万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1521,1522,1523)―静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P10、P11、P12)―万葉集 巻八 一四八五、巻一 一六六、巻十三 三三一四

―その1521―

●歌は、「夏まけて咲きたるはねずひさかたの雨うち降らばうつろひなむか」である。

静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P10)万葉歌碑<プレート>(大伴家持

●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P10)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆夏儲而 開有波祢受 久方乃 雨打零者 将移香

      (大伴家持 巻八  一四八五)

 

≪書き下し≫夏まけて咲きたるはねずひさかたの雨うち降らばうつろひなむか

 

(訳)夏を待ち受けてやっと咲いたはねず、そのはねずの花は、雨でも降ったら色が褪(あ)せてしまうのではなかろうか。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)まく【設く】他動詞:①前もって用意する。準備する。②前もって考えておく。③時期を待ち受ける。(その季節や時が)至る。 ※上代語。中古以後は「まうく」。ここでは、③の意(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)はねず【唐棣花/棠棣/朱華】:① 初夏に赤い花をつける植物の名。ニワウメ・ニワザクラなど諸説がある。②「唐棣花 (はねず) 色」の略。

(注)ひさかたの【久方の】分類枕詞:天空に関係のある「天(あま)・(あめ)」「雨」「空」「月」「日」「昼」「雲」「光」などに、また、「都」にかかる。語義・かかる理由未詳。(学研)

(注)うつろふ【移ろふ】自動詞:①移動する。移り住む。②(色が)あせる。さめる。なくなる。③色づく。紅葉する。④(葉・花などが)散る。⑤心変わりする。心移りする。⑥顔色が変わる。青ざめる。⑦変わってゆく。変わり果てる。衰える。 ※「移る」の未然形+反復継続の助動詞「ふ」からなる「移らふ」が変化した語。(学研)ここでは②の意

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その571)」で紹介している。

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 「はねず」については、ニワウメ・ニワザクラなど諸説がある。

 (注)【庭梅】:バラ科の落葉低木。葉は卵形で縁にぎざぎざがある。春、新葉とともに白色または淡紅色の花をつけ、赤い実を結ぶ。実は食べられる。中国の原産。庭木や鉢植えにする。郁李(いくり)。こうめ。(weblio辞書 デジタル大辞泉

「ニワウメ」 (広瀬雅敏氏撮影 weblio辞書 デジタル大辞泉より引用させていただきました。)

(注)ニワザクラ:中国北部及び中部を原産とするバラ科の落葉樹で、ニワウメの変種とされる。背丈が大きくならず、狭い庭でも育てることができるためニワザクラと呼ばれるが、ソメイヨシノなどのサクラよりも、ユスラウメやニワウメに近い雰囲気を持つ低木の一つ。

(庭木図鑑 植木ペディア)

「ニワザクラ」 (庭木図鑑 植木ペディアより引用させていただきました。)

 「はねず」を詠んだ歌四首ならびに「随心院のはねず踊り」についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1168)」で紹介している。

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―その1522―

●歌は、「磯の上に生ふる馬酔木を手折らめど見すべき君が在りと言はなくに」である。

静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P11)万葉歌碑<プレート>(大伯皇女)

●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P11)にある。

 

●歌をみていこう。

 

 この歌の「歌碑」は万葉の森公園にあり、直近のブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1511)」で紹介している。

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―その1523―

●歌は、「つぎねふ山背道を人夫の馬より行くに己夫し徒歩より行けば見るごとに音のみし泣かゆ・・・」である。

静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P12)万葉歌碑<プレート>(作者未詳)

●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P12)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆次嶺経 山背道乎 人都末乃 馬従行尓 己夫之 歩従行者 毎見 哭耳之所泣 曽許思尓 心之痛之 垂乳根乃 母之形見跡 吾持有 真十見鏡尓 蜻領巾 負並持而 馬替吾背

       (作者未詳 巻十三 三三一四)

 

