万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう(その2671)―書籍掲載歌を中軸に(Ⅱ)―

●歌は、「み吉野の像山の際の木末にはここだも騒く鳥の声かも(山部赤人 6-924)」である。

 

【象山】

 「山部赤人(巻六‐九二四)(歌は省略) 離宮址と伝えるところから吉野川を挟んで真南に見える左右の傾斜の急な山が象山(きさやま)である。東方は喜佐(きさ)谷を挟んで御船山、西方は御園(みその)上方の山との間にあるから象の中山ともよばれ、(巻一‐七〇)(歌は省略)の高市黒人(たけちのくろひと)の歌もある。吉野川の谷は渡り鳥の通路でもあって、しぜん鳥の声も多く、宮滝付近の歌にはほととぎす・呼子鳥・千鳥・鴨など、鳥の声が多くよまれている。山部赤人・・・聖武行幸のおりの作である。大きい景から小さい一焦点『木末(こぬれ)』(枝先)へと、『の』の音でかさねてしぼっていってそこにたくさんに騒いでいる鳥の声を描く。そのしぼってゆく呼吸に応じて、作者の心も自然の静寂の中に歩一歩ひそまってゆくようで、そのはてに四三・三四音の律動にのって描かれてゆく鳥の声に、作者の心はもう自然の中にとけこんでいって、大自然の鼓動(こどう)をじかにきいているようである。こんにちこの歌一首でも自然詠の絶唱としてたたえられるに値するが、作者としては長歌(巻六‐九二三)で人麻呂の宮ぼめの歌の伝統をふんで、とくに山と川をよりどころにして、観念的に宮ぼめの気持をうち出せば、反歌では逆に現実的写実的にこの象山の歌と次の吉野川の歌(九二五)とで長歌に対応させているわけで、まったくコンポジションを中心にした旺盛な創作意識による美の構造をもとにしているといえる。行幸供奉に際してこうした純自然の歌を見るのも、人麻呂のころとちがって、時代は移った感が深い。」(「万葉の旅 上 大和」 犬養 孝 著 平凡社ライブラリーより)

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 九二三~九二五歌をみていこう。

■■巻六 九二三~九二五歌■■

題詞は、「山部宿祢赤人作歌二首幷短歌」<山部宿禰赤人が作る歌二首 幷(あは)せて短歌>である。

(注)二首:前の群は離宮讃美、後の群は天皇讃美。(伊藤脚注)

(注の注)前の群:九二三~九二五、後の群:九二六九二七

 

■巻六 九二三歌■

◆八隅知之 和期大王乃 高知為 芳野宮者 立名附 青垣隠 河次乃 清河内曽 春部者 花咲乎遠里 秋去者 霧立渡 其山之 弥益ゝ尓 此河之 絶事無 百石木能 大宮人者 常将通

        (山部赤人 巻六 九二三)

 

≪書き下し≫やすみしし 我(わ)が大君(おほきみ)の 高知(たかし)らす 吉野の宮は たたなづく 青垣隠(おをかきごも)り 川なみの 清き河内(かふち)ぞ 春へは 花咲きををり 秋されば 霧立ちわたる その山の いやしくしくに この川は 絶ゆることなく ももしきの 大宮人は 常に通はむ

 

(訳)あまねく天下を支配されるわれらの大君が高々とお造りになった吉野の宮、この宮は、幾重にも重なる青い垣のような山々に囲まれ、川の流れの清らかな河内である。春の頃には山に花が枝もたわわに咲き乱れ、秋ともなれば川面一面に霧が立ちわたる。その山の幾重にも重なるように幾度(いくたび)も幾度も、この川の流れの絶えぬように絶えることなく、大君に仕える大宮人はいつの世にも変わることなくここに通うことであろう。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)たかしらす 【高知らす】分類連語:立派に造り営みなさる。 ⇒なりたち:動詞「たかしる」の未然形+上代の尊敬の助動詞「す」(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)たたなづく【畳なづく】分類枕詞:①幾重にも重なっている意で、「青垣」「青垣山」にかかる。②「柔肌(にきはだ)」にかかる。かかる理由は未詳。 ⇒参考:(1)①②ともに枕詞(まくらことば)ではなく、普通の動詞とみる説もある。(2)②の歌は、「柔肌」にかかる『万葉集』唯一の例。(学研)ここでは①の意

