万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その672,673,674)―加古郡稲美町 稲美中央公園万葉の森―万葉集 巻八 一五三八、巻二十 四三二三、巻四 四九六、巻

―その672―

●歌は、「萩の花尾花葛花なでしこの花をみなへしまた藤袴朝顔の花」である。

 

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稲美町 稲美中央公園万葉の森万葉歌碑(山上憶良

●歌碑は、加古郡稲美町 稲美中央公園万葉の森にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆芽之花 乎花葛花 瞿麦之花 姫部志 又藤袴 朝顔之花

                 (山上憶良 巻八 一五三八)

      ※顔と書いているが、白の下に八であるが、漢字が見当たらなかったため

 

≪書き下し≫萩の花 尾花(をばな) 葛花(くずはな) なでしこの花 をみなへし また藤袴(ふぢはかま) 朝顔の花

 

(訳)一つ萩の花、二つ尾花、三つに葛の花、四つになでしこの花、うんさよう、五つにおみなえし。ほら、それにまだあるぞ、六つ藤袴、七つ朝顔の花。うんさよう、これが秋の七種の花なのさ。(伊藤 博著「萬葉集 二」角川ソフィア文庫より)

 

フジバカマについては、「みんなの趣味の園芸NHK出版HP)」に次のように書かれている。

「『秋の七草」の一つで、万葉の時代から人々に親しまれてきた植物です。夏の終わりから秋の初め、茎の先端に直径5mmほどの小さな花を、長さ10cm前後の房状に多数咲かせます。川沿いの湿った草原やまばらな林に見られ、まっすぐに伸びる茎に、3裂する葉が対になってつきます。地下茎が大量に伸びて猛烈な勢いで広がるため、自生地では密生した群落になるのが普通ですが、現在の日本には自生に適した環境が少なくなったため激減し、絶滅危惧種となっています。フジバカマの名で市販されているものの多くは、サワフジバカマ(フジバカマとサワヒヨドリの雑種)です。

生乾きの茎葉にクマリンの香り(桜餅の葉の香り)があり、中国では古く芳香剤として利用されました。また、『論語』にある『蘭』はフジバカマを指します。しかし後世、蘭がシナシュンランなど花に香りのある温帯性シンビジウム属の種を指すようになったため、現在の中国では、フジバカマは『蘭草』とされています。」

「フジバカマ」が詠われているのは万葉集ではこの一首だけである。

 この歌ならびに一五三七歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その61改、62改)で紹介している。(初期のブログであるのでタイトル写真には朝食の写真が掲載されていますが、「改」では、朝食の写真ならびに関連記事を削除し、一部改訂しております。 ご容赦下さい。)

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tom101010.hatenablog.com

 

―その673―

●歌は、「時々の花は咲けども何すれど母とふ花の咲き出来ずけむ」である。

 

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稲美町 稲美中央公園万葉の森万葉歌碑(丈部真麻呂

●歌碑は、加古郡稲美町 稲美中央公園万葉の森にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆等伎騰吉乃 波奈波佐家登母 奈尓須礼曽 波ゝ登布波奈乃 佐吉泥己受祁牟

               (丈部真麻呂 巻二十 四三二三)

 

≪書き下し≫時々(ときどき)の花は咲けども何すれぞ母(はは)とふ花の咲き出来(でこ)ずけむ

 

(訳)四季折々の花は咲くけれど、何でまあ、これまで母という花が咲き出てこなかったのであろう。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

 

母が花であったらささげて行くのに、花ではないので、別れて、ひとりで任地に行くしかないという悲痛な気持ちを詠っいるのである。

この気持ちを詠った歌が、四三二五歌にあるので、こちらもみてみよう。

 

◆知ゝ波ゝ母 波奈尓母我毛夜 久佐麻久良 多妣波由久等母 佐ゝ己弖由加牟

                (丈部黒當 巻二十 四三二五)

 

≪書き下し≫父母(ちちはは)も花にもがもや草枕旅は行くとも捧(ささ)ごて行かむ

 

(訳)父さん母さんがせめて花ででもあってくれればよい。そしたら草を枕の旅なんかに行くにしても、捧げ持って行こうものを。(同上)

 

 左注は、「右一首防人山名郡丈部真麻呂」<右の一首は防人、山名(やまな)の郡(こほり)の丈部真麻呂(はせべのままろ)>である。

 