≪書き下し≫つぎねふ 山背道(やましろぢ)を 人夫(ひとづま)の 馬より行くに 己夫(おのづま)し 徒歩(かち)より行けば 見るごとに 音(ね)のみし泣かゆ そこ思(おも)ふに 心し痛し たらちねの 母が形見(かたみ)と 我(わ)が持てる まそみ鏡に 蜻蛉(あきづ)領巾(ひれ) 負(お)ひ並(な)め持ちて 馬買(か)へ我(わ)が背

 

(訳)つぎねふ山背道 山背へ行くその道を、よその夫は馬でさっさと行くのに、私の夫はとぼとぼと足で行くので、そのさまを見るたびに泣けてくる。そのことを思うと心が痛む。母さんの形見として私がたいせつにしている、まそ鏡に蜻蛉(あきづ)領巾(ひれ)、これを品々に添えて負い持って行き、馬を買って下さい。あなた。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)つぎねふ 分類枕詞:地名「山城(やましろ)」にかかる。語義・かかる理由未詳。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)より 格助詞《接続》体言や体言に準ずる語に付く。①〔起点〕…から。…以来。②〔経由点〕…を通って。…を。③〔動作の手段・方法〕…で。④〔比較の基準〕…より。⑤〔範囲を限定〕…以外。…より。▽多く下に「ほか」「のち」などを伴って。⑥〔原因・理由〕…ために。…ので。…(に)よって。⑦〔即時〕…やいなや。…するとすぐに。

※参考(1)⑥⑦については、接続助詞とする説もある。(2)上代、「より」と類似の意味の格助詞に「よ」「ゆ」「ゆり」があったが、中古以降は用いられなくなり、「より」のみが残った。(学研) ここでは③の意。

(注)まそみかがみ 【真澄鏡】名詞:よく澄んで、くもりのない鏡。 ※「ますみのかがみ」の変化した語。中古以後の語で、古くは「まそかがみ」。(学研)

(注)蜻蛉(あきづ)領巾(ひれ):トンボの羽のように透き通った上等な領布上代の婦人の装身具。(学研)

 

 三三一四歌は夫を思いやる妻の健気な心が溢れており、万葉時代の物の価値を推し量る経済的な観点も織り込んだ味わい深い歌である。三三一四から三三一七歌は、問答歌である。これほどまでにお互いを思いやる夫婦愛の歌は、時空を超えて胸を打つものである。

 

三三一四から三三一七歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その326)」で紹介している。

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「つぎね」は、「ヒトリシズカ」、「フタリシズカ」と言われている。「つぎねふ」は理由は未詳であるが、「山背」にかかる枕詞とされている。漢字では「次嶺経」となっている。万葉仮名は漢字で一字一音で書かれているが、表意的に「次の嶺を越えて」と読み取れるのは、書き手の遊び心かもしれない。

「つぎね」の花に関しては、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1154)」で紹介している。

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万葉集において、このような夫婦(夫婦に準じる)愛を詠った歌は「相聞歌」では勿論「挽歌」においても数多く見られる。

いろいろ検索した中で、猪名川万葉の会で、夫婦愛を猪名川の流れに例えた歌の歌碑を立てられたとの記事があった。

歌をみてみよう。

 

題詞は、「昔者有壮士 新成婚礼也 未經幾時忽為驛使被遣遠境 公事有限會期無日 於是娘子 感慟悽愴沈臥疾▼ 累年之後壮士還来覆命既了 乃詣相視而娘子之姿容疲羸甚異言語哽咽 于時壮士哀嘆流涙裁歌口号 其歌一首」<昔、壮士(をとこ)あり。 新(あらた)しく婚礼を成す。いまだ幾時(いくだ)も経(へ)ねば、たちまちに駅使(はまゆづかひ)となりて、遠き境に遣(つか)はさえぬ。公(おほやけ)の事は限りあり、会(あ)ふ期(ご)は日なし。ここに、娘子(をとめ)、 感慟(いたみ)し悽愴(かな)しびて、疾▼ (やまひ)に沈(しづ)み臥(ふ)しぬ。年(とし)累(かさ)ねての後(のち)に、壮士還り来(きた)り、覆命(ふくめい)することすでに了(をは)りぬ。すなはち、詣(いた)りて相視(あひみ)るに、娘子の姿容(かたち)、疲羸(ひるい)せることはなはだ異(け)にして、言語哽咽(かうえつ)す。時に、壮士、哀嘆(かな)しびて涙(なみた)を流し、歌を裁(つく)りて口号(くちずさ)ぶ。 その歌一首

