万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1180)―奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(140)―万葉集 巻四 五二四

●歌は、「むし衾なごやが下に伏せれども妹とし寝ねば肌し寒しも」である。

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奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(140)万葉歌碑<プレート>(藤原麻呂



●歌碑(プレート)は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(140)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆蒸被 奈胡也我下丹 雖臥 与妹下宿者 肌之寒霜

             (藤原大夫 巻四 五二四)

 

≪書き下し≫むし衾(ぶすま)なごやが下に伏せれども妹とし寝(ね)ねば肌(はだ)し寒しも

 

(訳)むしで作ったふかふかと暖かい夜着にくるまって横になっているけれども、あなたと一緒に寝ているわけではないから、肌寒くて仕方がない。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)ふすま【衾・被】名詞:寝るときに身体にかける夜具。かけ布団・かいまきなど。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)なごや【和や】名詞:やわらかいこと。和やかな状態。※「や」は接尾語。(学研)

 

「むし」が詠われているのはこの歌のみである。「むし」について、春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板の説明を紹介しようとしたが、「むし」が自己主張しており、説明文が読み取れない所が多いので割愛させていただきます。

weblio辞書 小学館 デジタル大辞泉」によると、次のように書かれている。

「むし【苧/枲/苧麻】:イラクサ科の多年草。原野にみられ、高さ1~2メートル。茎は木質。葉は広卵形で先がとがり、裏面が白い。夏、淡緑色の小花を穂状につける。茎から繊維をとって織物にする。真麻(まお)。ちょま。」

(補注)「むし」は「虫」すなわち「蚕」のことで、それから作った絹の夜具という説もある。

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「むし」 weblio辞書 小学館 デジタル大辞泉から引用させていただきました。

 

 五二二から五二四歌までの三首の題詞は、「京職藤原大夫贈大伴郎女歌三首 卿諱日麻呂也」<京職(きやうしき)藤原大夫が大伴郎女(おほとものいらつめ)に贈る歌三首 卿、諱を麻呂といふ>である。

(注)藤原大夫:藤原麻呂藤原不比等の第四子

(注の注)藤原不比等(ふじわらのふひと)の子四人とは、武智麻呂(むちまろ)、房前(ふささき)、宇合(うまかい)、麻呂(まろ)である。それぞれ南家、北家、式家、京家の四家(藤原四家<ふじわらよんけ>)に分かれた。

(注)大伴郎女:大伴坂上郎女のことである。この歌に和(こた)えた歌四首の左注に「大伴坂上郎女」と書かれている。

(注)諱【いみな】:① 生前の実名。生前には口にすることをはばかった。② 人の死後にその人を尊んで贈る称号。諡(おくりな)。③ 《①の意を誤って》実名の敬称。貴人の名から1字もらうときなどにいう

 

 

この歌ならびに他の二首についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その345)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 この藤原大夫の歌に対して、大伴坂上郎女が「和(こた)ふる歌」(五二五から五二八歌)をみてみよう。

 

 題詞は、「大伴郎女和歌四首」<大伴郎女が和(こた)ふる歌四首>である。

 

◆狭穂河乃 小石踐渡 夜干玉之 黒馬之来夜者 年尓母有糠

                    (大伴坂上郎女 巻四 五二五)

 

 

≪書き下し≫佐保川(さほがは)の小石(こいし)踏み渡りぬばたまの黒馬(くろま)来る夜(よ)は年にもあらぬか

 

(訳)佐保川の小石の飛石を踏み渡って、ひっそりとあなたを乗せた黒馬が來る夜は、 せめて年に一度でもあってくれないものか。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)年にもあらぬか:七夕並にせめて年に一度はあってほしい。

 

 

◆千鳥鳴 佐保乃河瀬之 小浪 止時毛無 吾戀者

                     (大伴坂上郎女 巻四 五二六)

 

≪書き下し≫千鳥鳴く佐保の川瀬のさざれ波やむ時もなし我(あ)が恋ふらくは

 

(訳)千鳥がなく佐保の河瀬のさざ波のように、とだえる時とてありません。私の恋心は、(同上)

(注)上三句は序。第四句を起こす。

 

 

◆将来云毛 不來時有乎 不來云乎 将来常者不待 不來云物乎

                     (大伴坂上郎女 巻四 五二七)

 

≪書き下し≫来(こ)むと言ふも来(こ)ぬ時あるを来(こ)じと言ふを来(こ)むとは待たじ来(こ)じと言ふものを

 

(訳)あなたは、来(こ)ようと言っても来(こ)ない時があるのに、まして、来(こ)まいと言うのにもしや来(こ)られるかと待ったりはすまい。来(こ)まいおっしゃるのだもの。(同上)

(注)「こ」の音で頭韻を、さらに、ひとつだけずれるものの「O」の音で脚韻を踏んでいるのでリズミカルな歌になっている。

 

 

◆千鳥鳴 佐保乃河門乃 瀬乎廣弥 打橋渡須 奈我来跡念者

                    (大伴坂上郎女 巻四 五二八)

 

≪書き下し≫千鳥鳴く佐保の川門(かはと)の瀬を広み打橋(うちはし)渡す汝(な)が来(く)と思へば

 

(訳)千鳥が鳴く佐保川の渡り場の瀬が広いので、板の橋を渡しておきます。あなたがやって来るかと思って。(同上)

(注)女が男に「汝」というのはからかい。また、「汝が来」は「長く」を懸けている。

 

この四歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その6改)」で紹介している。(初期のブログであるのでタイトル写真には朝食の写真が掲載されていますが、「改」では、朝食の写真ならびに関連記事を削除し、一部改訂いたしております。ご容赦ください。)

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tom101010.hatenablog.com

 

 

 左注は、「右郎女者佐保大納言卿之女也 初嫁一品穂積皇子 被寵無儔而皇子薨之後時 藤原麻呂大夫娉之郎女焉 郎女家於坂上里 仍族氏号日坂上郎女也」<右、郎女は佐保大納言卿(さほのだいなごんのまへつきみ)が女(むすめ)なり。初(は)じめ一品(いっぽん)穂積皇子(ほづみのみこ)に嫁(とつ)ぎ、寵(うつくしび)を被(かがふ)ること儔(たぐひ)なし。しかして皇子の薨(こう)ぜし後に、藤原麻呂大夫(ふぢはらのまろのまへつきみ)、郎女を娉(つまど)ふ。郎女、坂上(さかうへ)の里(さと)に家居(いへい)す。よりて族氏(やから)号(なづ)けて坂上郎女といふ。

(注)佐保大納言:大伴安麻呂

(注)一品:皇子皇女の官位四品中の筆頭

(注)坂上の里:佐保西方の歌姫越に近い地らしい。

 

 大伴安麻呂の歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その900)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

大伴坂上郎女についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(1059)」で人となりを紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「春日大社神苑萬葉植物園・植物説明板」

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 小学館 デジタル大辞泉