(注)こもる【籠る・隠る】自動詞:①入る。囲まれている。包まれている。②閉じこもる。引きこもる。③隠れる。ひそむ。④寺社に泊りこむ。参籠(さんろう)する。(学研)ここでは①の意

(注)かはなみ【川並み・川次】名詞:川の流れのようす。川筋。(学研)

(注)ををり【撓り】名詞:花がたくさん咲くなどして、枝がたわみ曲がること。(学研)

(注)いやしくしくに【弥頻く頻くに】副詞:ますますひんぱんに。いよいよしきりに。(学研)

 

 

 

■巻六 九二四歌■

◆三吉野乃 象山際乃 木末尓波 幾許毛散和口 鳥之聲可聞

        (山部赤人 巻六 九二四)

 

≪書き下し≫み吉野の象山(さきやま)の際(ま)の木末(こぬれ)にはここだも騒(さわ)く鳥の声かも

 

(訳)み吉野の象山の谷あいの梢(こずえ)では、ああ、こんなにもたくさんの鳥が鳴き騒いでいる。(同上)

(注)象山 分類地名:歌枕(うたまくら)。今の奈良県吉野郡吉野町にある山。吉野離宮があった宮滝の対岸にそびえる。(学研)

(注)ここだ【幾許】:こんなにもたくさん。こうも甚だしく。(數・量の多い様子)                 (学研)

 

 

 

■巻六 九二五歌■

◆烏玉之 夜乃深去者 久木生留 清河原尓 知鳥數鳴

       (山部赤人 巻六 九二五)

 

≪書き下し≫ぬばたまの夜(よ)の更けゆけば久木(ひさぎ)生(お)ふる清き川原(かはら)に千鳥(ちどり)しば鳴く

 

 

(訳)ぬばたまの夜が更けていくにつれて、久木の生い茂る清らかなこの川原で、千鳥がちち、ちちと鳴き立てている。(同上)

(注)ひさぎ【楸・久木】名詞:木の名。あかめがしわ。一説に、きささげ。(学研)

 

 九二三~九二五歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その125改)」で、九二六~九二七歌(後の群)とともに紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 

 

吉野町喜佐谷 桜木神社万葉歌碑(山部赤人 6-924) 2020924撮影

 

 

 

 

桜木神社境内と万葉歌碑 200924撮影

 

 

 

「桜木神社」説明案内板 20200924撮影



 

 

 

 巻一 七〇歌もみてみよう。

■巻一 七〇歌■

題詞は、「太上天皇幸于吉野宮時高市連黒人作歌」<太上天皇、吉野の宮に幸(いでま)す時に、高市連黒人(たけちのむらじくろひと)が作る歌>である。

(注)幸す時:大宝元年(七〇一)二月の文武天皇行幸に従ったものか。(伊藤脚注)

 

◆倭尓者 鳴而歟来良武 呼兒鳥 象乃中山 呼曽越奈流

       (高市黒人 巻一 七〇)

 

≪書き下し≫大和(やまと)には鳴きてか来(く)らむ呼子鳥(よぶこどり)象(きさ)の中山呼びぞ越ゆなる

 

(訳)故郷大和には、今はもう来て鳴いていることであろうか。ここ吉野では、呼子鳥が、象の中山を、妻を呼び立てながら飛び越している。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)よぶこどり 【呼子鳥・喚子鳥】名詞:鳥の名。人を呼ぶような声で鳴く鳥。かっこうの別名か。「古今伝授(こきんでんじゆ)」で、「稲負鳥(いなおほせどり)」「百千鳥(ももちどり)」とともに三鳥の一つ。(学研)

(注)象の中山:象山。「中山」は中間の山。(伊藤脚注)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉の旅 上 大和」 犬養 孝 著 (平凡社ライブラリー

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」