万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1589、1590)―浜北区宮口 八幡神社(旧若倭神社)、同 麁玉協働センターー万葉集 巻二十 四三二二、巻十一 二五三〇

―その1589―

●歌は、「我が妻はいたく恋ひらし飲む水に影さへ見えてよに忘られず」である。

浜北区宮口 八幡神社(旧若倭神社)万葉歌碑(若倭部身麻呂)

●歌碑は、浜北区宮口 八幡神社(旧若倭神社)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆和我都麻波 伊多久古非良之 乃牟美豆尓 加其佐倍美曳弖 余尓和須良礼受

      (若倭部身麻呂 巻二十 四三二二)

 

≪書き下し≫我が妻(つま)はいたく恋ひらし飲む水に影(かげ)さへ見えてよに忘られず

 

(訳)おれの妻は、ひどくこのおれを恋しがっているらしい。飲む水の上に影まで映って見えて、ちっとも忘れられない。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)よに【世に】副詞:①たいそう。非常に。まったく。②〔下に打消の語を伴って〕決して。全然。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 この歌の左注は、「右一首主帳丁麁玉郡若倭部身麻呂」<右の一首は主帳丁(しゆちやうのちやう)麁玉(あらたま)の郡(こほり)の若倭部身麻呂(わかやまとべのみまろ)>である。

(注)しゆちやう【主帳】:律令制で、諸国の郡または軍団に置かれ、文書の起草・受理をつかさどった職。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)麁玉の郡:静岡県浜松市付近一帯。(伊藤脚注)

 

 この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1509)」で紹介している。(連日の紹介となってしまい申し訳ございません)

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tom101010.hatenablog.com

 

 

 駐車場に車を停め、鳥居をくぐる。すぐ右手に小さな石碑があり若倭神社と書かれている。間違いないと参道をすすむ。こじんまりしている神社である。しかし歌碑を見つけることが出来なかった。車に戻り、検索し直す。

 携帯のナビに切り替え再挑戦。案内板も何もないが車1台やっと通れるような道を入って行くように指示が出ている。突き当りに万葉歌碑の文字が見えた。

副碑(書き下し文)

 神社らしからぬ神社である。小さな社と山車かなんかの車庫のような建物だけである。

八幡神社(旧若倭神社)社殿

 車庫の前に車を停める。

 社の横に「八幡神社と万葉歌碑」の説明案内板が建てられている。

 「この八幡神社は若倭(わかやまと)神社とも呼ばれ、延喜式内社麁玉郡四座(あらたまぐんよんざ)のひとつ若倭神社に比定する説があります。また、この附近には古代の麁玉郡の役所があったという説もあります。・・・この歌の作者である若倭部身麻呂の出身が麁玉郡であることと「若倭」の名にちなみ、平成二年(1990年)、ここに歌碑が建てられました。浜松市浜北区役所まちづくり推進課」と書かれている。

(注)麁玉郡四座:於呂神社、多賀神社、長谷神社、若倭神社

 「八幡神社(若倭神社)と万葉歌碑」説明案内板

 

 

―その1590―

●歌は、「あらたまの寸戸が竹垣編目ゆも妹し見えなば我れ恋ひめやも」である。

浜北区宮口 麁玉協働センター万葉歌碑(作者未詳)

●歌碑は、浜北区宮口 麁玉協働センターにある。

 

●歌をみていこう。

 

◆璞之 寸戸我竹垣 編目従毛 妹志所見者 吾戀目八方

       (作者未詳 巻十一 二五三〇)

 

≪書き下し≫あらたまの寸戸(きへ)が竹垣(たかがき)網目(あみめ)ゆも妹し見えなば我(あ)れ恋ひめやも

 

(訳)寸戸の竹垣、この垣根のわずかな編み目からでも、あなたの姿をほの見ることさえできたら、私はこんなに恋い焦がれたりなどするものか。(同上)

(注)あらたまの:「寸戸」の枕詞。懸り方未詳。(伊藤脚注)

(注)寸戸が竹垣編目ゆも:未詳。寸戸の竹垣の編み目からでも。(伊藤脚注)

麁玉協働センター正副歌碑

 この歌については、昨日の拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1588)」でも紹介しているが、「拙稿同(その1510)」で紹介している。(こちらも連日の紹介となってしまい申し訳ございません)

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tom101010.hatenablog.com

 

 八幡神社の次は、麁玉協働センターである。

 歌碑は、同センター前に設置されている。

 歌碑を撮影していると、センターから男の方が出てこられた。何と「令和版 はままつ万葉歌碑・故地マップ」(制作 浜松市)と「万葉の草花が薫たつ 万葉の森公園」のパンフレットを頂いたのである。さらに、この歌にある「竹垣網目」をイメージしてセンターの一角に造ったのがこちらです、と説明していただけたのである。

 有り難いことである。

竹垣網目

 「万葉の森公園」のパンフレットには、これまでにも紹介してきたが、「浜北ゆかりの万葉歌」として四首があげられている。

あらためて、書き下しと歌碑設置場所、浜北ゆかりの根拠とされるものを記してみた。

 

◆(若倭部身麻呂 巻二十 四三二二)

我が妻(つま)はいたく恋ひらし飲む水に影(かげ)さへ見えてよに忘られず

<歌碑>浜北区宮口 八幡神社(若倭神社)

    浜北区平口 万葉の森公園

■■左注は、「右一首主帳丁麁玉郡若倭部身麻呂」<右の一首は主帳丁(しゆちやうのちやう)麁玉(あらたま)の郡(こほり)の若倭部身麻呂(わかやまとべのみまろ)>である。

 

◆(作者未詳 巻十一 二五三〇) 

あらたまの寸戸が竹垣編目ゆも妹し見えなば我れ恋ひめやも

<歌碑>浜北区宮口 麁玉協働センター

■巻十四 三三五三・三三五四の左注により、「あらたま」を「麁玉」(地名)とみた。

 

 

◆(作者未詳 巻十四 三三五三)

麁玉の伎倍の林に汝を立てて行きかつましじ寐を先立たね

<歌碑>浜北区貴布祢 浜北文化センター

■■三三五三・三三五四の左注が、「右の二首は遠江の国の歌」

 

(作者未詳 巻十四 三三五四)

◆伎倍人のまだら衾に綿さはだ入りなましもの妹が小床に

<歌碑>浜北区平口 万葉の森公園

■■三三五三・三三五四の左注が、「右の二首は遠江の国の歌」

 

 頂いた「令和版 はままつ万葉歌碑・故地マップ」(制作 浜松市)を参考に、今回周りきれていない歌碑を巡る計画をたて挑戦したいものである。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「はままつ万葉歌碑・故地マップ」(制作 浜松市)パンフレット

★「万葉の草花が薫たつ 万葉の森公園」(制作 浜松市)パンフレット