この月を網を張って捕えて、われらの大君は、今しも盍(きぬがさ)にしていらっしゃる。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)天行く月:月を背に夕狩りに出で立つ皇子の姿をこう言った。
(注)網に刺し:網を張って捕えて
(注)盍(きぬがさ):貴人のうしろからさしかける織物製の傘。
二三九歌の長歌の内容との整合性といった点では、二四〇歌は「猟」のイメージで納得がいくが、二四一歌はやはりなじまない。
二四一歌の「海」のイメージは、倉橋ため池に合っている。
倉橋溜池は、奈良県内では高山溜池、白川溜池、斑鳩溜池とともに四大溜池のひとつ。県下最大の灌漑面積を誇る(奈良県桜井市観光協会公式HPより)
柿本朝臣人麻呂は宮廷歌人である。「大君は神にしませば真木(まき)の立つ荒山中(あらやまなか)に海を成すかも」<(訳)わが大君は神であらせられるので、杉や檜の茂り立つ人気のない山中に海をお作りになっている。>なんとスケールのでかいヨイショであろう。歌にすると嫌味な感じが全くしないのも不思議な世界である。
粟原寺(おおばらでら)址を巡ったあと、国道166号線から倉橋ため池方面に折れる。しばらく走ると右手に大きな池が現れる。倉橋ため池ふれあい公園に歌碑があるのを確認、もう少し進み駐車場の車を止め休憩をとる。歌碑を映した後、桜井吉野線まで出て、一路多武峰談山神社へ向かった。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉歌碑をめぐる」(桜井市HP)
★「weblio古語辞典」
※20210610朝食関連記事削除、一部改訂