歌碑には、アミガサユリ(バイモ)と書かれているが、中国でも薬用として栽培されたのが約七〇〇年前といわれ、日本に輸入されたのは三〇〇年ほど前といわれる。

 「母という花」という気持ちを素直に受け止めたい。

 

                           

―その674―

●歌は、「み熊野の浦の浜木綿百重なす心は思へど直に逢はぬかも」である。

 

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稲美町 稲美中央公園万葉の森万葉歌碑(柿本人麻呂

●歌碑は、加古郡稲美町 稲美中央公園万葉の森にある。

 

●歌をみていこう。

題詞は、「柿本朝臣人麻呂歌四首」<柿本朝臣人麻呂が歌四首>である。

 

◆三熊野之 浦乃濱木綿 百重成 心者雖念 直不相鴨

               (柿本人麻呂 巻四 四九六)

 

≪書き下し≫み熊野の浦の浜木綿(はまゆふ)百重(ももへ)なす心は思(も)へど直(ただ)に逢はぬかも

 

(訳)み熊野(くまの)の浦べの浜木綿(はまゆう)の葉が幾重にも重なっているように、心にはあなたのことを幾重にも思っているけれど、じかには逢うことができません。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)み熊野の浦:紀伊半島南部一帯。「み」は美称。

(注)はまゆふ【浜木綿】名詞:浜辺に生える草の名。はまおもとの別名。歌では、葉が幾重にも重なることから「百重(ももへ)」「幾重(いくかさ)ね」などを導く序詞(じよことば)を構成し、また、幾重もの葉が茎を包み隠していることから、幾重にも隔てるもののたとえともされる。よく、熊野(くまの)の景物として詠み込まれる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)上三句は「心は思へど」の譬喩

 

「浜木綿」を詠んだ歌は、万葉集ではこの一首のみである。

 

 続く三首もみてみよう。

 

◆古尓 有兼人毛 如吾歟 妹尓戀乍 宿不勝家牟

               (柿本人麻呂 巻四 四九七)

 

≪書き下し≫いにしへにありけむ人も我(あ)がごとか妹(いも)に恋ひつつ寐寝(いね)かてずけむ

 

(訳)いにしえ、この世にいた人も、私のように妻恋しさに夜も眠れぬつらさを味わったことであろうか。(同上)

(注)かてぬ 分類連語:…できない。…しにくい。 ※なりたち補助動詞「かつ」の未然形+打消の助動詞「ず」の連体形

 

◆今耳之 行事庭不有 古 人曽益而 哭左倍鳴四

               (柿本人麻呂 巻四 四七八)

 

≪書き下し≫今のみのわざにはあらずいにしへの人ぞまさりて音(ね)にさへ泣きし

 

(訳)恋に悩むのは今の世だけのことではありません。それどころか、いにしえの人は、堪えかねて声をさえ立てて泣いては、もっともっと苦しんだものです。(同上)

(注)まさる 自動詞:(数量や程度などが)多くなる。ふえる。(学研)

(注)ね【音】名詞:音。なき声。ひびき。▽情感のこもる、音楽的な音。(人や動物の)泣(鳴)き声や、楽器などの響く音。 ※参考「ね」と「おと」の違い 「ね」が人の心に響く音であるのに対して、「おと」は雑音的なものを含め、風や鐘の音など比較的大きい音をいう。(学研)

 

 

◆百重二物 来及毳常 念鴨 公之使乃 雖見不飽有武

               (柿本人麻呂 巻四 四九九)

 

≪書き下し≫百重(ももへ)にも来(き)及(し)かぬかもと思へかも君が使(つかひ)の見れど飽かずあらむ

 

(訳)幾重にも重ねてひっきりなしに来て欲しいと思うせいで、あなたのお使いを見ても見ても見飽きないのでしょうか。(同上)

(注)ぬかも 分類連語:〔多く「…も…ぬかも」の形で〕…てほしいなあ。…てくれないかなあ。▽他に対する願望を表す。 ※上代語。 なりたち:打消の助動詞「ず」の連体形+疑問の係助詞「か」+詠嘆の終助詞「も」(学研)

 

 この四首は、四九六、四九七歌が、夫の贈歌であり、四九八、四九九歌が妻の答歌である。人麻呂の創作によるものである。

 なお、四九六と四九九歌が、四九七と四九八歌が対応し合っている。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「みんなの趣味の園芸」 (NHK出版HP)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

 

※20230208加古郡稲美町に訂正