万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1632、1633)―福山市鞆町 対潮楼石垣下、同町 歴史民俗資料館―万葉集 巻三 四四七、四四八

―その1632―

●歌は、「我妹子が見し鞆の浦のむろの木は常世にあれど見し人ぞなき」である。

福山市鞆町 対潮楼石垣下 万葉歌碑(大伴旅人

●歌碑は、福山市鞆町 対潮楼石垣下にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆吾妹子之 見師鞆浦之 天木香樹者 常世有跡 見之人曽奈吉

      (大伴旅人 巻三 四四六)

 

≪書き下し≫我妹子(わぎもこ)が見し鞆(とも)の浦のむろの木は常世(とこよ)にあれど見し人ぞなき

 

(訳)いとしいあの子が行きに目にした鞆の浦のむろの木は、今もそのまま変わらずにあるが、これを見た人はもはやここにはいない。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)鞆の浦広島県福山市鞆町の海岸。

(注)むろのき【室の木・杜松】分類連語:木の名。杜松(ねず)の古い呼び名。海岸に多く生える。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

歌碑と歌の解説案内板

題詞は、「天平二年庚午冬十二月大宰帥大伴卿向京上道之時作歌五首」<天平二年庚午(かのえうま)の冬の十二月に、大宰帥(だざいのそち)大伴卿(おほとものまへつきみ)、京に向ひて道に上る時に作る歌五首>である。四四六から四五〇歌までであり、四四六から四四八歌の三首の左注が、「右三首過鞆浦日作歌」<右の三首は、鞆の浦を過ぐる日に作る歌>である。

 

鞆対潮楼(ともたいちょうろう)については、広島県HP「ひろしま文化大百科」に「対潮楼は、古代から風待ち・潮待ちの港として栄えた鞆港近くにある真言宗福禅寺の客殿である。当時の開山は空也といい、永禄年中(1558~1570)に火災にあったので、慶長15年(1610)に尊栄が再興したと伝える。

 江戸時代を通じて、朝鮮信使(正使・福使・従事官)は好んで宿所とした。「対潮楼」の名は、寛延元年(1748)に使節の正使洪啓禧が命名し、その息子洪景海にその字を書かせた。この時の書をもとに作成された木額が今日に残っている。

 対潮楼から眺めた鞆の海の景色は素晴らしく、各使節はともども称賛した。正徳(しょうとく)元年(1711)の使節団は、『日東第一形勝』と賞しており、従事官李邦彦の書が額として保存されている。当寺には、この他にも、通信使たちの残した文物が多い。

 桁行(けたゆき)六間半・梁間(はりま)六間・一重・入母屋造り・本瓦葺きで、本殿に接している。かつては、海に臨む高台に位置していたが、海が相次いで埋め立てられ、石垣の外側を回るように車道が走っており、景観がかなり変わっている。県史跡。」と書かれている。

福禅寺対潮楼説明案内板

 福山市は「ばらのまち」と呼ばれているが、ここ対潮楼の石垣に下も小さなバラ園になっている。

 

 

■沼名前神社⇒福禅寺対潮楼

 次は鞆の浦である。

観光駐車場に車を停める。駐車場近くの福禅寺対潮楼の石垣下に歌碑が建てられていた。

石垣下バラ園と歌碑

 

 

 

―その1633―

●歌は、「鞆の浦の磯のむろの木見むごとに相見し妹は忘れえめや」である。

福山市鞆町 歴史民俗資料館 万葉歌碑(大伴旅人

●歌碑は、福山市鞆町 歴史民俗資料館にある。

 

●歌をみてみよう。

 

◆鞆浦之 磯之室木 将見毎 相見之妹者 将所忘八方

      (大伴旅人 巻三 四四七)

 

≪書き下し≫鞆の浦の磯のむろの木見むごとに相見し妹は忘らえめやも

 

(訳)鞆の浦の海辺の岩の上に生えているむろの木。この木をこれから先も見ることがあればそのたびごとに、行く時に共に見たあの子のことが思い出されて、とても忘れられないだろうよ。(同上)

 

 この四四六、四四七歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その508)」で紹介している。

 ➡ こちら508

 

 

 

■福禅寺対潮楼⇒福山市鞆の浦歴史民俗資料館

 観光地図によると対潮楼から歴史民俗資料館まで10分程度の距離である。地図は平面である。これが失敗のもとであった。実際に歩いてみると、何と急な上り坂であることか。ここまできたら上らざるをえない。腰の悪い家内の手を引っ張り、休み休みののろのろ歩きである。事前調査不足を悔やみながら・・・・

 ようやく30分ほどして資料館に到着。対潮楼から観光駐車場まで引き返し車で来たらどれほど楽であっただろうか。

 歌碑は資料館前の見晴らしの良いところに建てられていた。景色に癒される。

 

 帰りは、今上って来た道でなく町並みが見えている方向に下りて行くことにした。

 急がば廻れとは良く言ったものである。

この帰りがまた急な下り坂で不規則な石段である。歌碑巡りはやはり体力勝負の世界である。

 街中でゴルフカートのような観光タクシーが目につく。後で調べて分かったのだが、全国初めての緑ナンバーの電気自動車(グリーンスローモビリティ)である。

 ああ、このような移動手段もあったのだと・・・

やっとの思いで観光駐車場に戻ったが、帰宅の時間を考え、ここで歌碑巡りは終了とする。あと3箇所は見て周る予定にしていたが、いずれ機会をみてということで、後ろ髪を引かれながら帰路に着いたのであった。

鞆の浦の碑

 歩道沿いやプチパーク他、いたるところのバラの花には癒されたのである。

福山SAにて



 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「ひろしま文化大百科」 (広島県HP)