万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その916)―太宰府市石坂 九州国立博物館―万葉集 巻四 五七四

●歌は、「ここにありて筑紫やいづち白雲のたなびく山の方にしあるらし」である。

 

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九州国立博物館万葉歌碑(大伴旅人

●歌碑は、太宰府市石坂 九州国立博物館にある。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「大納言大伴卿和歌二首」<大納言大伴卿が和(こた)ふる歌二首>である。

 

◆此間在而 筑紫也何處 白雲乃 棚引山之 方西有良思

                (大伴旅人 巻四 五七四)

 

≪書き下し≫ここありて筑紫(つくし)やいづち白雲のたなびく山の方(かた)にしあるらし

 

(訳)ここ奈良から見て筑紫はどの方向になるだろう。白雲のたなびく遥(はる)か彼方であるらしい。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より

(注)いづち【何方・何処】代名詞:どこ。どの方向。 ▽方向・場所についていう不定称の指示代名詞。 ※「ち」は方向・場所を表す接尾語。⇒いづかた・いづこ・いづら・いづれweblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

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歌の解説案内板

 

 

 もう一首五七五歌もみてみよう。

 

草香江之 入江二求食 蘆鶴乃 痛多豆多頭思 友無二指天

                (大伴旅人 巻四 五七五)

 

≪書き下し≫草香江(くさかえ)の入江にあさる葦鶴(あしたづ)のあなたづたづし友なしにして

 

(訳)草香の入江には餌(え)をあさる葦鶴の姿が見えるが、ああ、たずたずしく心もとないことだ。ともに語りあえる友もいなくて。(同上)

(注)上三句は序。同音で「たづたづし」を起こす。

(注)たづたづし>たどたどし 形容詞:①心もとない。おぼつかない。はっきりしない。②あぶなっかしい。たどたどしい。

(注)あな 感動詞:ああ。あれ。まあ。(学研)

 

 

 この二首は、沙弥満誓(さみまんぜい)が旅人に贈った歌に和(こた)えた歌である。

 満誓の二首をみてみよう。

 

 題詞は、「大宰帥大伴卿上京之後沙弥満誓贈卿歌二首」<大宰帥大伴卿の京に上りし後に、沙弥満誓、卿に贈る歌二首>である。

 

◆真十鏡 見不飽君尓 所贈哉 旦夕尓 左備乍将居

                (沙弥満誓 巻四 五七二)

 

≪書き下し≫まそ鏡見飽(みあ)かぬ君に後(おく)れてや朝(あした)夕(ゆうへ)にさびつつ居(を)らむ

 

(訳)いくらお逢(あ)いしても見飽きることのない君に取り残されて、何ともまあ不思議なほど、朝に夕にさびしい気持ちを抱き続けていることでございます。(同上)

(注)まそかがみ【真澄鏡】分類枕詞:鏡の性質・使い方などから、「見る」「清し」「照る」「磨(と)ぐ」「掛く」「向かふ」「蓋(ふた)」「床(とこ)」「面影(おもかげ)」「影」などに、「見る」ことから「み」を含む地名「敏馬(みぬめ)」「南淵山(みなぶちやま)」にかかる。(学研)

(注)さぶ【荒ぶ・寂ぶ】自動詞:荒れた気持ちになる。(学研)

 

 

◆野干玉之 黒髪變 白髪手裳 痛戀庭 相時有来

              (沙弥満誓 巻四 五七三)

 

≪書き下し≫ぬばたまの黒髪変り白けても痛き恋には逢(あ)ふ時ありけり

 

(訳)黒髪が変わって真っ白になる年になっても、こんなに恋にさいなまれることもあるものなのですね。(同上)

 

 五七二、五七三歌は、女の恋歌のような歌に仕立てている。

 旅人の五七四歌は、満誓の五七二歌に応じて、遥か彼方にいる友を思いやっている。五七五歌は、旅人に置き去りにされた悲しみを述べる滿誓の五七三歌に応じている。

 

 草香江については、レファレンス協同データベースに、「くさか‐え【草香江・日下江】-日本国語大辞典大阪府東大阪市日下(くさか)町の古地名。古くは大和川・淀川の合流点にあたり、入り江となっていた。また、古くは入り江であった福岡市中央区草香江付近の古地名ともいわれる今の福岡市中央区草香江という地名がある。」と書かれている。

 このことからも、「草香江」は、都と大宰府を結ぶ意図から使われていたと考えられる。

また、草香江の葦鶴が詠まれていることについて、大久保廣行氏は、「大伴旅人―人と作品」(中西 進 編 祥伝社新書)のなかで、「草香江が難波(なにわ)から大和へ入る経路に当たるばかりでなく、大伴氏の本貫が摂津(せっつ)・和泉(いずみ)地方(現・大阪府南部)の沿岸地域であったことと無関係ではないだろう。そこでの特徴的な風物が葦鶴なのだが、これもまた、“人に恋ふる鳥”(巻六 九六一)として、愛する人と離れて孤独の寂しさをかき立てる鳥であった。」と書かれている。

 

 九六一歌をみてみよう。

 

◆湯原尓 鳴蘆多頭者 如吾 妹尓戀哉 時不定

               (大伴旅人 巻六 九六一)

 

≪書き下し≫湯の原に鳴く葦鶴(あしたづ)は我(あ)がごとく妹(いも)に恋ふれや時わかず鳴く

 

(訳)湯の原に鳴く葦鶴(あしたづ)は、私のように妻に恋い焦がれているのであろうか、私ほどではなかろうに、時も定めず鳴き立てている。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)あしたづ【葦鶴】名詞:鶴(つる)。▽葦の生えている水辺によくいるところから。「たづ」は歌語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)こふ【恋ふ】他動詞:心が引かれる。慕い思う。なつかしく思う。(異性を)恋い慕う。恋する。 ⇒注意 「恋ふ」対象は人だけでなく、物や場所・時の場合もある。(学研)

(注)ときわかず【時分かず】分類連語:四季の別がない。いつと決まっていない。時を選ばない。⇒なりたち 名詞「とき」+四段動詞「わく」の未然形+打消の助動詞「ず」(学研)

(注)や 係助詞:《接続》文末に用いられる場合は活用語の終止形・已然形に付く。

文末にある場合:①〔疑問〕…か。②〔問いかけ〕…か。③〔反語〕…(だろう)か、いや、…ない。(学研)

 

旅人は、神亀五年(728年)四月の初旬に妻を亡くしている。

 

この歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その895)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 

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九州国立博物館


 

 九州国立博物館は、「東京国立博物館京都国立博物館奈良国立博物館に次いで108年ぶりに新設された国内4番目の国立博物館。平成17年10月16日に太宰府天満宮裏の丘陵地に開館した。(中略)規模としても国立博物館最大である。他の国立博物館が美術系であるのに対し、同博物館は九州がアジアと深い関係を持っていることから『日本文化の成り立ちをアジア史的観点から捉える博物館』をコンセプトに、旧石器時代から徳川後期までの日本文化の形成について展示している。いわゆる歴史系博物館である。(後略)」(福岡県観光情報公式サイト「クロスロードふくおか」より)

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「大伴旅人―人と作品」 中西 進 編 (祥伝社新書)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「クロスロードふくおか」 (福岡県観光情報公式サイト)

★「太宰府万葉歌碑めぐり」 (太宰府市