万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その125改)―奈良県橿原市南浦町万葉の森―万葉集 巻六 九二五

●歌は、「ぬばたまの夜の更けゆけば久木生ふる清き川原に千鳥しば鳴く」である。

 

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奈良県橿原市南浦町万葉の森万葉歌碑(山部赤人

●歌碑は、奈良県橿原市南浦町万葉の森にある。万葉の森第5弾である。

 

●歌をみていこう。 

 

◆烏玉之 夜乃深去者 久木生留 清河原尓 知鳥數鳴

               (山部赤人 巻六 九二五)

 

≪書き下し≫ぬばたまの夜(よ)の更けゆけば久木(ひさぎ)生(お)ふる清き川原(かはら)に千鳥(ちどり)しば鳴く

 

(訳)ぬばたまの夜が更けていくにつれて、久木の生い茂る清らかなこの川原で、千鳥がちち、ちちと鳴き立てている。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)ひさぎ:植物の名。キササゲ、またはアカメガシワというが未詳。(コトバンク デジタル大辞泉

 

 この歌は、題詞「山部宿祢赤人作歌二首幷短歌」のなかの前群の反歌二首のうちの一首である。前群は吉野の宮を讃える長歌反歌二首であり、後群は天皇を讃える長歌反歌一首という構成をなしている。

 

前群の歌の長歌ともう一首の反歌からみていこう。

 

◆八隅知之 和期大王乃 高知為 芳野宮者 立名附 青垣隠 河次乃 清河内曽 春部者 花咲乎遠里 秋去者 霧立渡 其山之 弥益ゝ尓 此河之 絶事無 百石木能 大宮人者 常将通

                (山部赤人 巻六 九二三)

 

≪書き下し≫やすみしし 我(わ)が大君(おほきみ)の 高知(たかし)らす 吉野の宮は たたなづく 青垣隠(おをかきごも)り 川なみの 清き河内(かふち)ぞ 春へは 花咲きををり 秋されば 霧立ちわたる その山の いやしくしくに この川は 絶ゆることなく ももしきの 大宮人は 常に通はむ

 

(訳)あまねく天下を支配されるわれらの大君が高々とお造りになった吉野の宮、この宮は、幾重にも重なる青い垣のような山々に囲まれ、川の流れの清らかな河内である。春の頃には山に花が枝もたわわに咲き乱れ、秋ともなれば川面一面に霧が立ちわたる。その山の幾重にも重なるように幾度(いくたび)も幾度も、この川の流れの絶えぬように絶えることなく、大君に仕える大宮人はいつの世にも変わることなくここに通うことであろう。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)たかしらす【高知らす】:立派に造り営みなさる。

            (コトバンク 学研全訳古語辞典)

(注)たたなづく【畳なづく】分類枕詞 幾重にも重なっている意で、

      「青垣」「青垣山」にかかる。(コトバンク 学研全訳古語辞典)

(注)こもる【隠る】:包まれる。囲まれる。

(注)かわなみ【川並】:川のたたづまい。(コトバンク 大辞林第3版)

(注)いやしくしくに:[副]いよいよしきりに。(コトバンク デジタル大辞泉

 

 

◆三吉野乃 象山際乃 木末尓波 幾許毛散和口 鳥之聲可聞

                  (山部赤人 巻六 九二四)

 

≪書き下し≫み吉野の象山(さきやま)の際(ま)の木末(こぬれ)にはここだも騒(さわ)く鳥の声かも

 

(訳)み吉野の象山の谷あいの梢(こずえ)では、ああ、こんなにもたくさんの鳥が鳴き騒いでいる。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

 (注)ここだ【幾許】:こんなにもたくさん。こうも甚だしく。(數・量の多い様子)

                  (weblio古語辞書)

 

 万葉集の歌を鑑賞するというが、犬養 孝氏が「万葉の人びと」(新潮文庫)に次のように書かれているが、感銘深いものがある。

「赤人は、長歌と短歌で一つの有機的な美のポジションを考えているわけです。だから長歌では、春、秋、山、川と観念的に吉野の自然景観のすばらしさを言っているのです。だから、反歌では現実的な、あまりに現実的な、写実的な姿勢で描くわけです。それで、第一反歌は、(中略)山のことを詠んでいます。というのは長歌は山と川なんですから。そして第二反歌は、川です。(中略)これで、長歌反歌で釣り合いをとっている。観念的なものと、写実的、現実的なもの。そして。長歌が山と川をいっしょにしているから、第一反歌では山、第二反歌では川を詠んでバランスをたもっているわけです。こういうふうに、きわめて美の創作意識の旺盛なのが、山部赤人です。」

 

 

次に後群の長歌反歌をみていこう。

 

◆安見知之 和期大王波 見吉野乃 飽津之小野笶 野上者 跡見居置而 御山者 射目立渡 朝獦尓 十六履起之 夕狩尓 十里踏立 馬並而 御狩曽立為 春之茂野尓

                 (山部赤人 巻六 九二六)

 

≪書き下し≫やすみしし 我(わ)ご大君(おほきみ)は み吉野の 秋津(あきづ)の小野(をの)の 野の上(へ)には 跡見(とみ)据(す)ゑ置きて み山には 射目(いめ)立て渡し 朝狩(あさかり)に 鹿猪(しし)踏(ふ)み起(おこ)し 夕狩(ゆふがり)に 鳥踏み立て 馬並(な)めて 御狩(みかり)ぞ立たす 春の茂野(しげの)に

 

(訳)安らかに天下を支配されるわれらの大君は、み吉野の秋津(あきづ)の小野の、野あたりには跡見(とみ)をいっぱい配置し、み山には射目(いめ)を一面に設け、朝(あした)の狩りには鹿や猪を追い立て、夕(ゆうべ)の狩には鳥を踏み立たせ、馬を並べて狩場にお出ましになる。春の草深い野に。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)とみ【跡見】:狩猟のとき、鳥や獣の通った跡を見つけて、その行方を推しはかること。また、その役の人。(Weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)いめ【射目】:狩りをするとき、弓を射る人が隠れるところ。◆上代語。(Weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)踏み起こす、踏み立てる:獲物の潜んでいるようなところに踏み込んで追い立てる

 

 

反歌一首

◆足引之 山毛野毛 御獦人 得物矢手挟 散動而有所見

              (山部赤人 巻六 九二八)

 

≪書き下し≫あしひきの山にも野にも御狩人(みかりひと)さつ(さつ)矢手挾(たばさ)み散(さ)動(わ)きてあり見ゆ

 

〈訳〉あしひきの山にも野にも、大君の御狩に仕える人たちが、幸矢(さつや)を手

挟み持って駆けまわっているのが見える。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)さつや【猟矢】:獲物を得るための矢。

 

 左注は、「右不審先後但以便故載於此次」<右は、先後を審(つばひ)らかにせず。ただし、便(たより)をもちての故(ゆえ)に、この次(つぎ)に載(の)す。>

 

山部赤人は、万葉集に四十九首収録されている。犬養 孝氏は「万葉の人びと」(新潮文庫)の中で、山部赤人は、「今日の言葉でいえば最も創作意識の旺盛な人といえるでしょう。美の創作意識といったらいいかも知れません。しかも、自然にぶつかった時に情熱を感じる。」と書いておられる。こういった視点から歌をみていくことも教えられた。

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉の人びと」 犬養 孝 著 (新潮文庫

★「かしはら探訪ナビ」(橿原市HP)

★「Weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio古語辞書」

★「コトバンク デジタル大辞泉

★「コトバンク 大辞林第3版」

★「コトバンク 学研全訳古語辞典」

 

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