●歌は、「忘れ草我が紐に付く香具山の古りにし里を忘れむがため」である。
●歌碑は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(17)にある。
●歌をみていこう。
◆萱草 吾紐二付 香具山乃 故去之里乎 忘之為
(大伴旅人 巻三 三三四)
≪書き下し≫忘れ草我(わ)が紐(ひも)に付く香具山の古りにし里を忘れむがため
(訳)忘れ草、憂いを忘れるこの草を私の下紐に付けました。香具山のあのふるさと明日香の里を、いっそのこと忘れてしまうために。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)わすれぐさ【忘れ草】名詞:草の名。かんぞう(萱草)の別名。身につけると心の憂さを忘れると考えられていたところから、恋の苦しみを忘れるため、下着の紐(ひも)に付けたり、また、垣根に植えたりした。歌でも恋に関連して詠まれることが多い。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)ふる【旧る・古る】自動詞:①年月がたつ。年月が過ぎる。年月を過ごす。②年をとる。老いる。③古びる。ありふれる。(学研)
(注)にし 分類連語:…てしまった。 ⇒なりたち 完了の助動詞「ぬ」の連用形+過去の助動詞「き」の連体形(学研)
この歌を含む三三一から三三五歌の題詞は、「帥大伴卿歌五首」<帥大伴卿(そちのおほとものまへつきみ)が歌五首>である。
この歌群については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その905)」で紹介している。
「その905」では、大伴家持が、坂上大嬢に贈った「忘れ草我(わ)が下紐(したひも)に付けたれど醜(しこ)の醜草(しこくさ)言(こと)にしありけり」(巻四 七二七)についても紹介している。
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忘れ草を詠った歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その334)」で紹介している。
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忘れたいが故にあてにする「忘れ貝」や「恋忘れ貝」を詠った歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その740)」で紹介している。
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大伴旅人の父は、安麻呂である。安麻呂は、佐保大納言と呼ばれていたのは、平城京の佐保(奈良市法蓮町あたり)に住んでいたからである。
(注)「佐保大納言」という呼び名は、大伴坂上郎女の題詞「大伴郎女が和(こた)ふる歌四首」(巻四 五二五から五二八歌)の左注に、郎女について、「右、郎女は佐保大納言卿(さほのだいなごんおまへつきみ)が女(むすめ)なり・・・」とある。
五二五から五二八歌ならびに左注については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その6改)」で紹介している。(初期のブログであるのでタイトル写真には朝食の写真が掲載されていますが、「改」では、朝食の写真ならびに関連記事を削除し、一部改訂しております。ご容赦下さい、)
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三三四歌に「香具山乃 故去之里乎」とある。「佐保」ではなく「香具山乃 故去之里」なのである。安麻呂の歌とともに探っていこう。
三首については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その900)」で紹介している。
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「その900」でも紹介しているが。安麻呂は、壬申の乱の時、大海人(後の天武天皇)側について功績をあげた記録が『日本書紀』にあるといわれている。
安麻呂の妻は、「近江朝(あふみのみかど)の大納言巨勢人卿(こせのひとのまへつきみ)の女(むすめ)なり」とあり、近江朝廷側の重臣の娘であった。娘であるが、壬申の乱で功をあげた安麻呂の妻であることから、巨勢人一族が罪に問われ流刑になったとしても、影響はなかったものと考えられる。
安麻呂は、おそらく明日香近辺に住いしていたと考えられる。
平山城児氏は、「大伴旅人―人と作品(中西 進 編 祥伝社)」の中で、「安麻呂の父親長徳(ながとこ)も歴とした律令官人であったから、その時々の都(みやこ)からそれほど離れた所に住んでいたわけではなかろう。天智称制(しょうせい)元年(662年)から四年へかけては、大規模な朝鮮出兵とそれに続く敗戦、間人(はしひと)大后の薨去(こうきょ)など、内憂外患(ないゆうがいかん)ただならぬ時代であったが、政治の中心地は後飛鳥岡本宮(ごあすかおかもとのみや)であり、安麻呂の住いも明日香近辺だったはずである。」と書かれている。
旅人(当時八歳と推定されている)にとって、「壬申の乱」という歴史の大変動を目の当たりにしたその衝撃はいかほどのことであっただろうか。
「忘れ草我(わ)が紐(ひも)に付」けたのは、「香具山の古りにし里を忘れむがため」と詠わしめるほどの衝撃を体験していたからであると考えられる。
万葉集の歌という扉を開けると、そこには壮大な歴史ドラマが展開しているのが見て取れる。このブログを書き始めて三年であるが、まだまだ日々新しい発見がある。
なによりも万葉の時代に誘ってくれる四五一六枚のパスポートが万葉集には収集されているのである。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「大伴家持 波乱にみちた万葉歌人の生涯」 藤井一二 著 (中公新書)
★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」