     ▼「疹」の「彡」が「小」である。「疾▼」で「やまひ」

(注)はゆまづかひ【駅使ひ】名詞:「はゆま」を使って旅行する公用の使者。「はゆまつかひ」とも。

(注)はゆま【駅・駅馬】名詞:奈良時代、旅行者のために街道の駅に備えてあった馬。公用の場合は駅鈴をつけた。伝馬(てんま)。 ※「はやうま(早馬)」の変化した語。(学研)

(注の注)駅使いは、急用で遣わされるのが普通。ここは何かの事情で行く先で年を経たらしい。(伊藤脚注)

(注)限りあり:自由にならぬことがあり。(伊藤脚注)

(注)覆命:お上に報告すこと。(伊藤脚注)

(注)ひるい【疲羸】[名](スル):疲れてぐったりすること。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)哽咽 動詞 :感情が激して)涙にむせぶ,喉が詰まって声が出ない(白水社 中国語辞典)

 

 

◆如是耳尓 有家流物乎 猪名川之 奥乎深目而 吾念有来

(作者未詳 巻十六 三八〇四)

 

≪書き下し≫かくのみにありけるものを猪名川(ゐながは)の奥(おき)を深めて我(あ)が思へりける

 

(訳)こんなにもやつれ果てていたものを。ああ、私はそれとも知らず、猪名川(いながわ)の深い水底のように心の底深く若く美しいそなたのことを思いつづけていたのだった。(同上)

(注)かくのみに:「かく」はやつれた妻の姿をさす。(伊藤脚注)

(注)猪名川兵庫県東部を流れる川。ここは「奥」(心の奥底)の枕詞。(伊藤脚注)

 

 

題詞は、「娘子臥聞夫君之歌従枕擧頭應聲和歌一首」<娘子(をとめ)、臥(ふ)しつつ、夫君(つま)の歌を聞き、枕(まくら)より頭(かしら)を挙(あ)げ、声に応(こた)へて和(こた)ふる歌一首>である。

 

◆烏玉之 黒髪所沾而 沫雪之 零也来座 幾許戀者

       (作者未詳 巻十六 三八〇五)

 

≪書き下し≫ぬばたまの黒髪濡(ぬ)れて沫雪(あわゆき)の降るにや来(き)ますここだ恋ふれば

 

(訳)黒髪もしとどに濡れて、粉雪の降りしきる中をお帰り下さったのですか。私がこんなにもお慕い申していたので。(同上)

(注)沫雪(あわゆき)の降るにや:沫雪が降りしきるのに。相手の黒髪に積もる雪に白髪をほのめかし、男の旅の長さを皮肉ったものか。(伊藤脚注)

(注)ここだ【幾許】副詞:①こんなにもたくさん。こうも甚だしく。▽数・量の多いようす。②たいへんに。たいそう。▽程度の甚だしいようす。 ※上代語。(学研)

 

 

左注は、「今案 此歌其夫被使既經累載而當還時雪落之冬也 因斯娘子作此沫雪之句歟」<今案(かむが)ふるに、この歌は、その夫(つま)、使はさえて、すでに載(とし)を経累(へ)ぬ。しかして、還る時に当りて、雪降る冬なり。これによりて、娘子、この沫雪の句を作るか。(同上)

(注)左注は編者の注(伊藤脚注)

 

 この妻は、聡明で気丈な面も持ち合わせている。「沫雪(あわゆき)の降るにや来(き)ますここだ恋ふれば」と釘をさし、男が「仕事だからしかたがないだろう。」と言わせない。後々も主導権は妻が握り、力関係で微妙なバランスに立つ夫婦愛となるのであろう。

 三三一四歌のようなフラットな夫婦愛とは少し異なるように思える。

 猪名川町立ふるさと館芝生広場に歌碑が建っているそうである。機会をみて訪れてみたいものである。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「庭木図鑑 植木ペディア」

★「はままつ万葉歌碑・故地マップ」 (制作 浜松市

★「猪名川町HP」