万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1131)―奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(91)―万葉集 巻十四 三四三二

●歌は、「足柄のわを可鷄山のかづの木の我を誘さねも門さかずとも」である。

 

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奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(91)万葉歌碑<プレート>(作者未詳)

●歌碑(プレート)は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(91)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆阿之賀利乃 和乎可鶏夜麻能 可頭乃木能 和乎可豆佐祢母 可豆佐可受等母

                  (作者未詳 巻十四 三四三二)

 

<書き下し≫足柄(あしがり)のわを可鶏山(かけやま)山(かけやま)のかづの木の我(わ)を誘(かづ)さねも門(かづ)さかずとも

 

(訳)足柄の、我(わ)れを心に懸けるという可鶏山(かけやま)のかずの木、あの木がその名のように、いっそ私を誘(かず)す―そう、かどわかしてくれたらいいのになあ。門が開いていなくてもさ。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)男の誘いを待つ女の歌。「わを可鶏」に「我を懸け」を懸けている。(伊藤脚注)

(注)アシガリ:「あしがら」の訛り

(注)かづの木:ぬるでの木か、男の譬え。(伊藤脚注)

(注の注)かづの木:全国の山野に生えているウルシ科の小高木、ヌルデ(白膠・白膠木)を相模国の方言で「かつのき」と呼んでいるので、ヌルデであるとする説が有力。この木から採れる白い樹液で器物を塗ることができるところからこの名がついた。古くは穀(かづ)の木、樗(かちのき、ぬで)と呼ばれた。(「植物で見る万葉の世界」(國學院大學「万葉の花の会」発行)

(注)門(かづ)さかず:「門し開かず」の意か。(伊藤脚注)

 

 恋する女の、私を思ってくれるならかどわかして欲しい、何としてでもという、ある意味、過激な歌である。掛詞が数多く使われているので、戯れ歌的要素が強い歌とも考えられる。東歌らしくない技巧が施されたとみるか、民謡っぽいとみるかであろう。

 

この歌は、部立「譬喩歌」の三四三一から三四三三歌の歌群の左注「右三首相模國歌」<右の三首は相模(さがみ)の国の歌>の一首である。

 

 

 他の二首もみていこう。

 

◆阿之我里乃 安伎奈乃夜麻尓 比古布祢乃 斯利比可志母與 許己波故賀多尓

                  (作者未詳 巻十四 三四三一)

 

≪書き下し≫足柄(あしがり)の安伎奈(あきな)の山に引(ひ)こ舟(ふね)の後(しり)引(ひ)かしもよここばこがたに

 

(訳)足柄(あしがら)の安伎奈(あきな)の山で、引き下ろされる舟が、うしろを引っ張られてぐずぐずしているわい。こんなにやたらと、女子(おなご)というもののせいでさ。(同上)

(注)引こ舟(ふね):山中で造り、うしろに引きながら水辺まで下ろす刳舟の類。男自身の譬え。(伊藤脚注)

(注の注)ひこ【引こ】四段動詞:「ひく(引)」の連体形「ひく」の上代東国方言。(広辞苑無料検索 日本国語大辞典

(注)ここば子がたに:こんなにやたらと、女のせいで。朝帰りの男の心。(伊藤脚注)

(注の注)ここば【幾許】副詞:甚だしく。たいそう。こんなにも。 ※上代語。(学研)

(注の注)たに:「ために」に同じ。(伊藤脚注)

(注の注)子がたに:女のせいで

 

 

◆多伎木許流 可麻久良夜麻能 許太流木乎 麻都等奈我伊波婆 古非都追夜安良牟

                  (作者未詳 巻十四 三四三三)

 

≪書き下し≫薪(たきぎ)伐(こ)る鎌倉山かまくらやま)の木垂(こだ)る木(き)を松(まつ)と汝(な)が言はば恋ひつつやあらむ

 

(訳)薪を伐る鎌、その鎌倉山の、枝のしなう木、この木を松―待つとさえお前さんが言ってくれたら、こんなに恋い焦がれてばかりいるものかよ、(同上)

(注)たきぎこる【薪樵る】分類枕詞:薪を伐採する鎌(かま)から「鎌」と同音を含む「鎌倉山かまくらやま)」にかかる。(学研)

(注)木垂る木を松と汝が言はば:作者自身(男)の譬え。この松の木を松(待つ)と言ってくれたら。(伊藤脚注)

(注の注)こだる【木垂る】自動詞:木が茂って枝が垂れ下がる。 ⇒参考:一説に、「木足る」で、枝葉が十分に茂る意とする。(学研)

(注)つつ 接続助詞:《接続》動詞および動詞型活用の助動詞の連用形に付く。①〔反復〕何度も…ては。②〔継続〕…し続けて。(ずっと)…していて。③〔複数動作の並行〕…しながら。…する一方で。④〔複数主語の動作の並行〕みんなが…ながら。それぞれが…して。⑤〔逆接〕…ながらも。…にもかかわらず。⑥〔単純な接続〕…て。▽接続助詞「て」と同じ用法。⑦〔動作の継続を詠嘆的に表す〕しきりに…していることよ。▽和歌の末尾に用いられ、「つつ止め」といわれる。 ⇒ 語の歴史 「つつ」は現代語では、文語の中で用いられる。現代語の「つつ」は、「道を歩きつつ本を読む」のように、二つの動作の並行か、「今、読みつつある本」のように、動作の継続かの意味で用いられる。古語の用例も、ともすれば、この意味に解釈しやすい傾向がある。古語では①の意味で用いられることが多いが、これも二つの動作の並行の意味に誤解されることが多いので注意する必要がある。この動作の反復の意は現代語の接続助詞ではとらえられず、その意に当たる副詞的な語を補うか、「つつ」の上の動詞を繰り返すかなどすると、その意味がとらえやすい。⑤の用法は、現代語から見てそう解するほうが理解しやすいというものである。この意味では「月夜には来こぬ人待たるかきくもり雨も降らなむわびつつも寝む」(『古今和歌集』恋五)のように「つつも」の形で使われた場合が多い。(学研)

 

 この三首の譬喩歌は、すんなりと頭に入らず考えてしまう。日常的なことであったので当時の人々には理解されたのであろう。

 

 

 春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板によると、「『カヅノキ』は現在の『ヌルデ』のことで、山野に生えるウルシ科の落葉小高木である。(中略)葉は秋になると紅葉してとても美しい。『ヌルデ』の名の由来はこの木から採れる白い樹液を器物に塗ることからで、古くは『殻の木(カズノキ)』・『樗(カチノキ・ヌデ)』・『勝木(カツキ)』・『五倍子木(フシノキ)』・『護摩木(ゴマギ)』などとも呼ばれた。別名『五倍子木(フシノキ)』とはとは、若葉に一種のアブラムシであるヌルデミミフシの無翅(ムシ【羽のない】)雌虫が寄生して刺激を与え、瘤状(リュウジョウ)の巣『五倍子(フシ)』が生じることから付いた名前である。この『五倍子(フシ)』の粉末と、酢や茶汁に古クギや古はさみなどをつけて酸化させた異臭で褐色の水渋を練って歯に漆のように黒く染めたのが『お歯黒(オハグロ)』である。」と書かれている。

 

 

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「ヌルデ(別名フシノキ)」と「葉についた瘤状の巣」(熊本大学薬学部 薬草園HP 植物データベースより引用させていただきました。)

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板」

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「広辞苑無料検索 日本国語大辞典

★「熊本大学薬学部 薬草園HP 植物データベース」